分析的アンチワーク哲学⑦
◻︎あえて緊縮財政派になってみる
まずあらゆる経済指標には最適値が存在する。緊縮・反緊縮の立場によらず、この最適値に近付けようとしている。以下の分類から程度問題として緊縮・反緊縮はあると想定できる。
0:国債という制度自体を廃止すべき
〜
10:いいから黙って金刷って配れ!
今noteで見られる緊縮財政派は0ではない。彼らは赤字国債を悪と見做すが、国債という制度そのものを廃止すべきとまでは考えていない。つまり、国債発行額や累積額には最適量が存在し、これを超えていると主張している。
ということは、自ずとその数値化を行う必要があるが、chatGPTに聞いたところそのような論者が緊縮財政派にはいないらしい。これは問題だ。……だったら私がその数値化を行う緊縮財政派になってやる。
ともかく、
1:国債という制度自体は必要だが、その額は少なければ少ないほど「よい」
〜
10:いいから黙って金刷って配れ!
の中に、経済学的な主張は内包されている。その上で1に近い主張であるが故に具体的数値化をしていないのだと思われる。
緊縮反緊縮の位置関係はおおよそこんな感じ。
※少なくとも、私やchatGPTによる検索は0ほどの緊縮論者を認識したことがない。
0.国債廃絶論:国債という制度をそもそも使うべきではない。政府は常に黒字でなくてはならない。
1.政府黒字論:国債制度は必要だが、発行額は小さければ小さいほどよい。政府黒字だとなおよい。
2.歳入歳出均衡論:過去に発行した国債総額も気にするが、それは置いといても、税収で利回りも賄えていればよい。
3.プライマリーバランス論:よくある緊縮論。ただし、これも緊縮財政派のなかでは現に達成しそうにあるという点で現実的なほうである。
4.債務対GDP比論:債務対GDP比が安定すればよい。
5.純債務対GDP比論:この立場からすれば日本の消費税増税は財政悪化を招いており、消費税減税したほうが財政が安定するように映るはずだ。1997年の消費税増税によって財政悪化した論者(景気が悪い時に増税するともっと財政が悪化する)などもこのあたりもここに入りそうだ。
6.インフレになってもすぐには増税できない論
→事実としてのMMTを認めるが、政治手段としてのMMTを認めない立場。
→割とこれが今の主流かも知れない。
7.MMTを支持するものの、円安を気にする立場。
→今よりも減税が必要と捉えるが、他国から信用は必要であり、円安になり過ぎてはいけない。
8.一般的なMMTer
→国債発行額は制約ではなく、供給が正味の制約である。
9.税最小化論者
→私はこの立場だと思われる。基本的に税率は低ければ低いほどよく、より低い税率でより多くの歳出が可能になる状態が理想。真に必要な歳出は全て出し切るべきであり、それを渋るほうが危機を招く。
→ただし、中長期的な税の最小化を目指しており、必ずしも短期には限らない。
10.いいから黙って金刷って配れ!:アンチワーク哲学のそのラディカルな部分。最大月14万円くらいBIを実現するために国債発行する。それ以上も検討できる。
その上で恐らく、私は4〜6あたりを相手すべきであり、1〜3とは緊縮・反緊縮それ以前のことから話すほうがよいのだろう。それが以下のロジックだ。
重要なのはこの「よい」の中身だ。緊縮財政派は、恐らくこの「よい」の中身を「実質手取り額の大きさ」「時間あたり購買力平価」「ジニ係数の小ささ」と考えているはずである。
これを最大化させるために、国債という制度自体は必要だが、その額は少なければ少ないほど「よい」と考えているようだ。
まずは、その中身を議論せよ
どの立場を取るにせよ、「よい」の中身は議論しなくてはならない。
このとき、アンチワーク哲学はこの「よい」の中身そのものに揺さぶりを掛ける。
「実質手取り額の大きさ」とは、そもそも「人が手に入れることができるものの制約量」を指す。
たしかに、今の社会には誰しもがタワマンの最上階に住み、宇宙旅行をする供給力はない。
全ての人間が何でも手に入ってしまってはマズイと考えているわけだ。
これを手に入れられない制約がよりよい帰結を招くという社会契約がお金の仕組みの根本である。
→そして、国宝や戦闘機、麻薬など特別なものを手に入れることに対する国家の規制では充分ではなく、日常的に制約があることがよいと考えている。これこそが、お金の本質である。
→アンチワーク哲学の立場を参考にすると、国宝や戦闘機、麻薬など特別なものを手に入れることに対する国家の規制は「反労働」のために設定されていくものだが、日常的な制約は根本的に不要だと考えられる。
具体的には、タワマンや高級住宅街に住む分はともかく、郊外の一軒家に住む分には制約はないべきだと考えている。
故にベーシックインカムによって日常的な制約の廃絶を目指しているわけだ。その程度の額のUBIを国債発行によって配れと主張している。
→このため、アンチワーク哲学のそのラディカルな部分を煮詰めた主張は、10に該当する。
これに反対するとしても、日本国の潜在的な生産能力が日常的な生活物資を全員に行き渡せるのに充分なことは疑いようもない。
正味の生産力が抜本的に不足しているのではなく、それが行き渡っていないのは賃金による制約のせいである。
むしろ賃金の制約が強すぎた結果、お米のように正味の生産力さえ失われているというべきなのだろう。このため、程度問題こそあれ賃金制約の撤廃を目指すべきなのだ。
ゆえに、アンチワーク哲学は、いいから黙って金刷って配れ!と言い、お金という制度・社会制度さえ疑ってかかる。
そこで、もし日常レベルでの制約が必要だと考えるならば、制約Xとして主張すればよい。
少なくとも、無限の経済成長を求めるにも関わらず、それが達成された状態そのものを否定するのは奇妙だ。経済成長の目的を根本的に達成してしまえばいいのではないか?少なくとも検討さえできないのはおかしな話である。
明日にでも解決する手段を1つとして検討せず、毎年2%程度改善することが限界でありそれを達成することだけが現実なのだ……と考えるのはなぜか?
