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音楽は見える

玄関先にCDが届いて、うれしく胸に抱く。
品名のところには「CD」じゃなくて「ベートーヴェンの何番」まで書いてあって、配達員さんも「ほほう、ベートーヴェン」と思ったに違いない。
そうなの、ベートーヴェンなの。
いいでしょう。

ちゃんとコーヒーを淹れて、ねこにもちゃんとご飯をあげてから、聴きはじめる。
ライナーノーツを浮き輪にして、夢のようにただよってみる。
よく知らなくても聴こえないってことがないのが、音楽の偉大。
本なら途中で投げたらおしまいなのに、音楽はむこうからやってきて私を駆け抜けていき、終わるまで終わらない。
受け取る速度も、むこう任せ。
こんな乱暴でやさしくて圧倒的な芸術、他にあるかな。

まるで、元気のないときにそれを察して無理やり誘い出してくれる友人みたいだ。
頼んでもないのにご飯を作ってくれたりして、それが気分に合っていなくても食べれば美味しくて笑える。
自然と明るいいまに運ばれて、自分ではどうやって来たかも分からない場所に、いつのまにか立っている。
ひとりでは来られなかった景色の中にいて、空を見上げていたりする。
空は高くて明るくて、雨の心配もない。
よくわからなくても、ここが良い場所だということだけは、わかる。

どうやって来たか?
音楽を胸に抱けば、きっとそれだけで叶う。
古い友人のように思えば、なおいっそう親しく細やかに具体的に、音楽は見える。
立ちのぼる色や質感は、きっとすでに在って、眠っていた私たち固有のもの。
だからそれぞれ見える景色は違うのだけれど、みんな同じひとつの場所を見ている。
そんなすごいことが、どうして起こるのだろう。
まぁ、理解がおよばなくてもいっこうによいのだけれど、こうして聴こえて、見えるのならば。

他言語のオノマトペを聞いても、なんとなく大きいとかやわらかいとか、ニュアンスが伝わることがけっこうあるのだと聞いた。
そんなふうにぜんぶを越えた共通言語みたいな要領で、音楽は私たちにこの景色を見せてくれるのだろうか。
色を想起させる音、水や風の流れをあらわすスピード、郷愁を誘う旋律、そんな私の知らないひみつのレシピで、曲は作られているのかもしれない。

作曲したときどんな景色を思い浮かべていたか、ベートーヴェンに聞いてみたい。
それきっと、こんなじゃない? って、当ててあげたらうれしいんじゃないかな。
でも、ぜんぜん違ってたら喧嘩になったりして。
そしたら、そんなこと言うならもう聴いてあげない! ってむくれるんだけど、あとでひそかにそっと聴き直すんだろうな私。
……なんの妄想、これ。


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