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生きる意味を実感するには、どうしたらいいのか?

私たちは、ありきたりな「役割」を自覚することで、生きる意味を自覚することができます。

たとえば、椅子に座ったり、ただ呼吸しているだけでも、成すべきことを成している。

生きる意味を、そこに見つけることができる・・・。

▼詳しくはコチラ

しかしですね・・・。

役割が「ありきたり」ゆえに、生きる意味を自覚しにくいという問題がありますよね。

たとえ、そこに生きる意味があるということを理屈として理解できたとしても・・・。

じっさい、椅子に座っているだけで、

「これが私の生きる意味!」

と意気揚々とは実感できないものです。

やはり、生きる意味を実感しやすい「役割」というものがあるのが現実です。

では、いったいどんな「役割」であれば、私たちは生きる意味を感じやすいのでしょうか?

それはもちろん「自分にしかできない役割」でしょう。

この「役割」を果たせるのは私一人しかいない。

だから、私の生きる意味がある。

とてもわかりやすいですよね。

ただ・・・。

「自分にしかできない役割」なんて、そうそう見当たらないものです。

歌で大観衆を沸かせたり、大リーグで記録を打ち立てたりすれば、「自分にしかできない」と自他ともに実感しやすいかもしれません。

しかし、たいていの「役割」には代わりが効きますし、じっさい自分以外にも同じことができる人がたくさんいます。

たとえ、親として子を育てるという一見代わりの効かなそうな「役割」であったとしても、事情により他の人が代わりを果たし、それを子は後年知らされるということだって、決して珍しくはありません。

「自分にしかできない役割」を見つけ出すのは、そうかんたんにはいかなそうです。

だから、私たちが最初に取り組むのは「自分だからこそできる役割」です。

自分にしかできないわけではない。

でも、この自分だからこそ果たせることはある。

それが「自分だからこそできる役割」。

ちょっとややこしいですね(笑)

なので、例を出しますね。

たとえば、公園で迷子の子供を見つけたとします。

泣きながら親御さんを探しています。

その子に声をかけ、一緒に親御さんを探してあげる。

見つからないので、携帯電話でお巡りさんを呼んであげて、一緒に待っていてあげる。

この「役割」は、自分でなくてもできます。

しかし、そのときその場にいて、大人として判断でき、携帯電話をもっていた「自分だからこそできる役割」ですよね。

たしかに、いくらでも他に同じことができる人はいます。

でも少なくとも、そのときそこに居合わせた「自分だからこそできる役割」であったことは間違いありません。

そして、そのあとお巡りさんが親御さんを見つけ、無事にその子を親御さんに引き合わせてあげることができたとしたら。

「やれやれ、よかったよかった・・・」

と、ホッと胸をなでおろし安心するのではないでしょうか。

その場にいた自分だからこそできることをした。

つまり、成すべきことを成した、と。

それが、生きる意味です。

それは「これこそが私の生きる意味だ!!!」と高らかに叫び、興奮するようなものではない。

ただただ静かに「自分だからこそできることを果たせた」と、ホッと胸をなでおろす。

そのときのことを振り返れば、あの場に自分はいてよかったと、ごく自然と自分の存在と生を肯定することができる。

命の使い方を肯定できる。

それが「生きる意味を実感できる瞬間」です。

そう考えると、生きる意味を実感しやすい瞬間は、暮らしのなかにわりとたくさんありそうだと感じられてはこないでしょうか?

お花に水をやるときも、部下の相談に乗るときも、家族にいってらっしゃいと声をかけるときも。

たとえ代わりが効いたとしても、今ここにいる「自分だからこそできる役割」を果たせている。

自分の命が今ここにあるからこそ、花は水を得、部下は悩みを話し、家族は当たり前のようにでかけていくことができる。

そう自覚することで、私たちは生きる意味を実感しやすくなるのです。

その実感が深まっていけば、やがて呼吸しているという「役割」だけでも、

「腸内細菌に必要な熱と栄養を与えている」

「二酸化炭素を植物に与えている」

「空気に私を生かすという役割を与えている」

「互いに役割を与え合っている」

という生きる意味を感じやすくなるはずです。

なるほど、じゃあなにもしなくても生きる意味はあるのだな。

毎日、寝っ転がって過ごそう。

たしかに、そんな生き方もあるでしょう。

年齢や病気で、そうせざるをえない状況の人もいます。

その人には、生きる意味があります。

できるかぎりの、今、成すべきことを成してします。

しかし、それ以上のことができる状況にある人が、毎日寝っ転がって過ごすことを、あえて選ぶのだとしたら・・・。

命は、そんなふうに自分に都合よく与えられたものではないということ、すでにお話ししたとおりです。

▼詳しくはコチラ

「自分だからこそできる役割」が、私たちには常に突きつけられているのです。

それを見つけ、その「成すべきこと」を果たさなくてはなりません。

その感覚を研ぎ澄ませていくことで、私たちの人生は、生きる意味の実感に満たされていきます。

では、どうすればその「自分だからこそできる役割が突きつけられている感覚」を研ぎ澄ませることができるのか?

次回は、その具体的な方法をお話ししたいと思います。

生きづらさ専門カウンセラー
脱世間起業塾Adic塾長
しのぶかつのり

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