転シバ 第15話:さよならアンちゃん(未来)
もしも何度生まれ変わっても、
わたくし──あなたの柴犬でありたい。
涙も笑いも、全てが“家族”という名の宝物ですわ。
だから、今度こそ……
最初から、最後まで、ずっと一緒に。
金剛山のふもとにある、あの静かな家は今も変わらずそこにあった。
けれど──季節は巡り、年月は流れ、家の中も、そこに生きる人々の姿も、少しずつ、けれど確かに変わっていた。
あいこはもう中学生ではなかった。
年齢は二十七歳。
ウェディングドレスの仮縫いを終えたばかりで、鏡の前でふっと微笑む。
セーラー服姿でツッコミを入れていたあの頃が、遠い夢のようだった。
その指先に光る指輪。
相手は木村作太郎──キムサク。
あの天然癒し系美少年も、今では落ち着いた青年へと成長していた。
整った金髪のウェーブは昔と変わらず、あのころのままの優しい目で、あいこを見守ってくれている。
「本当に、結婚するんだな……」
ふと呟いたあいこに、窓の外から柔らかな春の風が吹き込む。
その風の匂いに、思い出す。
あの毛並み。
あの声。
あの、ツンと澄ました顔の奥にあった、不器用な優しさ。
──アンちゃん。
「……久しぶりです、アンちゃん」
小さな古びた庭。
桜の木の下に、陽だまりに包まれた木製のベッドが置かれていた。
そこにいたのは、年老いた一匹の柴犬だった。

赤いリボンはまだ首元に巻かれていた。
毛並みは白く混じり、体はずいぶん小さくなっていた。
それでも、気高さと誇りを宿す瞳は、あの頃のままだった。
「あら、あいこ。来てくれましたの?」
アンちゃんの口調は昔と変わらない。
けれど、その声は少しかすれ、まぶたの奥に微かな疲れがにじんでいた。
「……そっちこそ、まだそんな口調なの?」
「当然でしてよ。わたくしは……最後まで、悪役令嬢としての矜持を捨てませんわ」
そう言いながらも、アンちゃんの口元がふっと緩む。
あいこは、そっと隣に座った。
夕暮れの陽光が、アンちゃんの横顔を金色に染めていた。
「結婚式、来月なんだ」
「あいこも……立派になりましたのね。あの頃の、ピンク髪の暴れん坊が……」
「ちょっと誰が暴れん坊よ」
ふたりはしばらく、笑った。

その頃、リビングでは父・忍が難しい顔で何かを考え込んでいた。
「結婚式……まさか作戦コード“ホワイトヴェール作戦”が動き出す日とは……」
「忍さん、結婚式は平和な日です〜。作戦じゃなくて愛です〜」
ソファに座ったまま、静花がトンチンカンな笑顔を見せる。
「静花、油断は禁物だ。バージンロードに地雷が仕掛けられている可能性は?」
「ゼロですね〜。そんなの仕掛けたら牧師さん爆発します〜」
「……くっ、やはり貴様、敵か!」
再び庭。
何も言わなくても、言いたいことは伝わる。
だけど今日は、どうしても言葉にしなければならない気がして──あいこは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「……ずっと、言えなかったけど。ありがとう、アンちゃん」
「……っ」
「私、あなたがいてくれてほんとに救われた。ツッコミばっかしてたけど、ほんとはずっと、感謝してたの。あなたが……私の家族でいてくれて、ほんとに、ほんとに嬉しかった」
アンちゃんは目を細め、しばらく空を見上げていた。
春の風が、赤いリボンを揺らす。
「わたくしも……幸せでしたわ」
「……」
「転生して、家族に迎えられて、あなたのそばにいられて……わたくし、悔いはありませんわ」
その言葉のひとつひとつが、穏やかに、しかし深く心に降りてくる。

アンちゃんの体が、少しずつ光に包まれていく。
「アンちゃん……?」
「これは、わたくしなりの……最後のご挨拶ですわ」
あいこは泣いていた。
どれほどツンデレな彼女でも、もう隠せなかった。
声にならないまま、アンちゃんをそっと抱きしめる。
「だいすき……だよ」
「わたくしも……あなたのこと、大好きですわ」
──最後の言葉。
──最後のまばたき。
そして──静かに、アンちゃんは光の粒となって、春の空へと消えていった。

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ひと月が経ち、結婚式当日。
白いチャペルに、参列者たちの拍手が響く。
あいこはウエディングドレス姿で、キムサクの隣に立っていた。

嬉しさと寂しさがまじり合うような、微笑み。
横には両親──銀髪の元スパイ・忍と、天然美人の静花が涙をぬぐっている。
「いや待て……この式場、空間構造が不自然だ。もしかして隠し通路が──」
「忍さん、神父さんにケンカ売らないでください〜」
祭壇の前、牧師が静かに問いかけた。
「あなたは、木村作太郎を、永遠に愛し続けることを誓いますか?」
その瞬間だった。

──ガチャッ!
教会の扉が、勢いよく開いた。
「その結婚……ちょっと待ったですわ!!」
「……え?」
ざわめく会場。
扉の向こうにいたのは、生後1ヶ月ほどの小さな柴犬。
首には、見覚えのある赤いリボン。口には……バラの花!
「わたくし、あいこと作太郎の結婚が気になって、転生してきましたですわ!!」
空気が凍りつく。
「一からやりなおしていただけますかしら?」
「ツッコミどころ多すぎるわぁあああああああ!!」
あいこの絶叫が、チャペル中に響き渡る。
だがその叫びのあと、誰よりも大きく笑ったのはあいこだった。
作太郎も、牧師も、家族も、参列者も、皆が笑っていた。
そして子犬のアンちゃんが、とてとてと駆け寄ってきて、バラの花をあいこの足元にそっと置く。

その目は涙を浮かべながらも、誇り高く、穏やかだった。
「……また、家族になったんだね」
あいこがそっと抱き上げると、アンちゃんはくすぐったそうに身じろぎしながら、にこっと微笑んだ。
「ええ、もちろんですわ。今度こそ……最初から、最後まで。ずっと一緒ですわよ」
──終わりではなく、始まり。
この物語は、また一つ新しいページをめくったばかりだった。
The END
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