【プロローグ】──名前を呼ぶ、その声が
――銃声。火花。悲鳴。
爆発音が耳を裂き、土煙が視界を覆う。
「中尉!こっちです!」
蓮の声が、怒号の中をすり抜けて椎名に届いた。
崩れかけた石壁に身を預けたまま、椎名は血の滲む左腕を押さえながら、わずかに頷く。
敵の砲撃が予想よりも早かった。補給ルートの防衛線はすでに崩れつつある。
「撤退のタイミングを見誤ったか……!」
歯を食いしばり、椎名は無線機に手を伸ばすが――そのとき、目の前に一陣の影が飛び込んできた。
「下がってください、中尉!」
一瞬遅れて、銃弾が壁にめり込む。蓮が身を挺して彼女をかばい、そのまま敵へ向けて正確に二発、引き金を引いた。
「っ……悪い、蓮」
「謝るくらいなら、無茶しないでください」
淡々とした声の中に、わずかな怒りと――焦りが混じる。
椎名は一瞬、その横顔を見た。
血と汗に濡れた額。鋭い眼差し。
その瞳は、どこか、彼女の傷よりももっと深い何かを恐れているようだった。
(また……誰かを失うことを)
そう思った瞬間、膝をついた椎名の脳裏に、あの幻覚の夜がよみがえる。
蓮が、自分の名を呼びながら遠ざかっていったあの悪夢。
喉奥に残る、薬の苦さ。
見えない手に、引き裂かれていく感覚。
彼女は拳を握り、歯を食いしばった。
「……私はまだ終わらない。ここで倒れるわけには、いかないんだ」
そうだ。彼女にはまだ果たすべき使命がある。
守るべき部下がいる。見届けるべき未来がある。
そして――
「だから、君の声が……届く限り、私は立ち続ける」
蓮が、わずかに目を見開いた。
その目に宿るものは、もはやただの敬意でも忠誠でもなかった。
それはきっと――名もつけられぬ、ひとつの“絆”。
火線の向こう、戦場の只中に立つふたり。
その背中に、幾重にも重なる運命の音が迫っていることを、まだ誰も知らない。
かつて王子を救った少女。
そして、“王子”自身が胸に秘める、ある誓い――
遠い国に伝わる秘密の言い伝え。
すべての始まりは、ここから始まった。
「君が呼ぶなら、私は何度でも立ち上がる」
彼女の声が、静かに空に溶けた。
物語は、まだ序章にすぎない。
