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大手拓次の詩「さびしいかげ」から学ぶ - 時間を場所にする -

近代詩から詩の読み方や書き方を探る、近代詩人から学ぶ|詩の味・書き方シリーズ。

このシリーズでは近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、「詩のどこが良いのか」「どう書けば詩なのか」を探していく。
どの記事も一本で完結している。

白秋門下のミステリアス詩人・大手拓次

今回は大手拓次氏の詩集「藍色の蟇」から「さびしいかげ」という詩を取り扱う。

大手拓次氏は内向的で人づきあいに乏しかったとされ、人となりが明らかではない謎の詩人。

しかし北原白秋氏の傘下では、室生犀星氏や萩原朔太郎氏と並ぶ人物だと言われており、46年という生涯で900篇以上の詩を残している。

余談ではあるが、11月3日文化の日は大手拓次氏の誕生日だ。


詩「さびしいかげ」

ひたすらにうらさびしいかげはどこからくるのか、
きいろい木の実のみのるとほい未来の木立の中からか、
ちやうど 胸のさやさやとしたながれのなかに、
すずしげにおよぐしろい魚のやうである。

大手拓次「藍色の蟇」より「さびしいかげ」

言いたいことは一連目と四連目

一年前の同シリーズ記事「薄田泣菫の詩『ほほじろ』から学ぶ - 音とリズム・テーマと内容 - 」においても、実は最初と最後の一行がテーマと書いた。

それと同じような構成になっている。

“ひたすらにさびしいかげ” が、どこからくるのかについて答えは求めない。

ただそれが “すずしげにおよぐしろい魚” のようだ と書き残すものに、中身を詰めた詩なのである。


時間を場所として描写する

「とほい未来」の木立から来て、「ちやうど」胸のさやさやとしたながれのなかで泳ぐ。

どこから来るかとしか問うていないのに、時間の描写がある。
ということは、時間も場所の一部として読むことでこの詩を深く味わえると私は思う。

長い長い廊下のような時間の箱を、泳いで泳いでさびしいかげは来るのだ。


未来の木立から来る魚

魚のような存在なのであれば、木立から来るとは考えにくい。

しかも黄色い実のなった、比較的明るい雰囲気の木立から来るというから、なおのことこの詩が不思議な作品に仕上がっている。

“さびしいかげ” は本物の魚ではないので、木立から来ても全く問題は無いのだが、何か理由があるはずである。

➀木立の中で水を失くしたから
➁幸せを手に入れた後、それを失う予感がするから
➂いつまでも忘れられなさそうなことがあるから

物理的に観れば、未来が木立だらけになって水を失くしたからという線があり得る。

しかし心の面から考えれば、満たされすぎると、その先(とほい未来よりも先)で満たされたものを失うのが怖くなるという状況にも近いと感じられる。

つまり “とほい未来の木立” は幸せな状況、 “さびしいかげ” はそれを失うかもしれないという予感だとも推測できる。

もしくは、 “とほい未来” さえも思い出だという場合もある。

思い出であれば “とほい未来” でも姿は変わらないが、絶対に手が届かない。

いつまでも覚えていられるものを思い出すと寂しくなる、そんな心理を表しているとも考察できる。


まとめ

かつて「インターネットという英単語は、場所の名前として扱う」と教えられ、私は「足で行けないものを、場所として扱うなんて」と思っていた。

しかし改めてこの詩を読んで「どこから来ましたか」「未来からです」という、同じ類の問答が成立することを思い出した。「いつから来ましたか」と問うものは、稀だ。

時間を場所とするのは何ら変なことでは無かったが、正体が曖昧なものの所在がそうであると、一気に幻想性が増す。
象徴主義の作品の醍醐味だと思う。



《今回引用した詩集》


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