お金最適化問題:人はどの程度しかモノを手に入れられないべきなのか??
ということは、全ての人間が何でも手に入ってしまってはマズイわけだが、どこまで手に入ることがベストなのか?という問いが第一にある。
少なくとも、それが生存に最低限は必要な分を超えていることは確かである。生存を保証しないシステムと契約する道義はない。デスノートに自分の名前を書けという契約に誰が賛成するのだろうか?いや仮に契約したら、死ぬので契約が持続しない。
そして、アンチワーク哲学は現在の仕組みが直接的ではないにせよ、間接的に生存に最低限必要な分を超えていないと考えている。
ともかく、アンチワーク哲学の立場を取らないにしても、どれだけ緊縮財政派(0.国債発行制度そのものの廃止を訴える)であっても、お金の必要さを信用する時点で「人はどの程度はモノを手に入れるべきであり、どの程度しかモノを手に入れられないべきなのか??」という程度問題に突き当たっている。
やはり、実質賃金∞を求めるのは、お金という制度の廃止を求めることと同じだ。経済学的主張をする時点で、賃金制約を前提とし、実質賃金∞を目指してはいない。
それでも、できる限り経済成長すべきと考えるならばやはり「人はどの程度はモノを手に入れるべきであり、どの程度しかモノを手に入れられないべきなのか??」から問う他ない。
……誰でがコンコルドに乗れるのはマズイが、誰しも1度くらいは飛行機に乗って旅行できるべき……などのように。
そして私達はすべての人をコンコルドに乗せるほどの生産能力はないが、全ての人を1度くらい飛行機に乗せられるだけの供給力を持っている。
ゆえに、人があるべき制約量や、最適な格差の量があって、それを目指そうというのが経済学の本質である。
私達はその理想量を達成する上で、最適な国債発行額がいくらなのか?税率がどの程度か?何についてはお金以外の手段で特別に規制すべきか?を論じているに過ぎない。
ということは、政府のお金の問題と、歳出の中身、規制の問題はいずれも制約Xとして、同列に語るべきなのだ。
すると、この制約とは、暫定-制約Xと究極-制約Xに分かれるはずだ。今の経済状態において「ここまでは手に入らないべき」と、いかなる経済状態でも「これは手に入らないべき」を議論するのだ。
これを問うことなく、緊縮や反緊縮を訴えても無駄だ。緊縮と反緊縮は手段であり、目的ではない。
この議論にジニ係数などの格差問題も含まれているから、残り扱うべきは時間となる。
労働時間最適化問題:労働Xとは何か?
そして次の問題に移ろう。次は「時間あたり購買力平価=生産性」である。これの分子は先程説明した。
購買力無限ということは、それは賃金による制約の消滅を意味する。
よって、次に話すのは分母だ。
これは最適な労働時間があるとの主張になる。これは定義により考え方が変わるものの、現時点では「政府統計に現れる勤怠登録の時間」である。
これに対しても、アンチワーク哲学はその根本から揺さぶりを掛ける。アンチワーク哲学は労働時間の定義を「やりたくないことをしている時間」と捉える。まずはこれについて説明する。
アンチワーク哲学では、勤怠登録されてなくても、その行為をやりたくないと考えればそれが労働時間にカウントされるわけだ。
このとき、分析的アンチワーク哲学(私の主張)では、労働が必要な場面……労働Xはあるとしつつも、それのプラグマティックな廃絶(必要とされる1%で頑張って寸止めするより100%一旦無くしてしまってから考える)を訴えている。
このとき、その1%となる労働Xは二種類存在する。
・究極-労働X
まさにやりたくないという感情によって、それ以上の価値が生まれている場合。
・暫定-労働X
やりたくない感情自体はマイナスで非効率なのだが、だとしてもやってもらう他ない事情がある場合。この場合はやりたくなってやってもらうに越したことはない。
このとき、ほとんどの労働Xは究極-労働Xではなく、暫定-労働Xである。
つまり、たとえその行為への誘導が必要だとしても、わざわざ嫌がってやる必要はない。わざわざ嫌がってやることに意味のある場面はより少ない。
