優しい人ほど急にいなくなる
芥への手紙が届いた。
「芥への手紙」は、誰にも言えなかった苦しみや、言葉にできなかった感情をmondから匿名で余に届けることができる。
そして余がその手紙に返事を書く。その中から、余が深く向き合いたいと思ったものは、こうしてnoteで記事にする。
詳しくはこちらの記事を読んでくれ。
弟を亡くした姉から、手紙が届いた。
弟さんは、自死だった。
余の音を聴きながら記事を読み進めてくれ。
届いた手紙
以前、いきなり支離滅裂なDMを送ってしまった者です。
自死をした人が臓器移植を望むのか?答えが出ないです。と。
その後ですが、
人工呼吸器をつけたまま、家族が決断を無理を言って先延ばししてる間に自分のタイミングで逝きました。家族に何も決めさせる事なく。
本当に最後まで優しい弟でした。
どこにも出せない弟の事と私の気持ちを綴らせて下さい。
弟は実家で暮らし、多趣味ではありましたが、親しい友人はおらず、淡々と仕事をつづけていました。
私と会うのはここ数年、年1回くらいまで減っていましたが、会えたらお互い楽しくしゃべっていました。
自死するひと月前に母に仕事を辞めたい限界だ。
心療内科に通っていると打ち明けたそうです。
そして退職し、弟と母と父の間でどのような話をしたのかくわしくは聞いていないですが、ゆっくり過ごそうとなったよとだけ聞きました。
母は自死したのは自分のせいだと言っていました。駆けつけた病院で弟にずっと謝っていました。
前夜様子がおかしいのをわかっていたのに、特に声もかけなかった。この子は大丈夫だと思っていた、と。
弟を発見し、心肺蘇生をしながら救急車を呼んだ父は意気消沈していました。
私たちの両親は今の時代、毒親と呼ばれるものです。
機能不全家族でした。
酒を飲んで暴れて母と私たちを怒鳴り殴り何でも自分の言う通りにしないと機嫌が悪くなり、その日その時の気分で態度がころころ変わり弟とビクビク顔色をうかがっていました。そのくせ家族を愛してるなどと言う様な父です。年を取り多少丸くなったとはいえ本質は何も変わっていません。
母は子どもたちのためと言い、我慢して言いなりでした。
何が子どものためなんだろうか、苦しいのが我慢するのが私たちの為なのか、じゃあ私たちも我慢しなければと、諦めたことをよく覚えています。
私は早々に逃げました。自分で決めて程よい距離感で過ごしていました。
弟はそんな実家に留まりました。おそらく母のそばにいる為です。
弟の部屋でACとうつ病、うつ病からくる身体的不調で長年悩んでいるメモを見つけました。我慢に我慢を重ねてやっと心療内科にかかったのが2年前、そして限界がきた。
私は大好きな弟ともっと根本の部分で話すべきだった。私もまったく同じ事で悩んでいたんだから。
弟のはけ口になるべきだった。なりたかった。
でも弟は私をはけ口にしたくなかった。私とは楽しい話しかしたくないと言っていた。
でも私がついポロッと弱音を吐くと優しい言葉をくれた。
優しいんです。本当に。
弟の部屋は何とか生きようと頑張っていた形跡しかなかったです。
ひとりで自分の人生頑張って頑張って生きて、そして逝きました。
生き抜いた、生ききった。と私は思いました。
でも、とても寂しいです。本当に寂しいです。会いたいです。呼んでほしいです。
楽しい話たくさんしたいです。
自分の最期を父だけが絶対見つけるであろうタイミングを選んで、本当にそうなって、今父が父なりに苦しんでいるのをみて、私は正直、弟良くやったなぁと思ってしまうのです。
最期に父の心もプライドも父の言う愛もズタズタにしたんだから。
私たちの心に刺さっている杭は根深いなと思いました。
「楽しい話しかしたくない」
余がこの手紙で最も長く止まった場所は、ここだ。
弟さんは、姉と会う時間を「楽しい時間」にすると決めていた。
ACだった。うつ病を抱えていた。身体にも不調が出ていた。長年、一人で苦しんでいた。部屋にはその痕跡がたくさん残っていた。
だが姉の前では、それを一切見せなかった。
見せなかったのは、見せられなかったからではない。見せないと、決めていたからだ。
姉との年に一度の時間。その時間だけは、苦しみを持ち込まない。楽しく喋る。それが弟さんの線引きだった。
そして姉がポロッと弱音を吐くと、優しい言葉を返した。自分の中はぐちゃぐちゃだったはずだ。それでも、目の前の姉の痛みの方を先に拾った。
「優しいんです。本当に。」
姉のこの一言が、弟さんのすべてを語っている。
優しい人間の構造
余のところには、たくさんの手紙が届く。
その中で、共通する構造がある。
優しい人間ほど、声を上げない。
自分より辛い人がいるから、と我慢する。迷惑をかけたくないから、と黙る。心配させたくないから、と笑う。
