暗闇,音響,光の異世界へ -BRIAN ENO AMBIENT KYOTO[京都中央信用金庫 旧厚生センター]
アートを観始めてから、瞬時に難なく作品世界に没入してしまう場合と、先に進めず自分の中に「保留」として残る作品があることを実感している。
例えば、モネの「睡蓮」の「中」にはすぐ入れるし(これは賛同してくれる人が多いかも)、草間彌生のアートに対しては、わたしは身体感覚としての共感がある。
その反対に、距離、隔たり、自分のなかのどこにおけばいいのか判断に迷って保留となるのは、例えばロスコの壁画。そこに癒しがあるのに、足元にぬかるみがあって近づけない。犬島精錬所美術館は「三島由紀夫×近代日本」を難しく捉えすぎてしまい、3回ほど訪れて「いや、最初の印象でよかったのだろう」となった。

ちなみに「小難しくて理解する気が起きない」「生理的に難しい」「興味がわかない」は「保留」箱を素通りして消えてしまうので、「保留」に入れた作品は、時間をおいて咀嚼していきたいもの、ということになる。
まあ、わたしの中で起きていることにすぎない、超個人的な分類だ(ちなみに「保留」のナンバー1は、直島・地中美術館の、ウォルター・デ・マリアの作品「タイム/タイムレス/ノー・タイム」 だ。こちらについては、いつか「わかった」ことを書いてみたい)。

前置きが長くなったけれど。京都でBRIAN ENO AMBIENT KYOTOを鑑賞する機会を得た。この体験は「保留」箱入りになるのではないかと思う。

■建物全体に展開される大規模インスタレーション
まず、ENOとは何者か?から。
❶ ヴィジュアル・アートのパイオニア
音と光がシンクロしながら途絶えることなく変化し続ける空間芸術。 イーノが提唱したこの「ジェネレーティヴ・アート」は、ヴィジュアル・ アートに革命をもたらした。
❷ アンビエント・ミュージックの創始者
興味深く聞くことも、聞き流すことも、無視することもできるという、あらゆる聞き方を受容する「アンビエント・ミュージック」。それは発想の転換であり、20世紀の音楽文化におけるもっとも重要な革命のひとつ。
❸ アクティヴィスト
よりよき社会を目指して早くから社会的活動を行ってきたイーノは、 気候変動問題の解決を目的とした慈善団体「EarthPercent」を新たに設立。本イベントも収益の一部を寄付。
earthpercent.com
❹ 歴史的大プロデューサー
デヴィッド・ボウイ、U2、コールドプレイと手掛けた作品が世界的大ヒット、そしていずれもが音楽史に名を残す名盤に。イーノは常に大衆文化との接点を大切にしつつ、そこに自分の芸術性を融合させることも忘れない。
❺ トリビア Windows95 の起動音の制作、新小惑星 に「イーノ」の名が冠される。
上に引用したように、ヴィジュアル・アート、アンビエント・ミュージックで先頭を走り、アクティビストであり、Windows95の起動音制作(!)という活動から、ENOとは意外に身近な存在だということわかる。
そして今回は、90年の歴史ある建造物、京都中央信用金庫 旧厚生センターを一棟使った大規模なインスタレーション展となる。


■炎天下の京都から、音と光の異世界へ

建物内は遮光され、さまざまな方向からアンビエント・ミュージックが流れている。これ自体が、『The Lighthouse』という作品だ。通路や階段、化粧室の中にまで浸透しており、建物の中にいる限り、『The Lighthouse』を鑑賞して(に、包み込まれて)いることになる。
日本初公開となる『The Lighthouse』は、展覧会の作品『Light Boxes』と『Face to Face』に加え、Sonosスピーカ ーを通じて会場内の廊下や階段、化粧室などで流れるオーディオ作品です。各展示や会場内をシームレスにつなぐことで、 どこにいても音を体感できます。

「どんな」展覧会か、を語る最適な言葉が概要にあったので、再び引用する。
興味深く聞くことも、ただ聞き流すことも、無視することもできるというリスナー主体の、あらゆる聞き方を受容する「アンビエント・ミュージック」。その創始者イーノは、インスタレーション展においても、観客のあらゆる接し方を受容する空間を作り上げた。絶え間なく変化し続ける音と光がシンクロする空間において、観客は、いつきたのか、部屋のどこにいたかによって他の誰とも違う体験をすることができる。この観客が主体となるインスタレーション展は、その空間のその時にしか体験できない、参加型のインスタレーション展だ。
観客は階段、通路を自由に行き来し、展示室に入って作品を鑑賞する。
それは、例えば、靴を脱いで暗闇の中に座り、ときには暴力的な音に包み込まれる『The Ship』、実在する21人の人物の顔写真が3枚ずつ投射され、それがなぜか別の人の顔に変わっていく『Face to Face』、暗闇の中のカウチに身を任せながら、まるで万華鏡か曼荼羅のように光が交差するのを愉しむ『77 Million Paintings』、と多彩だ。


内容は絶えず変化するので、どこで切り上げるのかは鑑賞者に任される。心地よかったり、鑑賞からついつい、自分のなかの考え事を掘り起こしてしまったりすると、退出するタイミングを失いそうだ。
■「ぐらぐらと揺らぐ自己」を愉しむ
一度、すべてのアートを鑑賞し、しかしまだ去りがたかったので、2階に設けられていた休憩室を覗いてみた。そこは館内と同じように照明が落とされており、ENOに宛てたメッセージを書き込めるノートも置いてある。
「私には言葉が見つからない。私はこの体験について、これから深く考えることになると思う。それは、あなたのアートが素晴らしいものであるという証拠であることを意味する」みたいなことを、書き込んだ。


感想はと問われれば、ノートに書きこんだとおりだ。ただの思わせぶりな音と光、と退けてしまうこともできるかもしれないが、いやいや待てよという自分の声もする。
自分が丸ごとアートの中に放り込まれ、その中でぐるぐるかき回されて放出されてきたような感覚がある。すごいカタストロフィがあったわけではないし、感動してテンションが上がったわけでもないのだが、静かに何かに満たされたというか。謎だ。
外に出れば、そこは相変わらず炎天下の京都。なんだか非常に遠いところまで旅して戻ってきた、という感があった。

