北村透谷の詩「古藤菴に遠寄す」から学ぶ - 言葉の強弱・地名との関り -
このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。
どの記事も一本で完結している。
今回は「古藤菴に遠寄す」を取り上げる。
この詩は北村透谷氏が、失恋して旅に出てしまった島崎藤村氏のために書いたものである。
まずは北村透谷氏について知りたい方向けに、こちらの記事をご案内する。
「古藤菴に遠寄す」
一輪花の咲けかしと、
願ふ心は君の爲め。
薄雲月を蔽ふなと、
祈るこゝろは君の爲め。
吉野の山の奥深く、
よろづの花に言傳て、
君を待ちつゝ且つ咲かせむ。
助動詞でリズムを取る
一行目は「咲けかし」、三行目は「蔽ふな」とどちらも命令形になっている。
しかし、一行目は「かし」とついているので、三行目より念を押している。
第一に考えられるのは、リズムだろう。
「一輪花の咲けと」では七五調が崩れてしまう。そこで念押しの助動詞「かし」を付けることで、自然な調子にしていると考えられる。
リズムのためだけでは無かった
先程の「かし」をリズムの問題だけで終わらせて良いのだろうか。
リズムの問題だけで説明がつかないのが、二行目の「心」と四行目の「こころ」である。
咲けかし>蔽ふな と揃えるように、
心>こころ となっている。
つまりはこのシリーズで取り上げた蒲原氏の詩のように、単語に強弱を感じることができる。
では、「心・こころ」のために念押しの助動詞を付けたのか、念押しの感情に合わせて「心」と漢字を使ったのか、どちらか。
私は後者だと思う。これについては後述する。
大波小波の法則
私なら、一~二行目と三~四行目の順を逆にしたくなるところだが、これをお読みの方々はどうであろうか。
不思議なことにこの詩は、古藤菴(島崎氏)への気持ちは強いはずなのに、言葉の力は小さくなるように書かれている。
しかし、これも自然な言葉の流れであり、繊細な技法と言える。
「大波小波」「老いも若きも」という言葉があるように、大から小、上から下、強から弱という流れは、一種の自然だからである。
それだけではない。
「咲く」はポジティブな動詞で、「蔽う」はネガティブな動詞だと考えると、薄雲が月にかかるのは不安になる光景であろう。
「心」から一転して「こころ」と言葉を弱めることは、心細げな様子を表していると解る。
そして通常、花が咲くのは昼で、月が出るのは夜。
つまりこれは「朝から晩まで、様々な気持ちになりながら古藤菴を想う」というメッセージのための、技法なのである。
このために念押しの感情に合わせて、否、念押しの感情と併せて「心」と漢字を使ったのではないだろうか。
北村透谷氏、おそるべし。
「吉野の山」である意味
五行目の「吉野の山の奥深く」の花に伝言をするのは、何故か。
その要素は三つあると考えられる。
①この詩を捧げる相手・古藤菴がそこに居て、さらに失恋している人物だから。
たしかに古藤菴こと島崎藤村氏は、女生徒との恋に悩んで吉野山に滞在していた。
②吉野山には「奥の院」と呼ばれる場所があり、それよりも奥は女人が立ち入れなかったから。
奥深く、というのが奥の院より先を表すのであれば、古藤菴が失恋で苦しまないように、恋を消してしまおうという気持ちの表れではないだろうか。
➂西行の歌を踏襲しているから。
吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ
「吉野山から出ないつもりだが、人は私を、桜が散れば帰ってくるものだと思うだろう」という歌である。
この歌を踏襲したという確証は無いが、吉野の桜が早く咲いて散ったら古藤菴が帰ってくる──そのような気持ちが詩に込められているのかもしれないと、ふと思った。
そして「よろづの花」を「あらゆる花」と解釈した記事を見た記憶があるが、私は「よろづの花」を桜のことだと考えている。
吉野山は桜の名所であり、下千本など「〇千本」と呼ばれる場所が四か所ある。これも、西行の歌を踏襲したと考えた理由の一つである。
➀の要素が一番だとは思うが、残り二つの要素も組み込まれているとしたら、この詩はとてもウィットに富んでいる。
余談 島崎氏のお返事
島崎氏はこの詩を踏まえて、返事のような詩をいくつか書いた。
その中に「白磁花瓶賦」という詩がある。急逝した北村氏の名残を白磁の花瓶に感じる、という美しい詩なので、なんとかこのマガジンでも取り上げたい。
しかし、いかんせん四行詩×三十行と長い。読みたいという人が居たら、頑張る。
まとめ
言葉の引き出しを持っておくこと、言葉の効果を知ることがいかに重要か。
これは詩に限らず手紙でも会話でも同じである。
相手に伝えたい。
その気持ちが、自分の持ちうる範囲の言葉で表されたとき、本当に相手に伝わるのだと感じた (島崎氏の詩の長さを見ると、本当に伝わっていたことが感じられる)。
難解な詩の登場で見失いがちなことであるが、詩とは心の表れである。
中にはその難解さに憧れて真似をする者もいるそうだが、素直に書いてこそ、詩だと私は思う。

《参考および引用》
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・地名が出てくる作品の記事
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