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第2部_#19 100円のシャーペンから、孫正義の『最高』まで。——雪の記録

1966年。
東京・広尾で生まれた。


二十一歳。
内装業界に入った。

——ものすごくいい加減に。


もともと、
雪は学校が嫌いだった。

学校を休んで、
ラフォーレのセールに並び、

an anを読んで、
マガジンハウスの
パーティーに潜り込んで、

六本木の
「玉椿」に出入りしていた、

そんな高校生だった。

友人によれば、
雪はいつも
先生に叱られていたらしい。
けれど、
雪にはその記憶が一切ない。


高校卒業後。
スタイリストを目指して
小さな事務所に入る。

月給三万円。見習い。

そのスタイリスト事務所は偶然、
博報堂写真部の関連会社だった。

一流の現場を間近で見た。
でも、二年で辞めた。

(ここじゃない)

そう思ったから。


そして、二十一歳。
内装業界に入った。

バブル初期。
——かなり適当だった。

友人の友人の彼氏という人が、
とらばーゆに募集を出したけど、
誰も応募が来ない。

「会社に顔が立たないから」
と頼まれて、
普段着で面接に行った。

エントランスの
コルビジェのソファに座り、
面接を受けた。

「図面なんて書けないし」
「イメージ暗いし」
失礼なことを言った記憶がある。

そこに、
経理の綺麗なおばさん(社長夫人)が来た。

「お給与どのくらいもらってたの?」

「六万円です」

「うちは十二万よ」

——倍?

——はい、入社。



製図版ってなに?

トレース?

百円のシャーペンで、
素人が線を引いた。

これが、雪の原点だ。


雪の担当は
子供服の『papp』。

北海道から九州まで、
全国の百貨店を飛び回った。

この時の上司が天才だった。

周りの店舗が
2週間かけて造作する中、

彼は工場で作ったパーツを、
現場で組み立てるだけの
システムを構築していた。

だから、現場はいつも、
朝搬入して夕方には終わっていた。


通常、
内装の世界では「図面が絶対」だ。

現場の職人さんたちが、
四苦八苦して帳尻を合わせる。

だが、彼のシステムは違った。
部下から実測寸法を聞いて、
「ここで、こう納めよう」
さらっと「スケッチ」を描いた。

図面に合わせるのではなく、
現場に合わせる。

図面は百貨店の
内装管理室への提出用なだけ。

だから、
素人の雪でもよかったのだろう。

この逆転の発想は、
ソフトバンクショップのマニュアルに大いに生かされた。

総務のおばさんは、
雪に雑巾の絞り方を何度も教えた。


現場に女性はいない時代、
若い雪がいた。

百貨店の管理室は、
陰湿な嫌がらせを受けた。

でも、職人さんたちは違った。

雪を「お嬢」と呼び、
ドリルの使い方も、
納め方も、逃げ方も、
全部、現場で教えてくれた。

やる気なんてなかったのに、
気がつけば、
めちゃくちゃ楽しんでいた。


二十三歳。
大手ファッションメーカーが
新設した店舗開発部へ。

かっこいいお店を
デザインすることに燃えていた。

しかしそこには、
時代錯誤な設計の長がいた。
三十を過ぎたばかりの。

「コーヒー飲まれますか?」
と聞けば、

「飲みたいかどうか聞くな」
「今、コーヒーを飲みたいだろうなと想像しろ」

言い終わると、こちらを見る。
笑っている。

(……知るかよ。)


事務所のエレベーター前にわざわざ呼びつけて、
「ダスキンのカーペット、三日前からめくれてるよね。なんで直さないの?」
また、同じ顔でこちらを見る。

(……お前が直せよ。)


—— 一年で、限界が来た。

ここには、何もない。


辞表を出し、雪は言った。

「そんなにコーヒーが飲みたいなら、お母さんでも連れてくれば!」

一秒の迷いもなく、背を向けた。

……後日談がある。
それから約十年後、
あの世界最大級の家具倉庫
『アビタサローネ』
オープニングパーティーに、
雪は、ホスト(主催者)として
立っていた。

会場は、
招待客で埋め尽くされていた。

その人混みの向こうから、
ヤツは来た。

やけに馴れ馴れしい、
昔からの仲良しみたいな
無邪気な笑顔で言った。

「まだ『真鍋』さんなんだね」
(……はっ?)

