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⑥『好き、は変わらない』―-隣に君がいた、あの日から―-

あらすじ

毎日同じ景色のなか、四十八歳でバツイチのイベントプロデューサー・桐島拓真は、人生の転機となる大型プロジェクトを任される。そこで出逢ったのは、子供のような眩しい笑顔を持つ二十八歳の広報担当・広野咲良だった。彼女のひたむきさと夏の香りに、拓真の凍りついていた心が溶け出していく。咲良もまた、過去の手痛い失恋から恋を遠ざけていたが、拓真の優しさと大人の覚悟に触れ、再び誰かを想う光を見出していく。​仕事を通じて固い絆で結ばれ、急速に惹かれ合う二人。しかし、仕事のパートナーという立場と、二十歳という年の差の現実がブレーキをかける。胸を締め付けるほど愛おしいのに、どうしても「好き」と言えない、大人の切なすぎる両片想いの行方は――。

第五話【あの日から】は、こちらから

第六話【言えない】

 二人がオフィスを出た頃、ビル群の隙間には薄く青紫に染まった、夕陽が沈んだ後の空色が広がっていた。

 拓真が右手を挙げている。

 二人の目の前をタクシーが通り過ぎようとしていたのを、拓真が呼び止めていた。

 「広野さん、タクシーの方が速いから乗って行こう」
 「先に乗って」

 「あっ、ありがとうございます」

 二人がタクシーに乗り込んで、本屋のある駅ビルまで向かう車内で拓真は、

 「今日は助かったよ。ありがとう広野さん」
 「実を言うと、内心は焦っていたんだ」

 「そうなんですか……」
 「そうは見えなかったですよ」

 「いや……手汗が止まらなかったよ」
 ずっと握っていたのか、クシャクシャになったハンカチが、その手の中にはあった。

 「でも、桐島課長は毅然としてて凛々しい顔つきで頼もしかったですよ」
 「正直、格好良い上司だなあと思いましたもん」

 会話が弾むにつれて本音が出てしまった事に、咲良は慌てて顔を隠すように下を向いてしまっていた。

 その様子に拓真も照れそうになり、右手で顔を隠すように頬を触っていた。

 「広野さん、今は業務とは違う時間だし……その『課長』は付けなくていいよ」

 恥ずかしさを誤魔化す様に、拓真は話題を切り換えようとした。

 「桐島さん……とか。いや、なんなら拓真さんでも構わないよ」

(……って、俺は何を口走っとんねん。拓真さんて、距離詰めすぎやろ! )

 「拓真さん……。は、ちょっと恥ずかしいかもですね」

 「桐島さん。って呼んでも良いですか」

 「そうだね。自分で言っていてなんだけど、拓真さんは……」

 「桐島さん……」、かな。

 嬉しそうな表情を隠せずに、拓真の口元は緩んでいた。

 「じゃあ、私の事は」
 「咲良、って呼んで下さい」

 咲良は、凛々しい雰囲気から子供のような笑顔に変わる拓真の表情に惹かれ、心を開いていた。

 「咲良」……は

 「呼べないかも……」

 「えーーっ、何でですか? 」

 「昔から、女性の名前を呼ぶのが苦手でね……」

 「そんな人、聞いた事ないですよ--」

 咲良はまた、あの拗ねるような表情をみせてきた。

 「ごめん……」
 「咲良さん」、で……。

 「わかりました」
 「では、桐島さん。と咲良さん。ですね」

 (俺、情けないなあ。ほんま、なに言ってんやろ……「咲良」って呼べる日くるんやろか)

 こんな、何とも言えない恋人同士になる前のような、些細なやり取りが懐かしくもあり、心地よく感じている拓真だった。

 それは咲良も同じ気持ちで、自分が少し前に進めているのを、実感していた。

 あの、懐かしい香りに包まれている今は、二人の距離が重なり合おうと流れていく。

 ビルに到着して、タクシーから降りた二人。本屋へ入ると、昨日の夜に見かけた【量より質に拘れ】という本が見当たらない……。

 咲良は棚を整理をしていた店員を見つけ、声をかけていた。

 「すいません。この辺りに、【量より質に拘れ】って言う本があったはずなんですけど……」

 「あっ、量より質……ですか」
 「ちょっと調べてみますね」

 店員は、肩から下げていたタブレット端末で、在庫の確認をしてくれた。

 「在庫あるみたいなので、お持ちしましょうか」

 「はい、お願いします」

 「あったみたいで良かったですね」
 と、子供が欲しかったオモチャを見つけた時のような、あどけない笑顔が中学二年の娘の怜奈と重なっていく。

 (ほんま、子供みたいな笑顔するなあ……)