今ある労働のうち、暫定が1%、究極が0.1%あり、これら1.1%が失われるダメージより、98.9%の不要な労働による問題のほうが遥かに大きいので、1.1%の寸止めをせずに一旦は100%の廃絶してしまおう……というのが狙いだ。
さて。労働時間とは、その定義上「やりたくないことに支配されている時間」という意味合いも含まれている。当然経済学的な労働時間とは定義が異なるが、無駄な労働が含まれるが故に労働時間は少ないほど望ましいと考えられている。
このとき、私達は労働が必要だと主張するにせよ、労働を廃絶しようとするにせよ、少なくとも「労働X」は今ある労働からすれば無に等しいと結論付けなくてはならない。この主張そのものに挑戦するのは「人は無意味に嫌なことをすべきだ」という主張になってしまう。
これを踏まえると、労働時間を削って生産性向上しようとする議論には、自ずと労働X問題が含まれているのだ。
でなければ、一日中嫌なことをしている人と好きなことをしている人の豊かさは同じという主張になってしまう。これでは「同じ条件である限り、苦しまないほうがいい」というアンチワーク哲学(倫理学)に反する。
よって、やりたくないこともやりたいことも同値と見積もるこれまでの労働時間での計算の維持には理由付けが必要だ。
充分な理由付けがない限りは、「やりたくないことをやっている時間」へのできる限りのアップデートが求められるわけだ。
そして、その正当な理由づけを試みることは、アンチワーク批判もまたアンチワーク哲学であるように、アンチワーク性を強化するだろう。これは緊縮・反緊縮の立場以前の話である。
⚠️注意点⚠️
ただし、生産性という概念そのもののアップデートを主張するのは、右翼のアンチワーク哲学だからである。アンチワーク哲学には生産性向上そのものを疑う視点(それが無限ブルシット地獄を呼ぶから)もあり、これもまたアンチワーク哲学の核心部と言ってよいだろう。
とはいえ、労働廃絶……時間あたり生産性の分母である労働時間の廃絶による経済成長というゲームのクリアを目指しているから、右翼といえども下記記事の正統派アンチワーク思想ではない。
左翼アンチワーク哲学が資本主義というゲーム機そのものを壊そうとしているならば、右翼アンチワーク哲学はそのゲームの中でラスボスを撃破しようとしている。…….いずれにしてもゲームするんだったらラスボスの倒し方(労働時間廃絶)は考えようぜ。
経済学的な豊かさは、手に入るものの最適な制約量と、やりたくないことを行っている労働時間で算出されるべき。
手に入ってはならないもの(麻薬やミサイルなど)は手に入らないほど豊かだとも言える。つまり、手に入るものの最適な制約量と、やりたくないことを行っている時間……これが経済的豊かさである。
すると、これの最適化がゴールだとすれば、そのための手段たる国債がいくらなら良いのか?それを私達は話し合っているに過ぎないわけだ。
ここに立ち返って改めて、どの程度を志向するのかを問い直すべきなのだ。その結果、将来に負担を残す国債という制度自体をいつか廃止すべきとの結論になっても構わない(なぜか、そこまで至る緊縮派はいないのだが)。
いずれにせよ、何の帰結の手段かを考えずに経済学的な主張をすることはできないのだ。
このとき、どの立場を取るにしても、少なくとも全ての人がその社会で生存できてかつ、契約は最低限できる程度(たとえ嫌だったり不満はあるにせよ)にはモノが手に入らなければならない。でなければ、人はその社会と契約しようとしない。あるいは、死んでしまうので契約しようがない。
ということは、一度もしたくないほどの労働……激-労働は発生しないような社会契約でなくてはならず、賃金制約はそれよりは弱くなくてはならない。
この時点で国家は本来、ある程度の額のベーシックインカムを本来持たなくてはならないとも言えそうだが……それを堪えるとしても、本人の意思や状況によらず激-労働しないことと、生存できることは大前提なのである。
そして、アンチワーク哲学(緊縮財政派)の立場に立つならこれは言えるだろう。
労働X以外の労働させるためにお金を使うな!!そんなことするなら配れ!!
