この息のできなさに名前をつけて
私はふだんから、呼吸が下手だ。
生理というより生きるための必須を「下手」で済ませてよいわけがない気もするけれど、ほんとうだから仕方ない。
脳が忙しいときや、こころが忙しいとき、呼吸は滞る。
とくに、圧倒的なものに出会うと、それは起こる。
息が、吐けなくなる。
吐けないから吸えなくなって、呼吸は浅くなる。
苦しくなって、なおさら吐けなくなり吸えなくなる。
誰か胸に針を刺してよ、ともがくけれど誰もそんなことはしてくれないので、どうにか自分で解決する。
具体的には、ろうそくを吹き消すように息をゆっくり細く吐く。
しばらくすると、治る。
……わたしやっぱり病気?
私見では。
病気というより、なにか脳の回路が価値の値踏みを間違えていて、生命維持活動よりも、創作的思考や感受性に多くを割り振っている。
そんな気がする。(あくまで私見です)
いいから病院へ行け、という声が聞こえる気がするけど、とりあえず先へ行こう。
この息のできなさは、何なのか?
ということを思索したかった。
たとえば、音楽に出会う。
音楽を聴いて、この身が震えるほどに響いてしまう。
たとえば、文章に出会う。
文字のならびの差し出されかたの、美しさと尊さに打たれてしまう。
受け止めきれないものをじゃばじゃばと注がれ、もう無理、溺れるし泣いちゃうし苦しい、となるこの感じ。
畏怖と感動とよろこびの混ざった、この生命の反応。
これを、なんと呼べばいいのだろう。
畏怖、感動、そんな言葉では足りない。
一次元では足りないのだからこれはかたちある現象で、こころに永遠に留まりもするから時間をも含んだ四次元のものだろうか。
それに名前をつけるなら?
つけたい、けれど。
自分よりすごいことに、名前なんてつけられそうにない。
受け止めきれないものを、なるべくこぼさないようにして受け止めるしか、できない。
泣かないで目を開けて。
ハンカチで口元を押さえて。
ゆっくり細く息を吐いて。
練習して、上手くなって、すこしずつ多くを胸に抱き留められるよう、努力するしかない。
大きなものの前に無力になるのはあたりまえで、そうでなければ嘘だから、恥じることはなく、それでいい。
それがきっとただしい。
つまりそれは、降伏に近い。
いのちが、じぶんの中心が、手をあげて盛大に敗北している。
けれどそれは不幸ではなく、呪いでもなく。
それをどうにか呼ぶとするなら――
純粋な祝福をおびた、敗北
結果、もしかするとそんなふうに呼べるのかもしれない。
それでも完全な気はしないし、この程度の思索で良しとすることも、なんだかおこがましい。
文字数もないので、今日のところはそういうことにする。
どなたか、わかる人がいたら、どうかこの現象に名前をつけてください。
あ、できれば病名以外で。
あわせて読みたい:
