「成すべきことを成せ」と言われても・・・
成すべきことを、成す。
そうすれば苦痛の極限でさえ「生きる意味」を見出せる。
と、威勢よく言ってはみたものの・・・
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そもそも、この「成すべきこと」っていったいなんなんでしょうね?
それに、「成すべきこと」を成したからといって、どうして「生きる意味」を感じられるのか?
自分に、そんなたいそうな「成すべきこと」なんてあるとは思えないし・・・。
なかなかやっかいな代物ですよね。
私も、ずっとそう悩んでいました。
ただ、あることに気づいたとき、私は、この世界が「成すべきこと」に満たされていることを理解しました。
その「あること」とはいったいなんでしょうか?
それは「役割」です。
「わ!出た・・・役割!!!」
「自分を活かす役割が必ずあるとか言うんだろ!」
「それが見つからないから苦労してるんだよ!」
たしかに「役割」と言われるとそう感じられますよね。
でも、私のいう「役割」とは、世間でよく耳にする役割論とはちょっと違うんです。
「役割」は、そんなに特別なものではなく、誰もが今すぐ見つけられて「生きる意味」を感じられるものなんです。
それを実感していただくためには、私自身が「役割」に気づいた体験をお聴きいただくのが一番早いかもしれません。
当時私は、自分に「役割」なんてないと思っていました。
私は植物嫌悪症で、地球に生きているだけで猛烈に苦しい人間です。
また、PTSD、パニック障害、発達障害、双極性障害もあり、障害者福祉手帳も取得して、ほぼ寝たきりの状態でした。
そんな自分に果たせる「役割」なんて、あるわけないだろう、と。
でも、ボンヤリと考えごとをしていたとき、こんなことを思ったんです。
私たちの体って、いろいろな「役割」でできていますよね。
細胞とか、そのなかにある小さな器官とか。
それらが集まって、心臓とか骨とか目ができている。
そういった「役割」の集合体が「私」なわけです。
つまり、無数の「役割」が集まって「私」ができているわけです。
その無数の「役割」が集まってできた「私」が、ポンッと「私」になった瞬間。
なんの「役割」もなくなってしまう・・・。
そのことに、ふと強い違和感を覚えたのです。
これって、かなりおかしなことじゃないか?
というか、だいぶ都合がよくないか、と。
自分は「役割」の集合体。
無数の「役割」のはたらきで「私」ができている。
にもかかわらず、「私」になった瞬間に「役割」はなくなる。
そんなに都合のいい話ってある?
その瞬間、私の目の前に、ブワァ~っと自分の「役割」が見えてきたのです。
「道」に対しての「歩行者」という役割。
「レジ打ちする人」に対しての「客」という役割。
「電車」に対して「乗客」という役割。
ありとあらゆる「役割」でこの世界は満たされている。
というより、
「役割しかねぇじゃん!!」
と思ったのです。
つまり、この世界は「役割の集合体」だと気づいたんです。
この世界は、すき間なくビッシリと「役割」で満たされている。
それが「事実」であるということ。
それが、私が「役割」に気づいた瞬間です。
じっさいに目の前に無数の「役割」があって、この世界は互いに役に立ち合う「関係」でできている。
「父」という役割があり「子」という役割がある。
「教師」という役割があり「学生」という役割がある。
「椅子」という役割があり「座る人」という役割がある。
「常在菌」という役割があり「宿主」という役割がある。
このように「役割」とは、とくべつなものではなく、どこにでもあるものだということ。
そして「役割」を成立させるためには「役割」が必要なのです。
「父」という役割を果たすためには「子」という役割が必要です。
「教師」も「学生」がいてくれなければその役割を果たせません。
「学生」も「教師」がいてくれなければその役割を果たせません。
「椅子」も、自分に座ってくれる人がいなければ「椅子」の役割を果たせない。
「座る人」という役割があって、はじめて「椅子」は「椅子」の役割を果たせるのです。
だから当然、「役割」を成立させるために成すべきことがあります。
「椅子に座る」という成すべきことを成すことで、「椅子」を「椅子」にしてあげられる。
そうしてはじめて「椅子」は「椅子」という「役割」を果たすことができるのです。
つまり、生きているかぎり、自分を必要としている「なにか」が必ずあるということです。
「役割」を成立させるために、自分を求めているものが必ずある。
「成すべきこと」が必ずあるのです。
この「成すべきこと」を成し、それを自覚するとき。
私たちは心から「納得」することができます。
無事に責任を果たした安堵感にも似た「納得」を得ることができるのです。
それはやりたいことをやっているときのような「興奮」とは、まるで違うもの。
「これでいいんだ・・・」という、疑いようのない深いふかい「納得」。
それこそが「生きる意味」を実感する瞬間です。
「ちょっと待って!」
「椅子に座るのが生きる意味?」
「そんなんで、生きる意味が感じられるわけないでしょ!」
ごもっともです。
たしかに、その「役割」のなかにも、「生きる意味」を感じやすいものとそうでないものがあります。
それが現実ですよね。
そこで次回は、「生きる意味」を感じやすい「役割」をいかに見出すかについて、お話ししたいと思います。
生きづらさ専門カウンセラー
脱世間起業塾Adic塾長
しのぶかつのり
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