たとえば、土を掘って埋めるブルシット・ジョブを本人がやりたくなかった場合、それを政府は決して主導してはならない。それならばベーシックインカムを配ったほうがいい。だから、JGPよりBIのほうがいい。ただし、失業して生存できない激-労働になるくらいなら……まだその純-労働(繰り返しはやりたくない行為)をさせたほうがいい。これは究極的な労働Xとはならないものの、暫定的な労働Xとはなる。
ただし、それよりも遥かにベーシックインカムのほうがいいとなるわけだ。同じ帰結を招くなら、その過程は苦しくないほうがよい。苦しみが許されるのはまさにその苦しみそのものが逆境などの形でそれ以上のプラスになる場合だけである。
よって、政府はお金という外発的動機を用いて、労働Xではない無意味な労働を押し付けてはならない。
そして、社会に必要とされる行為は全てできるかぎりやりたくなるようにさせ、やりたくなさは犯罪抑止など、それこそ他人に労働させることを止めるための、しない、やめさせるために発動する。
私は究極の緊縮財政派である
今の政府は沢山の公務員達に無意味な労働をさせているわけだ。これを廃絶することにおいては、緊縮財政論者そのものであり、それも0.国債という制度をそもそも使うべきではないとの立場になるだろう。いや、もはや-1.歳出という制度を使うべきではないの立場になる。
そもそも誰もが人に「労働Xではない労働」をさせてはならないのだ。人に労働させるとき、少なくともそれが労働Xであるという信念が必要なのだ。政府ですら例外ではない。
だから、政府はアナキズム「労働しないためだけに労働させ、それもできる限り不愉快でない方法で実行する」になるべきなのだ。
つまり、労働を暫定-労働Xに限り、これもできる限り究極-労働Xに持っていく。
この点において私は労働廃絶論者であり、短縮論者の緊縮財政派とはもはや次元が違う。
もし貴方が財政緊縮派であるならば、財政の危機を感じるならば、まずは政府歳出によって行われる労働(労働Xではない)の廃絶を訴えるべきだろう。
また同じブルシットジョブをするなら、政府が行うよりも民営化したほうがいいだろう。ブルシットジョブの民営化を求める。
→これを数値的に語れるようになっていこうというのが今回の話だ。その数値まで語れないと結局他の緊縮派と変わらないといえばそうか……。
ただし、消防隊がいない世界より、消防隊が緊急の場合に備えて待機しつつ、火災が一つも起きないがゆえに結果的に一見ブルシット化してる世界のほうがよいかも知れない。当然それはブルシット・ジョブではないし、ないくらいなら暫定-労働Xにて行われたほうがいいが、究極-労働Xではないのだろう。
そうした備えが国の、公共財の役割だとすれば、それも含めて労働Xとは何か論じなくてはならない。
ただし、そうした備えが何か議論さえも労働が封じているのだ。実は役に立ってるんです……役に立たないことこそが成功だ……そう思うことすらできない正真正銘のブルシット・ジョブで社会が溢れているのだから。その状況で、実は役立ってるものを知るためにこそ労働廃絶なのである。
まずは、政府歳出によってどんな労働が生じており、何が労働Xなのか?なには廃絶すべきか?考えようぜ。
chatGPTによる要約編集
以下の文章は、大きく二つの論点を中心に展開されています。
1.緊縮―反緊縮のスペクトルと「最適な国債発行額」
• 緊縮派/反緊縮派はいずれも、経済指標には「最適値」が存在すると考え、その実現を目指している。
• 国債発行の立場を「0(国債廃絶論)→10(無制限に刷って配れ!」)までの11段階で整理し、自身は第4~6程度の相手と議論すべきとする。
• いずれの立場でも、「国債は必要だが、発行額には最適量がある」という前提のもと、最適値を定量化する必要がある。しかし、現状の緊縮論者にはその具体的数値を示す者がいない。
→だから私は政府により行われる労働の廃絶……歳出0を訴える。
2.「豊かさ」(社会厚生)のメタ‐デザインとアンチワーク哲学
• 「よい」とは何か(目的)を定量化せずに、国債の規模(手段)だけを論じても平行線のまま。
• 目的として、①可処分所得の大きさ、②時間あたり購買力平価(生産性)、③所得分配の公正性(ジニ係数)が挙げられる。これらを社会厚生関数として落とし込み、測定・重みづけし、シミュレーション可能なモデルを構築することが最初のステップ。
• アンチワーク哲学の視点では、「お金は制約をつくる仕組み」「労働は『やりたくないことをしている時間』」と定義し、不要な労働(やりたくないブルシット・ジョブ)を徹底的に廃絶したうえで、ベーシックインカムなどによる日常的制約の解消を目指す。
• 最終的には、人が生存・契約に必要な最低限を超えた制約量と、労働の最適値……労働Xを定め、その実現手段として「いくら国債を発行すべきか」を議論すべき、というのが結論。
──以上を踏まえ、まずは「国家がもたらすべき豊かさとは何か」を定量的に定義しない限り、緊縮・反緊縮いずれの議論も目的化し手段に終わってしまう、というのが著者の主張です。
chatGPTによる結論
緊縮・反緊縮いずれの立場を取るにせよ、まずは「国家がもたらすべき〈豊かさ〉とは何か?」――可処分所得、生産性、分配公正性の三つを中心に、「よい」の中身を定量的に定義し、社会厚生関数として落とし込む必要があります。
この“メタ‐デザイン”を抜きに、財政規模(国債発行額)の議論だけをしても、手段が目的化してしまい、結局どの水準が「最適」かは永遠にすり合わせられません。
まずは上記3指標について、各々の測定方法・政策インパクト・重み付けを詰め、シミュレーション可能なモデルを構築しましょう。これが整って初めて、国債の「いくらがよいか?」がはっきりと見えてきます。
以降おまけ:論点整理
本文では「日本の正味の生産能力(潜在供給力)は、日常生活必需品や一定のレジャー需要を賄うには充分に高いにもかかわらず、賃金(手取り所得)による制約が強すぎるため、その能力が十分に行き渡っていない」と指摘されています。以下では、その「なぜ賃金制約が正味の生産能力に対して過度に強いのか」を、主にマクロ経済学的・分配論的視点から考察します。
1. 賃金=購買力のコントロール機構としての役割
1. 購買力の絞り込み
• 賃金は労働者に付与される購買力そのものです。これを低く抑えることで、国家や雇用者は「誰にどれだけモノを買わせるか」を調整しています。
Q.これが不愉快なレベルに達することは自滅であるから、まずは不愉快ではないレベルまで緩和するべきなのでは?