間を置かず、勝手に続ける。
「……過去は流そう。な?」

(ヤツが私に強要した、無意味なお茶汲みのことか?)

(それとも、雪がヤツに叩きつけた辞表のことか?)

当然のように肩に手を置き、
逃げ場を塞ぐように
右手を差し出してきた。

雪はホストの役割として、
指先だけを出した。

触れたくなかった。
それでも、
向こうはしっかりと握ってくる。

(きぃもぉー!)

握手なんて、
しなければよかった。


二十四歳。
雪は青山にある
小さな設計事務所にいた。

後に「ふーちゃん」
と出会うことになる。


二十六歳。
フリーのデザイナーとして
適当に生き、
バックパックひとつで
海外を巡っていた。

そしてタイで、
数ヶ月間、
大丸百貨店の設計をしていた。


二十八歳。
雪は、タイに行かせてくれた
内装会社の正社員になった。

——後に、表参道の現場で
雪を支えることになる、
あの元社長の会社だ。

当時の社長は、
社員が作ったプレゼンボードを、
「違うー!」と怒って、
バリバリに折る、熱血だった。

デザイナーも現場も、
みんなが熱かった時代。

——修羅場は日常だった。

いいものを作りたい、
その想いはプロだからこそで、
雪は修羅場を楽しんでいた。


そんな空気の中で、

すぐに、大きな仕事が来た。

仙台の郊外にある「ジャスコ」
新築、一店舗の設計。

今の「イオン」が、
まだその名前で
日本中を駆け抜けていた頃の話だ。


デザイナーは、雪一人。

周りの目は冷ややかだった。
若い女に、
こんな巨大なプロジェクトができるわけがない。

雪は、年齢より若く見られていた。
もう二十八なのに、 まだ「若い女」だった。


その重圧は、
容赦なく肩にのしかかった。

毎朝、
鏡の中の自分を見つめて、叩き込む。

「できる。できる。できる。」


その設計のひとつに、
「フードコート」があった。

雪は、タイの業者と組み、
今までにない
フードコートをつくろうとした。

だが、社長は止めた。

「タイで、できるわけがない!
リスクが大きすぎる。ダメだ!」

雪には、
何ができないのか、
わからなかった。

日本の業者も、
タイの業者も同じでしょ。

お正月休み、
勝手にタイへ飛んだ。

「いける」

それだけは、
はっきりしていた。


1990年代半ば。
まだ「インターネット?」という時代。

社長室の前に置かれたPCで、
タイと通信し、
進行を確認していた。

あれだけ止めていた社長も、
「すごいなー」と呟いた。


やがて、
タイから巨大なコンテナが届いた。

現場はざわついた。


そして——完成した。

今までにないフードコート。

ジャスコの店舗開発の部長が、
思わず唸った。



百円のシャーペンから、
二十年後。

表参道で、
孫正義氏にこう言わせることになる。

「最高だよ」


雪は、組織に馴染めない
「ダメな人」だった。

でも——
その「馴染めなさ」こそが、
最強の武器だった。


同じように、
会社で浮いている人へ。

ダメじゃない。

むしろ、そのままでいい。



明日は、あの表参道が全国に広がる、

▷ 第2部_#20(連載完) 全国600店舗マニュアル−『私がルール』


この物語が、今どこかの暗闇で息を潜めている方たちの、そして自分を失いかけている「誰か」の救いになりますように。

この物語は、雪の記憶と視点に基づいており、
登場する組織や人物の描写は、その時の受け止め方によるものです。

雪の不器用で必死な歩みに何かを感じていただけたら、「スキ」や「フォロー」、「コメント」で応援していただけると、とても心強いです。


『ソフトバンク黎明期・孫正義を唸らせるまで──35年間の全記録 真鍋 雪』



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