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【滋賀】琵琶湖周りを巡る旅〜③ 井伊家とひこにゃんの彦根城 彦根

※2024年5月の内容です

井伊家に縁の深い彦根城に、小龍君と一緒にやってきました
ひこにゃんに会えるかな?

小龍君と行く井伊家の菩提寺・豪徳寺の旅はこちら↓↓



小龍君に縁の深い井伊家の城下町・彦根にやってきました
駅前には井伊直政公の銅像が
堂々としてますね~

彦根の歴史


どうしても「井伊の赤備え」の井伊家のイメージが強い彦根ですが、まずどんなところなんでしょうか?
古墳時代の都・近江大津宮がある琵琶湖周辺なので歴史がありそうですね

「彦根」の地名は、むかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に祭られたことに由来しているとされている。

彦根市について/彦根市 (hikone.lg.jp)

へえ~やっぱり地名などは古代の頃からあるみたい

駅前のロータリーには「彦根縁起」の石碑が
…細かいな。古代から戦国・江戸、現代までの流れが書いてあります
これに沿って、彦根の歴史を見ていきましょう

彦根縁起の石碑と亀さん

「古事記」の冒頭には、太陽を神とする天照大御神(伊勢神宮)が、国生みの神である伊邪那岐の命・伊邪那美の命(多賀神社)の御子として生まれたと記されており、また天照大御神の御子である天津日子根の命と活津日子根の命の兄弟神が、悠久の昔にこの彦根ノ地に鎮座して国造りをしたとするのが、この地方に伝承されている神話であります。

彦根縁起碑より

なるほど
多賀神社の神様のお孫さんにあたる神様たちにちなんだ地名なんですね

ちなみに奈良時代には、東北の国府・多賀城を建設するため、この琵琶湖の周辺から現在の宮城県の多賀城へ職人さんなどを移住させていたそう
多賀城周りに多賀神社があるのは、この地域の人々が地元の神様を心の支えにと東北にもお迎えしたからなんですね

↓↓創建1300年を迎えた多賀城への旅はこちら


奈良時代、日本最古の法典「大宝律令」を完成させた藤原不比等とその子藤原房前が、永年彦根の地を治めたことにより、平城京にも劣らぬ地方都市がこの彦根の地に造営されていたのであります。平安時代中期、末法思想の広がりと共に、全国各地に観音信仰が生まれ、現在彦根城のある彦根山(彦根寺)には、金の亀に乗った一寸八分(約67センチメートル)の観音様がおられたことから、別名を金亀寺とも呼ばれております。また、当時、霊験あらたかな観音霊場として、彦根山参詣ブームを巻き起こし、京都方面からの参詣道は、巡礼街道と呼ばれ、現在も通称として残り往時を偲ばせております。

彦根縁起碑より

また、元々彦根城の合ったところが金色の亀に乗った観音様を祀っていた彦根寺のあったところだったそうです
彦根寺は、竹生島の宝物殿にあった宝珠「「面向不背(めんこうふはい)の玉」」や能の「海女」に関わる、藤原房前が開いたお寺
今の彦根城の西にある観音台にあったようです

引用:https://hikonecastle.com/about.html

この石碑前に亀さんがいるのも、お城のある山が金亀山と呼ばれていたことに由来するようです
琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝物殿にも、井伊家から奉納された大きな亀の像がありましたが。そういうことなのか~

また鎌倉から室町時代にはこの一帯は六角氏の勢力エリアだったようですね

治めていた地域は、
●六角氏:蒲生郡付近
●京極氏:坂田郡付近
●大原氏:高島郡付近
応仁の乱で対立したりもしますが、平安・鎌倉・室町まで、一族でぐるっと琵琶湖周りに勢力を持っていた一族なんですね

https://note.com/__luchia_/n/n8d098d8f0021
引用:https://nfu.repo.nii.ac.jp/record/2000069/files/chita27-07oota.pdf