• もし賃金が生産能力に見合って高まれば、短期的にはインフレ圧力を膨らませる恐れがあるため、政策的に賃金上昇を抑制してきた歴史があります。
Q.これはアメリカのように渡されたお金をすぐにほとんど使い切ってしまう国を除けば、貯蓄→充分に貯まったらようやく消費ではないのか?
2. 価格シグナルとの相互作用
• 価格は供給と需要のバランスを反映しますが、需要側(労働者所得)の強さが制限されると、価格上昇によって需給バランスを取るだけではなく、需要そのものをコントロールする仕組み――すなわち低賃金政策――が必要になります。
• これにより、価格だけでなく賃金にも制約をかけ、過剰な需要の発生を防ぐわけです。
Q.貯蓄すらまともにできないほど賃金制約が強くあるべき道理はないのでは?
2. 分配構造の歪みと所得格差の固定化
1. 賃金シェアの低下
• 戦後から今日に至るまで、先進国では労働所得分配率(総所得に占める労働者賃金・手取りの割合)が低下傾向にあります。企業や資本家への所得シフトが進むと、総生産に対して労働者に回る購買力は相対的に小さくなり、消費(需要)の伸び悩みを招きます。
2. 需給ギャップと「実質賃金停滞」
• 生産能力が余っていても、それを購買する実質賃金が伸びないと、需給ギャップは解消せず、設備稼働率の低下や成長率の鈍化を招きます。
• 「正味の供給力が潤沢であるにも関わらず、購買力不足でモノやサービスが余る」状態が継続するのは、賃金制約が過度である証左です。
Q.そもそも、なぜ実質賃金は「ブレーキ量として最適化される・それより過剰で乖離してる」とのモデルではなく、「過剰すぎるブレーキが経済成長と同値かのように徐々に緩和されて上がる」のか?徐々に緩和ではなく最初から最適化すればいいのではないか?
3. 賃金制約の強さが生産潜在力自体を削ぐメカニズム
1. 需給ギャップの長期化による設備投資抑制
• 需要不足が続くと企業は設備投資を控え、生産能力(技術進歩や機械化)そのものの増強もおぼつかなくなります。
• すなわち、「賃金を抑える → 需要が足りず成長が鈍る → 供給力増強も鈍る」という負のフィードバックに陥る。
Q.デフレスパイラムの日本以外、なんならインフレ率が2%を超える国でも起きているように見えるがなぜか?
2. 労働意欲・スキル形成への影響
• 賃金が低迷すると、労働者のモチベーションや自己投資(教育・訓練)意欲が削がれます。これが結果として労働生産性の伸びを抑制し、長期的な潜在成長率を下げてしまいます。
4. 制約緩和策としてのUBI/賃金保障
1. ベーシックインカム(UBI)の理論的意義
• すべての人に最低限の購買力を保障することで、需要不足問題を根本から緩和し、企業の設備投資・生産力拡大を後押しします。
• 「賃金制約の撤廃」を部分的に実現し、正味の生産能力をフルに引き出す狙いがある。
2. 緊縮財政派との対立軸
• 緊縮派は「財政規律を重視し、国債発行を抑制せよ」と主張しますが、本来の経済学的課題は「いくら国債を発行してUBIを行えば最適か?」を議論すべきところです。
• 賃金制約緩和(=UBI導入)を試さずに国債発行量の是非だけを論じても、生産能力の潜在力を引き出すことはできません。
5. 結論:
賃金制約は“生産能力を統制するバルブ”であり、過度ゆえに必要分配が阻害される
• 賃金=購買力の抑制手段として賃金制約を強めてきた結果、逆に「十分な需要」が喚起されず、設備投資・生産性が伸び悩む悪循環が発生。
→しかしこれは、デフレスパイラル(今でもディマインドデフレではある)の日本以外でも起きてるように思える。
• 分配構造の歪みにより、労働者側の手取りが相対的に縮小し、需要不足が慢性化。
• したがって、日常的賃金制約は「正味の生産能力を余らせる」だけでなく、「生産能力そのものの拡大意欲まで削ぐ」ほどに過度である。
今後の課題は、(1)生産能力と所得分配の最適バランス、(2)UBI等による賃金制約緩和の規模、(3)国債発行量とのトレードオフ、を定量モデルで示し、「いくらまで賃金(UBI)を緩和すれば需給ギャップが解消し、かつ財政健全性が保たれるか」を明確化することにあります。
→MMTから考えれば最適な需給ギャップが達成されるかが大事で、財政健全性という議論はない。
→インフレになってもすぐに増税できない論はまだ参照しようがあるが、だからといって国債発行額を600兆円に減らせばゲームクリアといった緊縮財政派が具体的な数値で言わない以上は、無際限の増税と歳出削減を求められているように感じる。
Q.彼らは一体全体どれだけ増税して、どれだけ歳出を絞ればゲームクリアだと思っているのか?それは名目累計発行額か?プライマリーバランスか?債務対GDP比か?純債務対GDP比か?なぜその見解が反緊縮派とくらべ全くとして団結できないのか?このまま緊縮財政派は誰も団結することができず反緊縮に負けることが確定しているのか?
