愛の挨拶、タルタルソースを添えて
じぶんというものにとくべつな価値を見出だせないまま、長いこと生きている。
なんならマイナスのほうが多いのでは?と考えはじめると、もう思考は負のスパイラルに入るしかないので、早いところ解決策を生み出したい。
たとえば。
たとえば、あなたと私が食事に行ったなら。
そうだな、今日は気軽なお店で気取らない食事が良いななんて、なんでもあってビールも美味しい店に入って。
話が楽しくて、メニューなんて片手間で決めてしまうから、メニューのいちばん目につくところのミックスグリルとかそんなのを注文する。
それとも、今日は天気がいいから公園を散歩して、途中で芝生に座ってお弁当を食べるのも良いよねなんて、すこし良い仕出し屋さんのお弁当を持って行くのでもかまわない。
そんな、ちょっとうれしい食事のときって、なんでかわからないけれど、エビフライの登場する率が高い。
(エビフライ=うれしい、の構図がすごく昭和っぽいけれど、じっさい私は昭和生まれなのだから仕方がない)
タルタルソースがたっぷりとついた、しっぽの赤い、いい感じの大きさのエビフライ。
レモンのくし切りも添えられていたりして。
お好きですか?
エビフライ。
だったら、私の分も
召し上がりませんか?
いいえ、私はいいんです。
遠慮じゃなくて。
ほんとうに、いいんです。
だから、どうぞ、私の分も。
……だって、エビフライって、なんか
うれしいじゃないですか。
あると。
なのに、食べるとうれしくないっていうか
正直そこまで好きというわけでもないんですけれど
カロリーを摂るのに見合ってない感じがして
食べることよりも
そこにあることのほうが
うれしいってこと、ありません?
だったら、食べて「美味しい」って、しあわせそうな顔をしてくれる人に食べてもらうほうが、よほどうれしい気持ちになれるし
「あげる」って言うと、人って
「ほんとに?」って
大人でも急に子どもみたいな顔になるから
エビフライが倍になった人の顔
それはもうほんとうに可愛くて
それを見られるだけで
もうじゅうぶんって気がして
だから、そんな顔をされるとつい
私の人生のエビフライはぜんぶ、あなたのもの
って言ってみたくなる。
無邪気にでも、遠慮がちにでも、驚きながらでも、とにかくしあわせそうな顔で受け取ってくれるのならば、人生で出会うエビフライくらい、誰かに分けてしまってもいいかな、と思う。
そんなちいさなお品書きをひとつじぶんに足してみる、そんなささやかなお話。
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