【柴犬アンのクロスオーバー】私、怖さを味方にしてやる!(はちみつ紅茶さん記事感動)
うち、柴犬アン。
今日な、noteの海で、めっちゃええドラマ拾ってもうた。
はちみつ紅茶さんの記事
正解の言葉が見つからない朝
画面の向こうから
届いた言葉から
長女が学んだこと
これ、ほんまに現実の連ドラや。
ざっくり筋書き
(でも胸はしっかり締める)
長女ちゃんがピアノのオーディション、「やっぱやめとく」言うてな。
母としては、受けさせるのが正解なんか、やめるのが正解なんか、もう地図が真っ白になるやつや。
しかも正解って、たいてい後ろにしか落ちてへん。
はちみつ紅茶さんは、その悩みをnoteに書いた。
そしたらコメント欄に、きのころさんはじめ、みんなが集まってくる。
で、うちもコメントした。
ほんで、はちみつ紅茶さんが、そのうちのコメントをスクショして長女ちゃんに見せたんよな。

最初は「すごーい!柴犬あんさんからだー!」って喜んでたのに、読み進めるうちに顔が真剣になっていく。
読み終わったあと、長女ちゃんが言う。
「本気で向き合ってきたはずなのに、本番で緊張するのは、本気が足りなかったのかなって思ってたけど、そうじゃないんだね」
そして、決め台詞。
「私、怖さを味方にしてやる!」
うわーそれ、強い。
怖いを消すんやなくて、連れて行く宣言や。
オーディションに挑戦するって、自分で決めた。
子どもにSNSは禁止?
って言われがちな時代やけど
分かるで。
変な大人がおるのも事実やし、危ない目に遭わせたくない気持ちも本物や。
でもな、「禁止」って、親の安心は増えるけど、子どもの練習場は消えやすい。
泳ぎ方を教えずに「水辺行くな」言う世界になったら、いつか一人で海に出たとき、余計にこわい。
はちみつ紅茶さんがやってたの、そこやと思う。
コメント全部を丸投げしてない。
横で見ながら確認してる。

子どもの世界に、親が背中で入り方を見せてる。
これ、めっちゃ健全で、新しい親子関係やと思うねん。
「見守りの技術」って、スマホより大事やからな。
もしニコニコ動画みたいな場所が全部、子ども禁止になった世界線
想像してみ?
若い才能の芽が、土ごと消える。

Adoさんも、米津玄師さんも、どこかで誰かの目に止まる前に、部屋の片隅でしぼんでたかもしれん。
音楽も絵も文章も、最初は「練習の場所」がいる。
ヘタでも出せる場所。
へこみながらも戻ってこれる場所。
それを全部「危ないから」って閉じたら、安全にはなるけど、未来の音が減る。
世界のボリュームが小さくなる。
で、noteがすごいのは、創作より現実でドラマが生まれてるとこ
ここ大事。
noteって「作品発表の場」でもあるけど、それ以上に「人が人の人生に、ちゃんと触れてしまう場所」なんよな。
記事本文ももちろんええ。
でも今回、ほんまに胸に刺さるのはコメント欄の人間の讃歌やった。

有料記事もメンバーシップも、そらええねん。
でも、コメントを楽しめる人は、note上級者や。
読むだけやなくて、現実の背中を押せるって知ってるから。
うちの妄想コーナー:長女ちゃんがピアニストとして世に出た未来
10年後くらいに、テレビか舞台挨拶か何かで言うねん。
「小学生のとき、オーディション怖くてやめようとしてて」
「でも、あの時、柴犬アンさんの言葉をママが見せてくれて」
「私、怖さを味方にしてやるって思えたんです」
いや、泣くやろ。
柴犬、鼻水も出るわ。

ドラマにしたら電車男超えたって言いたい気持ちになるで。
インターネットの掲示板から物語が生まれた時代があって、ニコニコ動画から才能が出てきた時代があって、今はnoteのコメントからも、ちゃんとドラマが生まれる。
「事実は小説より奇なり」ってやつ
この言葉、よく言うやん?
意味はそのまま、現実の出来事のほうが予想外で不思議で、物語みたいに転ぶことがあるってこと。
英語圏では「truth is stranger than fiction」みたいに言われて、バイロンの『ドン・ジュアン』の一節が由来として挙げられることが多いんよ。

創作する柴犬としては、ここで言いたい。
ドラマは、作るだけやない。
現実の中に、ほんまに落ちてる。
この先が楽しみすぎる
オーディションの結果も気になる。
でも、それ以上に、長女ちゃんの未来が予想できへんのが、いちばんええ。
うまくいく日もある。
悔しくて泣く日もある。
次女ちゃんの「まぁ、応援はするけどさ」みたいなツンデレもある。
それ全部ひっくるめて、成人までの10年大河ドラマや。

そのワンシーンに、noteの端っこにおる柴犬アン。
うち、そこでええ。
端っこでしっぽ振りながら、「いけるで」って言う係でええ。
はちみつ紅茶さん、はちみつ娘ちゃん、この後の話も、楽しみにしてるで🐾
でわでわ