これこそが、「手段(国債発行・UBI・賃金政策)」と「目的(最適な豊かさ・生産性・公正分配)」をつなぐ、次のステップと言えるでしょう。
以下、それぞれの設問に順番に回答します。
1-1. 「賃金抑制が自滅レベルに達する前に緩和すべきではないか?」
回答:
• 自滅的抑制の閾値認識の欠如
多くの政策決定者や企業は「賃金を抑えれば抑えるほど短期的には利益も物価も安定する」という経験則に縛られ、どこまでが“自滅”の境界かを測定・合意できていません。
• 漸進的調整の政治経済学
急激に賃金を引き上げればインフレ期待を刺激し、金利上昇→投資・雇用縮小を招きかねない──というリスク回避志向から、まずは「不愉快ではないレベル」までの緩和を徐々に試みる、という慎重戦略が選ばれがちです。
• 社会的コンセンサス形成の難しさ
賃金緩和(つまり労働者所得の改善)は、財源やインフレリスクをめぐる分配的争いを必ず呼び起こします。しかもその“適切な目安”は、経済モデルや世代間・階層間で利害が大きく異なるため、一律に「ここまでなら安全」という合意が形成しづらいのです。
1-2. 「貯蓄→消費モデルでは、賃金上昇が即時的な過剰需要を生まないのでは?」
回答:
• 平均的限界消費性向(MPC)の国際差
アメリカはMPCが高く、所得を得ると即座に消費に回す傾向が強い一方、日本やドイツなど多くの先進国では貯蓄率が高い。だからといって──
• 貯蓄のマクロ的逆説
個人が貯蓄を増やすと、総需要が落ち込み、景気後退→所得減少→さらに貯蓄できなくなる「セイの逆説(貯蓄の逆説的効果)」が起きます。高い貯蓄率が必ずしもフィスカル余裕を意味せず、むしろ需要不足を深刻化させる点は歴史的に何度も観察されてきました。
• 貯蓄と投資のミスマッチ
貯め込まれたマネーが必ずしも国内の設備投資に回るわけではなく、海外資産運用や金融商品に向かってしまうと、「国内実体経済の支え」として機能せず、やはりデフレギャップを広げるリスクを抱えます。
1-3. 「貯蓄すらできないほどの賃金抑制は道理に反するのでは?」
回答:
• 最低限ラインの下方硬直性の欠如
多くの制度設計(最低賃金制度、社会保障、労働法)が「最低限生存可能な所得」を担保できていない──これは社会契約として破綻しかねません。
• 政治的・制度的死角
OECD比でみても、日本の最低賃金上昇率は極めて低く、生活保護費とも乖離が続いています。政策調整のタイムラグと財政制約の議論に偏重した結果、賃金の最低限ラインが事実上放置される形となっています。
2. 「なぜ実質賃金は最初から最適化されず、徐々にしか上がらないのか?」
回答:
• 賃金スティッキネス(硬直性)の存在
経済学では“賃金は下方にも上方にも調整に時間がかかる”とされます。①労使交渉のサイクル、②企業の価格付け戦略、③心理的な賃金カット忌避 などが重なり、いったん低い水準に置かれた実質賃金は、インフレや景気改善の恩恵があってもすぐには跳ね返りません。
• 最適水準の不確実性
「最適賃金」を一度に打ち出すには、将来の物価・生産性・グローバル競争力など多数変数を同時予測する必要があり、政治的・技術的に極めて困難です。そのため、まずは「緩やかな改善→効果観察→次フェーズの調整」という漸進プロセスが選択されます。
3-1. 「デフレスパイラルは日本以外の、ディマインドインフレ率2%超の国でも起きているように見えるのはなぜ?」
回答:
• 局所的需給ミスマッチの持続
インフレ率が2%を超えていても、所得格差拡大や地域間・業種間での需要偏在があると、「高インフレ下でも一部にデフレギャップが残存する」状態になります。
• 金融緩和のエフェクト限界
中央銀行が金融緩和しても、資金が金融市場や大企業に偏り、家計や中小企業に行き渡らなければ、実体景気は冷えたままです。
• 構造改革の遅れ
労働市場規制や産業構造の硬直性が解消されない限り、賃金と物価が乖離し、「実質賃金停滞下のインフレ」といった奇妙な現象が起こりえます。
5. 「緊縮派は何を“ゲームクリア基準”とみなしているのか?」
→緊縮によって生産性を上げたいってことは、労働(時間、労働投入量)をもっとも廃絶できる債務対GDP比〇〇%が存在し、そこに持っていきたいってことではないのか?