●にっかり青江や京極正宗に関わる京極氏についての簡単なまとめはこちら
↓↓

六角氏の配下であった新開氏のお城・新海城跡が近くに残っているようです
こういう史跡がたくさんあるので、琵琶湖周辺は本当にとても興味深いエリアですね

引用:https://www.hikoneshi.com/sightseeing/article/shinkaijoato

また、長曽根虎徹が江戸に出る前、作刀の修行をしたとされる井戸も彦根城の近くにあります
ここで修行してたんだね〜

引用:https://www.hikoneshi.com/sightseeing/article/kotetsu

さて戦国時代となり、石田三成や井伊直政からの井伊家の時代に入っていきます

お城前の通りに面する「松居石材商店」には、彦根や郷土に関わる説明が書かれた看板がいくつかありますね

旧彦根町の看板

松居石材商店は、現在も彦根市元町で営業する石材店です。江戸時代、初代松居孫兵衛が北小松(現大津市北部)から彦根に移り、文政12年(1829)に彦根城下で創業したのが始まりであると伝わります。

「彦根城博物館」特別展示〜松居石材商店の歴史〜:墓石・石材店(彦根,米原,長浜)松居石材商店 (matsui-sekizai.com)

へえ〜こちらのお店は江戸時代から続く老舗の石材店なんですね
2022年9月には、彦根博物館にて特別展示「松居石材商店の歴史」が開催されるなど、彦根の町とのかかわりの深いお店であるようです


石田光成の看板

1595年には、石田三成が佐和山城城主となります
刀剣乱舞にも石田正宗など所縁のある刀が実装されていますね

彦根城から北東、標高233メートルの佐和山の頂上付近にあったお城で、麓には毎年だるま祭りが開かれる龍潭寺や島左近の屋敷跡?と言われる清涼寺があります

●龍潭寺

●清涼寺


石田三成が治めていた佐和山城はすでに建物などはありませんが、城跡に行きたいという方は毎年何人もいらっしゃるそうです
山城のため登るにはなかなか大変だそうですが、それでも行きたい!という根強いファンがいるのはすごいです

https://www.hikoneshi.com/media/all/sawayama_map2.pdf

また、彦根駅前の観光案内所にて佐和山城の御城印がもらえます

そして、井伊直政が佐和山城に入り、彦根城と城下町を築きます

江戸時代、藤原鎌足の子孫である井伊家が彦根に入り(入府)、初代彦根藩主となった井伊直政公(騎乗姿)は、現在の静岡県引佐町井伊谷にて生を受け、十五歳で徳川家康に見出されて以降、武田勝頼との戦いを初陣に、関ヶ原の戦いなどに数々の大功を立て、慶長6年(1601年)、十八万石を賜って佐和山城主となりますが、関ヶ原の戦いで島津軍から受けた鉄砲傷がもとで四十一歳の若さで亡くなりました。彦根城と城下町は、直継公(途中分家)から二代藩主直孝公にかけ、二十年の歳月を経て完成したのでありますが、井伊家中興の祖と言われる直孝公の大坂冬の陣・夏の陣の大功により三十五万石となり、これより以降、近江の国の政治・経済・文化の中心地として永く栄えることになったのであります。

彦根縁起碑より
引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

井伊家は代々「大老の家」と言われ、将軍の跡継ぎの元服式では烏帽子親を務めるなど江戸幕府で重要や役職を担っていきます
二代藩主・直孝が将軍・家光、家綱の後見役を、四代藩主・直興は二度大老を幕末の大老を務めるなど、何度も大老を輩出した家のようです
幕末にも安政の大獄・桜田門外の変に関わる大老・井伊直弼を輩出し、江戸の終わりまで続いていきます

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」
彦根城と彦根藩主・井伊家の看板
井伊家の旗印「井桁」
彦根藩初代藩主・井伊直政公の銅像
幕末の13代藩主井伊直弼公の銅像