 少し待つ間、二人は並んで窓際の棚の前に立っていた。

 ガラスの外には次々と灯りがともる街の夜景が広がり、柔らかな光が咲良の横顔を照らしている。

 拓真は咲良と居る時間が、ただ静かに流れるのを感じていた。

  やがて店員が背の高い棚の奥から一冊の本を手に戻ってきた。

  「お待たせいたしました。こちらで間違いないでしょうか」

  「はい、これです。間違いないです」

  拓真はその本を店員から受け取り、レジへと向かおうとしたが、咲良が慌ててその袖をそっと引き留めた。

 「あっ、桐島さん。待ってください」

 自然に名前が口から出たことに気づいて、咲良は一瞬はっとしたように目を見開き、耳までほんのりと赤く染まっていく。

 慌てて口元に手を当てるようにしながらも、柔らかな声で続けた。

  「昨日、この本を見つけたとき、買おうかどうかずっと迷っていたんです。だから今日は私が購入させてください。
 それで……私が買った本を、桐島さんにお貸しする、っていう形にしませんか? 」

  その言葉と照れたような笑顔に、拓真の心は一気に緩んでいく。

 自分でもどうしようもないほど、咲良の何気ない仕草の一つ一つで心が温かくなってしまうのだ。

  「そうか、わかった。それじゃあ、お借りするよ。ありがとう……広野さん……いや、咲良さん」

  慌てて呼び方を直す姿があまりにもおかしくて、咲良は思わず、くすりと笑い声を漏らした。

  レジで会計を済ませ、袋に入れてもらった本を大事そうに胸元に抱える咲良の姿を見ながら、拓真は時計にふと目をやると、針はもう十九時を過ぎていた。

  「咲良さん、今日は俺の都合でこんな時間まで引き留めてしまって、本当にすまない。
 せめてお詫びとお礼をさせてほしいんだけど、このまま食事に付き合ってもらえないだろうか。
 確かこのビルの上階に、レストランがあるはずなんだが」

  「はい、ぜひ。私こそ、誘っていただけて嬉しいです」

  咲良のはっきりした嬉しそうな返事に、拓真は胸の奥がさらに熱くなるのを感じた。

  エレベーターで上がり、テーブルに着くと、一面に広がる街の灯りがガラスに反射して万華鏡のように輝いている。

 運ばれてくる料理を前に、二人は仕事の話、子供の頃の話、好きな音楽や旅行の話など、たわいもない話題ばかりを選んで口にしていた。

 敢えて恋愛の話には触れないように、お互いが同じように心の奥にある想いを隠しながら、笑い合う時間だけを守っていた。

  「久しぶりに、こんなに美味しいものを食べましたよ」

 「いつもは簡単な料理か、コンビニ食とかになってしまうから」

 「桐島さんは、いつもはどんな食事されてるんですか」

 「いや、私も同じかな」
 「料理なんて出来ないから、外食か、お弁当屋さんでとか済ませてるよ」

 「咲良さん、料理はするの? 」
 「ん--ほとんどしないです」

 「っていうより、出来ない、が正解かもです……」

 今のこの瞬間。時間が止まれば良いのにと、拓真の中にある咲良への想いで溢れ出しそうになっていた。

 心の真ん中にはいつも彼女の姿が浮かんでは消え、巡り続けている。

 あの砂浜での想い。あの瞬間の気持ちを伝えたい。

 でも、プロジェクトのメンバーとしてや、二十歳も離れている現実。

 そんな想いが、次第に不安に変えて行く。

 矛盾だらけの現実がそこにあって、「会いたい」「もっと側にいたい」そんな言葉が喉元まで上がってきても、口にすることなどできるはずもない。

  咲良も同じだった。拓真の優しさ、頼もしさ、時折見せる少年のような照れた表情、そのすべてが日に日に心の奥深くに染み込んでいく。

 想えば想うほど……。この気持ちを伝えてしまえば、年の差という現実が二人を引き裂き、自分だけでなく拓真まで苦しめてしまうのではないかと恐れていた。

 「好きです」なんて、たった一言が、どうしても言葉にならない。

 溢れるような想いだけが胸に詰まって、ただ見つめ合うだけの時間が続いている。

  テーブルの向こう側で微笑む咲良の中での迷いも知らず、拓真はただグラスをそっと掲げて小さく頷いた。

 言いたいことはたくさんあるのに、どうしても言えない。それだけが二人の心を同じように締め付けながら、静かに刻は過ぎていった。

第六話 完

第七話【ずっと】は、こちらから


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