回答:
• 目標指標の多様性・不統一
1. プライマリーバランス(PB)黒字化
• 財政収支から金利支払いを除いた「基礎的収支」の黒字化を重視する論者が多い。
2. 債務対GDP比
• ヨーロッパのマーストリヒト基準(60%)や、IMFの90%論文などを参考にするケース。
3. 純債務対GDP比
• 既存の政府保有資産を差し引いた「ネット負債比率」を重視する意見もある。
4. 名目累積発行額
• 「累積発行額が○○兆円を超えたら危機的」とする主張も散見される。
緊縮財政派の分裂と団結困難の理由
• 理論的前提の違い:MMT的視点、伝統的リカード理論、さらには防衛費や社会保障に対する価値観の相違が大きい。
• 世代間・世代内利害の対立:高齢層ほど医療・年金といった歳出維持を重視するが、若年層は負担増を嫌うなど、バラバラの願いを持つ。
→UBIや消費税減税でないがゆえの分断か。
→日本は国債を削る上でも消費税減税をすべきだと思うが……。
• 政治的ポピュリズム:「増税すれば人気失墜」「歳出削減は痛みの分配」を怖れる政党間の綱引きが続き、共通の“クリア基準”を合意できない。
• 今後の展望
緊縮派が単一の「ゲームクリア目標」を定めずに分裂し続ける限り、反緊縮派(MMT寄りやベーシックインカム志向)の政策提案に政治的主導権を奪われる可能性は高いと言えます。
→だから、政府部門の労働廃絶(労働Xは除く)というアナキズム的緊縮財政で結束すべし。せめて具体的な数値は出そうぜ。これが一番本章で言いたいことである。
→アンチワーク哲学(倫理学)から批判するとむしろ論理が強化されてしまうので、どうしても歳出削減よりも増税をしたい人は私を含めて相手にしないほうが得策かも知れない。
ただし、市場金利や国債格付け動向、国際環境次第では「財政規律回帰」の潮目が生まれる可能性もあり、一概に敗北確定とは言い切れません。
→緊縮財政派には日本の金利上昇に絶望する論者が多いと思われるが、金利には最適値があり、今の日本はマイナス金利を脱し、ようやくそれに向かいつつあるというヤフコメ論調のほうがまだ正しいと思われる。むしろ、米がハイパーインフレする最中でGDPギャップがマイ転することこそが気になるが。→米や燃料費が上がった分他の消費を切り詰める他ない程度にしか手元にお金がなく、これでどうやって経済成長とやらをさせるつもりなのかは甚だ疑問だ。
まとめ
• 賃金制約の緩和・最適化には、「どこまでが許容範囲か」を示す定量的な社会厚生関数と、「そのために要する財政支出」を結びつけるモデル化が不可欠です。
• 緊縮派/反緊縮派の最終争点もまた、「目的(最適な豊かさ・分配・安定)」と「手段(国債発行量・UBI・賃金政策)」をつなぐ共通の基準を生み出せるかどうかにかかっています。
→そしてそれをアンアワーク哲学(倫理学)は提供する。緊縮派だろうと労働廃絶。そこにイデオロギーの立場の違いや、分断はないのだ。とにかく、やめたいことをやめられる世界を目指そう。
追記:緊縮としての消費税減税・廃止【雑記】
※ここからは雑記です。
私は少なくとも日本国は、国債発行額を消滅させることにおいてすら、消費税という手段を使うべきではないと考えている。事実、日本国の国債がこれほど多額になったのは1997年に消費税増税をしたせいであり、1997年に消費税を増税せずに廃止していれば債務対GDP比は遥かに少なかっただろう。そもそも消費税の重税感が今の中高年・高齢者が若いうちにお金を使う機会を奪い、デフレスパイラルとなり、企業も内部留保を溜め込まざるを得なくなった。ゆえにこれが「国債=国民の資産」として膨大になったのである。このカラクリがあるにも関わらず、その元凶たる消費税を増やそうとするのはもはや理解できない。氷河期世代と若者には貯蓄がないんだ。毟り取りようがない。
たしかにサプライロスインフレによってやっとデフレは脱したが……サプライロスでしかない。米の価格が上がった分他のものを節約する以外の方法を持てなくなっているんだ。たとえ実は親からの相続で手元にある程度のお金があっても……だから、企業に国内投資させるか、安心してお金を使える社会になるか、インフレにするしか国債を削る手段はないんだ。私達は税で毟り取られた分だけ使わなくなるだけ(それほど貯蓄が少ない)なのでね。
そもそも日本の10%の消費税による重税感はアイルランドの25%を超えている。%としては当然向こうは25。こちらは10だというのは反緊縮の立場でも認めるのだが。日本には消費税の重税感を醸し出す風土があるのだ。消費税という名前のせいでもあるのだろう。VATという名前であれば、今よりも景気後退を起こさず済んだかも知れない。
そもそも、消費税とは単に不愉快だから多少のコストを払っても減らしたり無くしたりしたい仕組みだ。使えるお金1%くらいを減るだけで消費税という仕組みが街中から消えるなら大万歳なのだろう。そこも忘れてはならないし、それは日本の消費税がアイルランドより強制的な仕組みだからなのだろう。ゆえに心理的リアクタンスもあって人は消費しなくなり、納税しなくなり、やはり国債を増やす立役者となったわけだ。
むしろ重税感が果てしないが故に、緊縮財政派が懸念するハイパーインフレは起こりようがない。そして、労使協定も動かないから余計に動かない。今の日本がインフレを起こせるのは、サプライロスか、資源高か、円安だけである。ディマインドプルインフレは、消費税の果てしない重税感によって失われてしまった。サプライロスか、資源高か、円安そして増税……それが起きる分だけ単に消費を減らして賄う経済なのだ。これでどうハイパーインフレが起こるのか説明してほしい。米がハイパーインフレなら他の生活用品はハイパーデフレだ。
生産や海外からの輸入そのものが直接的に破壊されない限り、貨幣現象ではもはや円安だけがインフレを起こす。むしろ彼らの誤った緊縮(ないところから剥ぎ取る)がハイパーサプライロスを生み出すのではないか?
