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あかね噺-第132席・思い出す-感想

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金曜日の就業時間直前に、伝達漏れの不備が見つかり、火曜日までに修正しないといけなくなって、連休が無くなり忙しい、こういうのは「HAKUTAKU」には出ないんだろうなと思いつつ、終わらせたので感想を書いていきます。
時間が無いから、短めですがよろしくです。

◆あらすじ


週刊少年ジャンプ 2024年10月28日発売 48号 

うららから語られる1964年。始めて一生と志ぐまとの出会ったエピソードが語られる。

◆感想


じらすかな?と思っていたけど、割とすんなり過去編が始まりました。昭和の空気感を感じる画面構成が素晴らしかったですね。
今回は、1964年・実存主義、について書いていきます。

1964年
誰もが思ったのは1964年で10代って事はうららは70代後半?って話。うららが美魔女的なノリはギャグ的に扱ってきてて、それはそれで面白かったけど、すごく良いシーンが、うららの見た目との違和感で話に集中できなかったのは残念でしたね。
あれはまだ若かった頃とか、いくらでも誤魔化しようはあったと思うけど、1964年という年が重要な意味があるのかもしれません。

では、1964年には何があったのか?それは東京オリンピックと新幹線の開通です。日本が戦後の貧しい時代から高度経済成長が始まった年です。

一生も志ぐまも1945年以降の生まれに見えるので、終戦直後の生まれなので、いわゆる戦災孤児では無いようですが、戦後の物がない時代は、こういう貧乏な子供が沢山いたようです。

この過去編で、新幹線やオリンピックが重要な役目を担っているのかもしれません。

もう一つ、この年の1年前の1963年に落語界に一つの出来事があります。
それは柳家小ゑんが真打になり立川談志になった年です。「あかね噺」に変換するなら、柳家生禄が阿良川志ぐまになった年になります。
「あかね噺」では、一生も志ぐまも、柳家生禄時代に弟子入りしているので、この変換はおかしいのですが、そういう時期に、うららと志ぐま達が出会い落語の道に進んでいく事になります。
ちなみに、「笑点」が始まるのは1966年。この2年後に立川談志によって作られて、いまだに続いていると考えると凄いですね。

実存主義
明るく直情型の志ぐまと、クールで思慮深い一生が対称的な2人ですが、蕎麦屋で働いているようで、一生と志ぐまの前座時代の名前、生そばと禄ゑんというのも、蕎麦屋から来ているのかもしれません。
予想通りに仲のいい二人ですが、この後どうなって現在につながるのか?二人の仲違いまで書くとなるとかなり長い過去編になりそうです。

まぁ仲違いでは無く、先代志ぐまと一生達との関係が分かれば、あかねの聞きたい事はある程度わかる気もするので、そこまでしか書かれないかもですけど。

この時に一生が読んでいる本が「実存主義」という本です。
気になったので、調べてみました。

実存主義とは「生きる道を自分で切り開く、今ここにあるひとりの人間の現実存在(=実存)としての自分のあり方」を求める思想で、私たち一人ひとりの存在に焦点を当てた思想です。

それまでは、真理とは普遍的な物と考えられていましたが、それを理解できたとて、すべての人に当てはまる事は無く、それで幸せなれるとは限らない。
個人の生き方を追求していく考え方です。
哲学者のサルトルは「人は生まれた瞬間から、こう生きるべきと決まったものは無く、自己の判断によってアイデンティティが決まる」と語っています。

これに対して、「私たちの思考や行動は、所属している社会や文化によって決められている」と考える構造主義の登場とともに実存主義はすたれていきます。

しかし、芸術などの自己の表現をする人たちの中では、この「実存主義」的な思想は大事なので、落語家になる一生が自己の主体性の表現について書かれた本を読んでるのは納得だし、落語協会や会場の雰囲気を無視して、破門や魁生の昇進などを行うのも「らしい」と思いました。

自分の考えのみを信じてそれに従う一生は実存主義的だし、周りとの関係を大事にし、多趣味で社会や文化に影響を与え与えられる志ぐまは構造主義的と言えます。

こういう物をさりげなく入れる所に上手さを感じました。まぁ聞きかじりなので解釈が正しいかはわかんないけどね。


とりあえず、一回どこかであかねがうららに思いっきり突っ込んでくれれば、ギャグとして流せるので、次回あたりに軽く突っ込んで欲しいけどね。60代ぐらいなら美魔女!って感じだけど70代だと波紋使いみたいな事になって話が入ってこないんよねって事で感想を終わります。
でわでわー。


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