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音楽史・記事編158.モーツァルト分野別作品トータル演奏時間(創作割合)

 本編ではモーツァルトが35年という短い生涯で創作した全作品の演奏時間について、分野別に見て行きます。2006年にはモーツァルト生誕250年を記念して、フィリップ社からCDによるモーツァルト全集178枚が発刊されており、本編ではこの全集のCD1枚当たりの演奏時間を1時間と仮定してモーツァルトの分野別トータル演奏時間を想定しています。

〇モーツァルトの分野別創作について
 モーツァルトの時代の作曲家はあらゆる分野の作曲の要請に応えられるように、すべての分野の古来からの音楽様式を学び、さらに新しい時代の様式を学び、モーツァルトも当時の音楽分野のほとんど全分野の作品を残しています。短い生涯に600曲を超える作品を残しており、それらの作品は数分のリートから3時間を超える歌劇まで含まれ、また独奏曲から20声部を超えるようなオペラの作曲まで作品の規模はさまざまです。分野別作品数のみではモーツァルトがどの分野にどの程度作曲に注力したかは分からず、本編ではフィリップ社のCDによるモーツァルト全集による分野別CDの枚数から、モーツァルトがどの分野の作曲にどの程度注力したのか、すなわち分野別の創作量の割合を類推しています。

〇モーツァルトの声楽作品
 モーツァルトの声楽作品には、宗教音楽におけるミサ曲、モテット、オラトリオ、カンタータ、また未完のオペラを除くオペラや音楽劇などの作品、管弦楽伴奏のコンサート・アリアやクラヴィーア伴奏のドイツ・リートなどが含まれます。モーツァルトのオペラは17作品でトータル演奏時間が46時間、すなわち創作量で46時間相当にあたり、全創作量の25%に相当します。ミサ曲やモテットの宗教作品は51作品で全創作量の12.5%、コンサートアリア等の歌曲が101作品で7%となり、声楽作品の創作量は全作品の45%に及び、オペラ等は声部の多い作品であることを考えるとモーツァルトの創作の約半分は声楽作品であることが分かります。
 モーツァルトは音楽史の声楽分野において大きな改革を行っています。オペラではグルックのオペラ改革である①台本の簡素化、②歌手主導の作曲から作曲家主導の作曲へ等の改革を実践し、古典派のオペラセリア、オペラブッファ、ジングシュピールの作曲様式を確立し、さらにハイドンの管弦楽を駆使したフィナーレの拡大を取り入れ、これはオペラ全体を管弦楽伴奏により上演するロマン派オペラの先駆けとなりました。また、セバスティアン・バッハの対位法を学び、各声部を対等に扱うというポリフォニーへの回帰ともいうべきアンサンブルの改革を実践しています。ミサ曲やモテットなどの宗教音楽の分野では、ルネサンス以来の伝統の純正和声による天上の音楽ともいうべき美しい創作を行い、また、コンサートアリアでは特にソプラノのための劇的なアリアを創作し、クラヴィーア伴奏歌曲の分野では、従来のバロックの通奏低音伴奏歌曲に代わり、ロマン派のピアノ伴奏のドイツリートを創始しています。バロック時代の通奏低音伴奏歌曲は主に主和音を中心とした伴奏を伴いますが、ロマン派のドイツリートでは平均律で調律されたピアノ伴奏による歌曲に変貌しており、クラヴィーアの平均律対応を導いたモーツァルトであって初めてなしえたことであると思われます。
(参考:音楽史年表記事編154.モーツァルトのミサ曲・モテット創作史・・天上の音楽
(参考:音楽史年表記事編156.モーツァルトのオペラ創作史・・純正律声楽曲の最後の輝き

〇モーツァルトの管弦楽作品
 モーツァルトの管弦楽作品には、交響曲、セレナード、管楽室内楽、舞曲、行進曲やディヴェルティメントが含まれ、これらの管弦楽作品の全創作量に占める割合は演奏時間で約36時間で20%となっています。
 モーツァルトは交響曲をクリスティアン・バッハのイタリア様式、シュターミツ等のソナタ形式や強弱法などのマンハイム様式、エマヌエル・バッハの多感様式やフランスの影響を受けたギャラント様式、これらは主に3楽章形式で作曲され、ウィーンではディッタースドルフやヴァンハル、ヴァーゲンザイルなどの前期古典派様式を、ザルツブルクの宮廷ではヨーゼフ・ハイドンの実弟のミヒャエル・ハイドンからあるいは出版譜等から4楽章のハイドンの古典派様式を学んだようです。特にウィーンに移ってから作曲した第38番ニ長調「プラハ」、第39番変ホ長調、第40番ト短調、第41番ハ長調「ジュピター」は演奏会用として、もしくは出版を目的として作曲されたものと見られモーツァルトの4大交響曲、あるいは第39番以降の3曲を後期3大交響曲と呼ばれます。
 ザルツブルクで作曲されたセレナードはザルツブルク大学の卒業生の卒業演奏会のため、あるいは親しい貴族の祝宴のためのものであり、多くのセレナードには入退場用の行進曲が付いています。セレナード ニ長調「ポストホルン」は当時の旅の交通手段であった郵便馬車の到着の合図を知らせるポストホルンが使われ、哀愁を帯びたポストホルンの響きはモーツァルトがウィーンの孤児院ミサ曲初演時に同時に初演され散逸したといわれるトランペット協奏曲を思い浮かばせます。また、モーツァルトはディヴェルティメントの分野でも弦楽のためのディヴェルティメント、管楽室内楽では管楽器のための「グランパルティータ」やクラリネット五重奏曲、フルート四重奏曲、ホルン五重奏曲、オーボエ四重奏曲などの珠玉の名曲が残されています。