現在東京国立博物館にある小龍景光は、この井伊直弼が所持していた刀のようですね


また、東京世田谷の豪徳寺が井伊家の菩提寺となったのも直孝公の時からであります。彦根の地は誰れ言うともなく、「一に大老・二に佐和山殿」として、井伊直弼公と石田三成公を、彦根が輩出した偉人として市民の敬慕となり象徴となっているのであります。井伊家が彦根のまちを開き、平成十三年(2001年)が丁度四百年の年となり、「彦根開府四百年」記念事業の一つとして、彦根市民有志の手により、本石碑が建立されたのであります。

彦根縁起碑より

そして、東京都世田谷区にある豪徳寺は井伊家の菩提寺となります
2代藩主の直孝公、13代藩主の直弼公のお墓もこちらにあります
現在は招き猫が日本らしくてかわいいとのことから、外国人観光客でにぎわっているようです

https://note.com/__luchia_/n/n8e2d697c9b09

それでは、その井伊家のお城・彦根城に行ってみましょう!

彦根城


彦根城は姫路城・松本城・犬山城・松江城と同じく、国宝の天守閣をもつお城です
古くから江戸と近江を結ぶ中山道に近い交通の要衝であり、また彦根港から船で琵琶湖を通って京に入る水運のルートがあるため、彦根城は西の守りとして重要の軍事拠点であったようです

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

廃藩置県後、廃城令が出され全国のお城がなくなる中でも地元住民の願いから解体を免れ、そのおかげでいまでも保存状態の良い天守閣や櫓などの建物を見ることができます
今でも琵琶湖八景のひとつ「月明 彦根の古城」に選ばれ、市民の方に親しまれているお城です

彦根城の観光にはアプリ「体感 国宝彦根城」や、地元の方々のボランティアガイドなど、見どころを紹介してもらえるアプリやサービスも。
重要な建物や史跡をじっくり解説してもらいながら、楽しむことができます

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

彦根城の今昔

今と昔の彦根城、地図で見てみると…

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」
引用:https://www.hikoneshi.com/access/parking

内堀・中堀の内側にあたる部分は、ほとんど変わらず残っているお城のようですね。外堀は今の駅前ぐらいまであったようでとても大きなお城です
昔は琵琶湖から船でお城に入ることができたようで、御殿様が米原湊~琵琶湖を通ってお城にきたり、米などを物資を運んだりと、琵琶湖の水運を上手に利用していたようです

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

お城の内堀内には、天守閣や表御殿など藩主やその家族が生活する場や政務に関わる建物が
内堀と中掘りの間にある内曲輪、現在彦根東高校や大津地方裁判所などがあるエリアには武家屋敷や藩校弘道館など
中堀から外堀、さらに外堀の外側には町人や足軽の屋敷が設けられていたようです
お城の中心に殿様など藩政に関わる人々が、遠くなるほど足軽や町人が住むエリアになっていたってことか
当時の人々の身分や役割がわかりやすい町割りですね

いろは松

まず駅側から入っていくお堀沿いにある松並木が「いろは松」
47本あったことからいろは歌にちなんで名づけられたそうです
根っこが地表に出ず往来の邪魔にならない品種の「土佐松」なんだそう
土佐ってことはわざわざ竜馬の故郷からはこんできたのか…すごいなあ

お堀と松の緑がとっても綺麗な光景


埋木舎(井伊直弼像・「花の生涯」記念碑)

そのお向かいにあるのが、幕末の彦根藩のお殿様・井伊直弼の歌碑
桜田門外の変の2か月前によんだ歌が刻まれています

あふみの海 磯うつ浪の いく度か
御世にこころを くだきぬるかな

琵琶湖の磯に打ち寄せる波のように、大老として世のため幾度となく心を砕いてきたという心境をよんでいるそうです
本当に大変な仕事だったろうなあ

新政府側の人物が主人公に多い幕末の大河ドラマなどでは、どうしても安政の大獄の厳しい処置を行ったイメージがありますが
歌碑の歌に見るように、茶道・歌道・謡曲・禅・武術など、さまざまな教養を身に着けた文化人だったようです
もともとは十四男として生まれたいわば「部屋住み」の立場で、跡継ぎ候補からは縁遠かったそうですが、兄弟の急死などによって藩主になり、やがて幕府の大老となります