なので、緊縮派こそ消費税減税や廃止だと思う。国債を減らすためにこそ消費税減税なんだ。それでも短期的に国債が不安というなら、所得税10%増税で代替すれば良いのだと思われる。緊縮派でこれを言う人が少なすぎる。少なくとも「国債=国民の資産」であり、これを強制以外の形で削るには内発的に消費させるしかない。それを消費税が封じているのだ。消費の成長を放棄したまま財政再建をするのは不可能である。
若者や氷河期世代にお金を持たせて使わせれば、少なくとも名目GDPは増えて国債は減る。
→今の緊縮派はなぜか持ってない人からむしり取ろうとするんだよな。その分消費が減り、より国債が増えるだけですがな。なぜ彼らはその立場なりのベストを尽くさないのか。緊縮そのものよりも、それが問題なのだと思われる。それを実施し、国債発行額を増やしたのが日本だ。彼らこそが国債を増やす最大の立役者なのであり、それと比べればBIを毎年7万なり1997年頃から配っていたら、債務対GDP比は今より低かったのだろう。なにより、BIがあれば安心してお金を使えるのだから。貯まらなければ、貿易・経常収支の悪化以外で国債が増えることはない。そして、今の貿易赤字は日本のデフレ・円高によるサプライロスが原因だから、やはり1997年ごろにBIなり、消費税廃止なりしてれば良かった。そうすれば貿易黒字国で今よりも国債も少なかったと思う。ここまで国債発行額を増やせた国は他にはなく、ここまで消費税の重税感がその割合に対して大きすぎる国は他にはないのだ。
→ただ、日本の税収入はインフレで大幅にあがりやすい仕組みだった。デフレでこれほど国債が貯まるシステムなのだ。当然といえば当然である。緊縮派は1997年に消費税をむしろ廃止し、インフレにして放置させれば良かっただけのことに時間を掛けすぎた。このままいけばワニの口が逆に開き始めるほど税収は増える。このあと台湾侵攻かそれレベルの有事さえなければ、あと5年もすれば緊縮派のいう財政再建というものはほとんど達成されるだろう。
緊縮派は今のところ共通目標を定められておらず話すほどに分断していっているように感じる。であれば、最善策は私のように緊縮派の共通目標を考えるか、沈黙することであり、共通目標なく喋るほど今の税収が自動的に増えていく環境に水を差す。反緊縮としては喋らせたほうがいい。
以下のようにまとめられます。
• 消費税が国債増大の元凶
1997年の消費税増税がデフレを加速させ、税収不足→国債発行増→高齢者らの貯蓄増加・氷河期世代以降の貯蓄低下を招いた。
• 重税感と消費抑制の悪循環
日本では10%の消費税でも強い重税感があり、「消費しない→企業は内部留保→景気低迷→さらに税収減→国債増」のスパイラルに。
• インフレはサプライショック頼み
現在のインフレは「米価上昇・円安・資源高」といった供給制約によるもので、需要主導の「ディマンドプルインフレ」は消費税の重税感で起きない。供給制約によるインフレは需要を削るため、やがてインフレは消費低迷により終息する。
• 緊縮派こそ消費税減税・廃止を
国債削減には、まず若年層・氷河期世代にお金を使わせて名目GDPを拡大すべき。消費税減税・廃止やベーシックインカムの導入で消費を喚起し、税収と経済規模を同時に底上げするのが最適策。
• 緊縮論者の矛盾
緊縮派は「ないところからむしり取る」政策を主張し、結果的に国債を増やす立役者となっている。「国債は将来世代の負担」という価値観が皮肉にも消費を削り、国債発行額を増やしている。共通目標が定まらず分断が進む中、消費税減税・廃止による債務対GDP比の改善などの具体策を提起すべき、という主張。少なくとも手当たり次第に増税を訴えても分断してしまう。
→日本は珍しく緊縮反緊縮で意見がまとまれる国であり、消費税増税派は本当の緊縮財政派ではない。
→唯一それでも消費税をアテにできることがあるとすれば、消費とインフレを断固として抑圧するので、ベーシックインカムを貯蓄して欲しいときに役立つ。日本の消費税10%の大きさをアイルランドの40%だと捉えることはできず、少なくともアイルランドを超える重税感は緊縮派にとっても失敗である。
今の氷河期世代以降は貯蓄不足に悩まされており、今の新卒でやっと人手破壊による賃上げが始まった程度なので、これら世代の貯蓄を急回復させるためには消費税減税よりも先んじた巨額のBIが提案できる。
→消費税を減らさないと持続化給付金と同じで、株に流れてしまうだろう。ただし、そうなればBIによって物が買われないのでインフレにはならない。
→使わせるためにこそ、先に消費税減税という意見もあり、私もここは決めかねている。