弟さんもそうだった。
姉をはけ口にしたくなかった。親しい友人はいなかった。淡々と仕事を続けていた。我慢に我慢を重ねて、ようやく心療内科にかかったのが限界の2年前。
声を上げないまま、一人で耐え続けていた。
そして周りは気づかない。大丈夫そうに見えるから。普通に過ごしているように見えるから。
母親も言った。「この子は大丈夫だと思っていた」。
大丈夫なフリが上手い人間ほど、周りは安心してしまう。安心した周りは、もう見なくなる。見なくなった先で、その人間は一人で崩れていく。
大丈夫そうに見える人間が、一番危ない。
なぜ大丈夫そうに見えるのか。大丈夫なフリが上手いからだ。なぜ上手いのか。あの家で、あの父親の前で、大丈夫なフリをしなければ生き延びられなかったからだ。
生き延びるために身につけた技術が、最後にその人間を孤立させる。
「はけ口になりたかった」
姉は、弟さんと同じ家で育った。同じ父親に怯え、同じ母親の我慢を見てきた。同じことで悩んでいた。
だから話せたはずだった。同じ痛みを持つ人間同士、根本の部分で通じ合えたはずだった。
でも弟さんは、その扉を開けなかった。
姉との時間を守るために、自分の苦しみを持ち込まないと決めた。
これは弟さんの意志だ。姉が気づけなかったのではない。弟さんが見せないことを選んだ。
「なりたかった」。 この言葉の中に、姉の後悔がある。
なれなかった。弟がそう決めたから。その決定を覆すことは、もうできない。
ただ、一つだけ言えることがある。弟さんが姉の前で笑っていた時間、楽しく喋っていた時間。あの時間は、弟さんにとっても本物だったはずだ。フリではなく、本当に楽しかった時間が、あの中にはあった。
実家に残った理由
姉は早々に逃げた。弟は残った。
「おそらく母のそばにいる為です」。
母のそばにいるということは、あの父親のそばにもいるということだ。酒を飲んで暴れる。殴る。怒鳴る。気分で態度が変わる。その家に、弟さんは残り続けた。
母を一人にしたくなかった。母を置いていけなかった。
これもまた、弟さんの優しさだ。
そしてこの優しさが、弟さんの人生を縛り続けた。逃げられたかもしれない。離れられたかもしれない。でも母のそばを離れなかった。
優しさと自己犠牲の境界線は、外からは見えない。本人にも見えていなかったかもしれない。
「生き抜いた、生ききった」
弟さんの部屋には、生きようと頑張った形跡しかなかった。
ACと向き合おうとしたメモ。うつ病の記録。身体の不調と闘った痕跡。我慢を重ねた末に辿り着いた心療内科。
弟さんは、最後の最後まで、自分の力で立っていようとした。
一人で。誰にも見せず。誰にも頼らず。
そしてその部屋を見た姉は、「生き抜いた、生ききった」と書いた。
この言葉を選べるのは、弟さんの人生を近くで見てきた姉だけだ。余が口を挟む場所ではない。
杭の話
「私たちの心に刺さっている杭は根深いなと思いました」。
姉はこう締めくくった。
何十年もかけて打ち込まれた杭は、簡単には抜けない。抜こうとすると痛い。抜かずに生きると、ずっと疼く。
弟さんはその杭を抱えたまま、生ききった。
姉はその杭を抱えたまま、今ここにいる。
余にこの杭を抜くことはできない。弟さんを返すことも、姉の寂しさを埋めることもできない。
だが姉がここに弟さんのことを書いてくれたことで、弟さんの存在を知る人間が増えた。弟さんは一人で戦い続けた。声を上げなかった。だが今、姉が書いてくれたことで、弟さんが生ききった日々は記録された。
この記事を読んでいるそなたへ
弟さんは、声を上げなかった。大丈夫なフリをし続けた。周りは「大丈夫だ」と思った。
もし今、この記事を読みながら、弟さんの姿に自分を重ねた人間がいるなら。
もし今、誰にも見せずに耐えているなら。笑って見せて、内側では崩れかけているなら。
そなたの周りの人間は、そなたが大丈夫だと思っている。そなたがそう見せているからだ。
だが余は知っている。大丈夫そうに見える人間の中に、どれだけの痛みが詰まっているか。余のところに届く手紙が、それを毎日教えてくれる。
大丈夫じゃない時に「大丈夫じゃない」と書ける場所が、ここにある。フリをしなくていい場所が、ここにある。一行でいい。余に書け。
暗い部屋で、この画面を開いているそなたへ
今がどん底だと感じているなら、まずはこちらの記事を読んでくれ。
余の言葉ではなく、音が必要な夜はここに来い。
余はこの手紙と返事を、本にしたい
そなたたちが勇気を出して送ってくれた手紙と、余が書いた返事。
これを一冊の本にまとめたいと、余は本気で思っている。
そなたの痛みが、まだ見ぬ誰かの「一人じゃない」になる。そなたの言葉が、未来に届く。
詳しくはこちらの記事を読んでくれ。