この「埋木舎」は井伊直弼が17歳から32歳まで過ごした場所です
先ほど述べたように、彦根城城下町はお城から遠くなるにつれて身分や役割の重要度が低くなっていくのですが…
藩主の息子とはいえ、内堀内にある御殿でもなく武家屋敷のある内曲輪でもなく、中堀の外側にあるお屋敷
建物も質素で中級藩士と同じようなつくりだったようです

引用:https://www.umoreginoya.com/10wonder

そのころ詠んだ歌が

世の中を よそに見つつも うもれ木の
埋もれておらむ 心なき身は

自分の境遇を花の咲くことのない埋もれ木に例えてはいても、それで人生あきらめることなく、地道に努力している心意気が見えますね…
10代後半から20代の頃なんて、優秀な人ほどやりたいことや夢があっていろんなことに挑戦したい年頃だろうに…気を腐らせずよくまあ
花が咲くまでじっと耐えて頑張った人なんだなあ

毎年NHKで放送される大河ドラマ
その記念すべき第一作は、この井伊直弼が主人公の「花の生涯」だそうです
井伊直弼大老像の近くに、「花の生涯記念碑」があります

「花の生涯」記念碑

ドラマも見てみたいところですが…
1963年放送のため、すでに映像データもほとんど現存していないようで、NHKのDVDにも第一話しか収録されていないようです…
う~ん60年も昔の映像だもんなあ…残念

激動の時代でもあったため最期は水戸藩士を中心に起こされた桜田門外の変で命を落とす直弼ですが、その110年後、昭和の時代になって彦根市と水戸市は友好都市となります
「花の生涯記念碑」の近くに植えられている二季桜は、1972年に水戸市の偕楽園から贈られたもの
もみじの季節にも2度目の花を咲かせる二季桜は、地元ニュースで開花情報が流れるなど彦根の市民に親しまれているようです

水戸市から贈られた二季桜
春(4~5月)と冬(11~1月)に咲く珍しい桜です

さらに彦根から水戸には白鳥が贈られたそうです
今もお堀に白鳥が暮らしていますが、日向ぼっこしてすやすや寝ている様子を見ると本当に平和な世になってよかったなと思います

お堀の横でぐっすり寝ている白鳥さん


旧池田屋敷長屋門

また、付近には中級藩士の屋敷が並んでいたため、その史跡が残っています
当時は身分に応じて門の形式などが決められていたそうで、この池田屋敷の長屋門は典型的な中級藩士の建物としてとても貴重なものだそうです
ちなみにこの池田さん、「伊賀之者」
つまり忍者として井伊直政に採用されたお家だそう
へえ~伊賀忍者かあ~
この屋敷に住んでいた江戸時代には、すでに忍者ではなく藩士になっていたと思いますが…そのころの忍者の術とか道具とか、それらもどこかに残っていると面白そうですね


佐和口多聞櫓・馬屋

佐和口をとおって二の丸に行くとあるのが、佐和口多聞櫓と馬屋
佐和口は典型的な枡形虎口で、ここで集中攻撃して敵を防ぐように作られているそうです
内堀を渡った先にある表門も同じ構造になっています
二重に敵を防ぐ構造になっているんですね

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」
引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

多聞櫓の向かいにあるのが、馬屋
小屋というより結構大きくてしっかりした建物です

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

この馬屋、通常は城の外にあるものなんだそうですが、ここ彦根城の馬屋は日本で唯一城内にある馬屋なんだそう
言われてみれば、ほかのお城の馬屋の場所って意識したことなかったな…今度からほかのお城に行ったときどこにあるのか探してみよう

