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手製のパピルス紙でラブレターを

尊すぎる文章に出会ったとき、なぜだか私はエジプトに行きたくなる。
ビューンと、飛行機で。
ちなみに成田からカイロへの直行便は、調べたらあった。

エジプトに行って、なにがしたいか。
パピルス草を刈って、パピルス紙をつくりたいのだ。
手漉きというか、手織りというか、とにかく手作りの、人類最古の紙だ。
あれを、じぶんの手でつくりたい。
縦と横に繊維を重ねて、乾かして、石や貝で表面をこすってなめらかにする。
ていねいな手仕事だ。
心を込めて、敬意を込めて、それをやりたい。

なぜか?
……なぜだろう。
じぶんでもわからない。

よくよく考えてみると、とにかくひれ伏したくなるくらいに眩しい文章に出会ったとき、私は神様に会いたくなる。
神よ、どういうことですか、この文章は…! と問いただしたいのかな。
わからない。
そもそも私の神様って、エジプトにいるの? 太陽神ラーなの?
わからない。

もっとよく考えてみると、パピルス紙をつくりたくなる衝動が生まれるのは、たぶんヒエログリフのせいだ。
ヒエログリフは、古代エジプトのピラミッドやなんかに描かれた文字のこと。
私が触れたその文章があまりにも神聖すぎたとき、思わず脳が『神聖文字』であるヒエログリフを連想して、パピルス…と思う。
あるいは、その文章を書いた人のことをまるで神のように思う。
そのどちらかだろう。
(正確には、パピルスに書くのと石に刻む文字は違うのかな……私の読んだ入門書では同じ扱いだったけれど、くわしくは吉村作治先生に聞かないとわかりません)

とにかく、私がどこかでなにかの文章に立ちくらんで「ああ…!」と悶えるとき、私の脳は次のように思っている。

「この神聖な文章に向けて私がなにかを思うのなら、それはパピルス紙にヒエログリフで書かれなければならない……!」

私が文章に立ちくらんで悶えるときの脳内ボイス

そのくらい強烈に鮮烈に、神聖さに全身打たれてしまっている、ということなのかもしれない。

……大丈夫かな、私。
なんかすっごい直訳みたいな日本語になってるし、そんなことを思うのならちょくちょくエジプトに行かなきゃいけなくなるし、そもそもカイロに生えてるかな、パピルス草。
生えてたとしてもよ?
そこからパピルス紙をつくって、ヒエログリフでラブレターを書いて、素敵な文章を書くだれかしらに渡したりなんかしたら、ぜったいにヤバいやつだと思われて、嫌われちゃうよ……?

ああ……人生ってうまくいかないものですね。
どうしたら素敵にかろやかに、好きなものを好きだと言えるのでしょう。
こうなったらもう、手製のパピルス紙にヒエログリフで書いたラブレターを最高の愛の証と受け止めてくれる相手を探すしかないか……
えっと…古代エジプト人?
はっ、吉村作治先生…?!


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