馬屋内部
馬屋の近くにある郵便ポスト
ポストの上に天守閣が乗っています


本日のひこにゃん

彦根城といったら、ゆるキャラのひこにゃん
「もち」という愛称が付いているのかい?
確かにおもちみたいでかわいいもんね

愛称「モチ」 かわいい
引用:https://www.city.hikone.lg.jp/kakuka/kanko_bunka/5/3/4_1/21928.html

なるほど。東京の井伊家の菩提寺・豪徳寺との縁をむすんだ招き猫が、モチーフの一つなんですね

東京世田谷にある豪徳寺の招き猫像

お城の桜場駐車場付近ではずーっと「ひこにゃん音頭」が流れていてかわいかったです

さて本日の御出勤の時間は?

お城には午後出勤の日でした

あいにく午後には彦根を出発しなければならなかったので、残念ながら今回はひこにゃんに会えず
今度は会える時間に来てみたいです


彦根城屋形船

気を取り直して、まずは彦根城の内堀南側を屋形船で回ってみます
当時もこんな感じで、堀を使って米などの物資を運んだりしていた様子
現在梅林になっているところに米蔵があったのを見ても、船から運び近いところに備蓄用のエリアがあったみたいです

そしてチケットの裏は彦根藩の藩札デザインなのね
へぇ~凝ってるなあ

まずは表門に通じる橋を潜り抜けます
大手門跡


途中にあった白鳥小屋
その前では亀さんたちがのどかに甲羅干しして気持ちよさそうです
米蔵跡
奥に天守閣がちらっと見えます
御用米口
ここから米蔵に御用米を荷揚げしていたそうです
反対側は藩校弘道館跡や武家屋敷跡地
今は西中学校や滋賀大学の敷地になっているようです

ちなみに滋賀大学の経済学部の建物は映画「青い山脈」のロケ地にもなっていたそうですね
1963年と前述の「花の生涯」と同年の映画なので見たことがなく…どんなシーンで映っていたのか気になります

さらにメンタームで知られる近江兄弟社の創設者、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの自宅であったヴォーリズ記念館も見えます

ヴォーリズ記念館
メンタームで有名な近江兄弟社の創業者・ヴォーリズの建てた洋館です

本当に彦根はいろいろ見どころ多い街だな…今度来たときは町のほうも回ってみよう

表門・表御殿

さて屋形船を下りて表門からお城に入っていきます
まず見えるのが表御殿。昔はここが政務の中心になっていたようです
今は彦根城博物館になっており、井伊家の貴重な品々が展示されているようです

彦根城博物館

表御殿の横には珍しい登り石垣があります
彦根城は軍事拠点として重要であったため、あちこちにさまざまな工夫がされています

表門付近の登り石垣
…ちょっと写真じゃわかりにくいかな

廊下橋・大堀切

登っていくと見えてくるのが大堀切の上にかかる廊下橋
大堀切は人工的に作った溝で、高さは8メートルあります

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

ここでぐるっと迂回して売店のある鐘の丸に行ってから、この廊下橋を渡って太鼓丸に行くわけですが…
これ敵が攻めてきたとしても、上から丸見えだな~
本当に戦に備えていろいろ考えてつくられた城なんですね

右上、石垣の間に穴があります

橋脚付近にあるこの穴
今はしっかりと土台の上に橋脚が建てられていますが、本来橋を支える柱はこの穴に差し込んであったようです
万が一の時には、ここにかけた橋脚を外して橋を落とし、敵を侵入させないようにしていたそう
本当に守りに徹した城なんだなあ

引用:アプリ「体感 国宝彦根城」

というか登りづらい!!なんだこの階段??
段ごとに幅が違う!!
それもそのはず、この階段もわざと段ごとに幅を変えて登りづらくしているそうです
あちこちに敵を入らせない工夫がたくさんあるな

とっても登りづらい階段

天秤櫓

コの字型の天秤櫓
こちらは豊臣秀吉が一番最初にもった城・長浜城の大手門を移築したのだそう
長浜城の貴重な建築物にもなるんですね

●秀吉最初のお城・長浜と竹生島への旅はこちら↓↓

コの字型なので、廊下橋の下や正面などどの方向からからくる敵にも対応可能
仮に櫓を突破されても、内側で集中砲火できるため本丸にはたどり着けないようになっています
ここでしっかり食い止められるようになってたんだな

次にあるのは太鼓丸
太鼓門櫓を通ると本丸に到着です

太鼓門櫓の前にある時報鐘
時間を知らせていた鐘で、もともとは鐘の丸にあったそうです
太鼓門櫓
太鼓門櫓の左右にある鏡石?
そういえば表門付近には鏡石らしきものなかったなあ


天守閣・本丸

やっと本丸に到着!そして国宝の天守閣がお目見えです
天守閣は高さ21メートル、3階建て3重構造
彦根城築城当時そのままの姿で現存する建物です
もとは大津城の天守閣を移築したもので、5階4層だったようです

●大津城の城下町・大津市のお花見旅はこちら
↓↓

とにかく目を引くのは大きな破風
全部で18もあるそう
実際に彦根城天守閣を見てみると、思ったよりこじんまりしているのですが、この大きな破風のおかげでどっしりとした威厳のあるお城に見えるとのこと
なるほどねえ~


天守閣内部

天守閣内部も、軍事要塞としての機能があちこちに見れます
外からは豪華な破風も、内側から見ると隠し部屋になっています
隠れる、というよりここから鉄砲を撃って防衛するためのもののようですね

隠し部屋
奥の方に鉄砲用の狭間があります

それにしても、ものすごく小さい
子供や小柄な人なら入れそうだけど…
甲冑着た体格いい武将はどうにも入らないサイズです

このほかにも、外からは見えない隠し狭間があったり、大津城から移築した名残で余っているほぞ穴が見えたりと、細かいところにまで面白いポイントがありました

壁に三角の隠し狭間
天井の梁にはところどころほぞ穴が見えます
大津城の天守閣時代には、もともとこのほぞ穴に柱が差し込まれていたようです

着見台(つきみだい)から見る琵琶湖と彦根市内
天気が良かったため、琵琶湖のきれいな景色がよく見えます
遠くに長浜や伊吹山まで見えるなあ~

琵琶湖方向
悠々とした湖面がとてものどかな光景です
佐和山方面
石田三成の佐和山城はこちらの方向にあったんですね
逆に向こうから見たら、彦根市内と琵琶湖が一望できるんじゃないかな?

彦根城固有の植物

国宝の天守閣もとても貴重なものですが、彦根城に生息する植物にも貴重なものがあります
こちらのオオトックリイチゴは、彦根城固有の植物です
もともと自生していたものと庭園用に輸入したものが自然に交配してできた新種のようで、ここにしかない珍しい固有種になったそう
人が暮らしてるエリアでいつの間にか新種ができるなんて、そんな不思議なことがあるもんなんだなあ~

このオオトックリイチゴは、ナワシロイチゴとトックリイチゴの自然雑種と考えられています。ナワシロイチゴは日本の山野のいたるところに自生し、苗代の頃に実が赤く熟するのでこの名があります。トックリイチゴは、中国大陸及び朝鮮半島が原産で、庭園の植栽にしばしば用いられる植物です。当初の発見箇所が表御殿跡(現在の彦根城博物館の地)であることを考えると、表御殿の庭に植栽されていたトックリイチゴが、在来のナワシロイチゴと自然交配した可能性が考えられます。

オオトックリイチゴ - 彦根観光ガイド : 公益社団法人 彦根観光協会 (hikoneshi.com)


玄宮園・楽々園


最後に彦根城の大名庭園、玄宮園・楽々園へ
もともとは下屋敷・槻(けやき)御殿とその庭園として造られたエリアで、藩主の隠居所として使用され側室やその子供たちが暮らしていたそうです
幕末の大老・井伊直弼が誕生したのもこのお屋敷で、父親の直中がなくなる17歳までここで暮らしていたとのこと

玄宮園は下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園です。中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、さまざまな形式の橋が架けられて自由な回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっていました。

彦根城について | 国宝 彦根城 (hikonecastle.com)

玄宮という名は、「荘子」に「古代中国の皇帝せんぎょくが退位して都の北にある玄宮にすむ」という記載があったことから名づけられたのだそう
彦根城は表御殿を公の場・こちらは隠居したお殿様のお屋敷としていたのでその名がつけられたみたいですね

また、入ってすぐ左手に見える楽々園
楽々園ってなんだか現代っぽい名前で親しみやすいな~と思ったのですが、こちらも論語の一節が名前の由来なんですね
水戸の偕楽園にある好文亭や秋田の如斯亭(じょしてい)もそうですが、江戸時代のお殿様の御殿やお庭の名前は漢詩・漢文からくるものが多いです
当時の必須科目だったんだろうな

雍也第六21「子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。 知者は動き、仁者は静かなり、知者は楽しみ、仁者は寿し。」

論語
楽々園

知者と仁者の楽しみを説いたこの一節が由来のため、山や水の流れを楽しめるような設計がされているとのこと
楽々園庭園は現在枯山水になっているそうですが、もともとは水を引いたお庭だったようです
当時の様子も見てみたいところですね

玄宮園

近江八景を取り入れて作られた玄宮園
その通り見る場所や角度によって、さまざまな景観が楽しめるお庭です

玄宮園の名は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと考えられます。園内を見渡す好所に建てられた数寄屋建築である「八景亭」の名から、一説に中国の瀟湘(しょうしょう)八景または近江八景を取り入れて作庭されたとも伝えますが、 江戸時代に描かれた「玄宮園図」に八景亭の名はなく「臨池閣(りんちかく)」と呼んでいたようです。そのほか玄宮園図には「鳳翔台(ほうしょうだい)」「魚躍沼(ぎょやくしょう)」「龍臥橋(りゅうがばし)」「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)」 「春風埒 (しゅんぷうれつ)」「鑑月峯(かんげつほう)」「薩埵林(さったりん)」「飛梁渓(ひりょうけい)」「涵虚亭(かんきょてい)」の十景が付箋によって示されており、当時「玄宮園十勝」と呼ばれていたことが確認されています。

玄宮園 | 国宝・彦根城築城410年祭 (hikone-410th.com)
飛梁渓(ひりょうけい)から見たお庭
涵虚亭(かんきょてい)から見たお庭
鑑月峯(かんげつほう)から見たお庭
鳳翔台(ほうしょうだい)から見たお庭

ぐるっと一周してみてもこれだけ景色が違います
楽しいなあ

魚躍沼(ぎょやくしょう)に浮かぶ鶴鳴渚(かくめいなぎさ)
龍臥橋(りゅうがばし)とその間にある亀を模した島
こちらもカメさんに見える小島

琵琶湖の雄大な景色に、この風情あるお庭
本当によいところだなあ~彦根
楽々園の建物内部や表御殿である彦根城博物館には今回よれなかったので、次はそちらもじっくり見てみたいです


最後に彦根城と佐和山城の御城印をもらってきました
ひこにゃんバージョン御城印もかわいいです
今回は彦根城だけしか回れていなかったのですが、ここだけでもたくさんの見どころがあってとても楽しかったです
今度はひこにゃんご出勤の時間にいきたいなあ

また、城下町にも行ってみたいですね
虎徹の井戸はもちろん、旧魚屋町の街並みに大正時代のレトロな雰囲気が残る四番町スクエア、映画のロケ地になった滋賀大学経済学部の建物などなど…彦根は何度来ても次の楽しみがたくさんある町だなあ

●四番町スクエア

●旧魚屋町の街並み

●滋賀大学経済学部講堂


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