〇モーツァルトの協奏曲
 協奏曲作品にはクラヴィーアのための協奏曲、バイオリンのための協奏曲、オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴット、ホルンなどの管楽器のための協奏曲、バイオリンとビオラのための協奏交響曲、4つの木管楽器のための協奏交響曲が含まれ、これらの創作割合は約13%となっています。
 モーツァルトはクラヴィーア協奏曲において音楽史上重要な改革を行っています。モーツァルトの時代、家庭用のクラヴィーアが急速に普及しこれらは調性ごとの調律が不要な平均律で調律されていたものと見られ、平均律では純正音律に比べ長3度が14セント高く調律され、すなわち200セントで1音となるので約1/16音程度高く調律され不純な響きとなる欠点があります。西洋音楽ではルネサンス以来伝統的に長3度は音楽における最も美しい和声として尊ばれ、主和音を中心として音楽が創作されてきたわけですが、モーツァルトは1784年以降クラヴィーア協奏曲において、平均律で調律されたクラヴィーアではなるべく長3度の和声を使わないようにし、クラヴィーアの分散和音や旋律を多用する曲つくりを始めています。べートーヴェンに至って和声は多様化し、純正で美しい和音を響かせる様式から様々な和声で情感を表現する様式に移り、ロマン派の音楽が形作られてゆきます。
 また、モーツァルトはクラリネット協奏曲などの管楽器の協奏曲や協奏交響曲で珠玉の名作を残しました。また、バイオリン・ソナタでは6曲のマンハイムソナタのほか、トルコ行進曲付きのクラヴィーア・ソナタ、クラヴィーア三重奏曲やクラヴィーア四重奏曲など多くの作品を残しており、そのいずれもが名曲として親しまれています。
(参考:音楽史年表記事編143.調律史とモーツァルト
(参考:音楽史年表記事編16.モーツァルト、クラヴィーア協奏曲第18番変ロ長調・ヨーゼフ2世とイザベラ妃
(参考:音楽史年表記事編92.モーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調

〇モーツアルトの室内楽作品
 モーツァルトの室内楽作品には、弦楽四重奏曲や弦楽五重奏曲などの弦楽室内楽、バイオリン・ソナタやピアノ・ソナタ、ピアノ三重奏曲などのピアノ室内楽が含まれ、創作割合は約20%となっています。モーツァルトは弦楽四重奏曲や弦楽五重奏曲で音楽史において最も重要な作品を残しました。特にハイドンが作曲したロシア四重奏曲作品33に影響を受け、ハイドンに献呈するために作曲した6曲の弦楽四重奏曲はハイドン弦楽四重奏曲と呼ばれ、音楽史におけるもっとも偉大な傑作とされています。ハイドンは「もし、モーツァルトが私に献呈した弦楽四重奏曲とレクイエムしか作曲しなかったとしても、音楽史における偉大な作曲家となったであろう」と述べ、ベートーヴェンもモーツァルトがハイドンに献呈した弦楽四重奏曲を「これこそが音楽である」と高く評価しました。

【音楽史年表より】
1779年夏か初秋作曲、モーツァルト(23)、バイオリンとビオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364
モーツァルトはパリで一生懸命に書いたフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲K.Anh.9(279B)が上演されず、楽譜も失われてしまったことに憤慨していたが、帰郷して半年以上が過ぎた1779年の夏、この協奏曲を書いた。モーツァルトはマンハイムやパリで流行していたこの新しいジャンルに強い関心を持っていたが、完成したのはこの曲だけで、結局この曲が彼の現存する唯一完成された協奏交響曲ということになる。この作品はすべてが交響的統一感に向かっているといえ、モーツァルトのこれまでの協奏的作品の頂点に立つ作品である。なお、独奏ビオラのパートはニ長調で記譜されている。これは半音高く調弦して、明るい響きを得るためである。(1)
1779年8/3作曲、モーツァルト(23)、セレナード ニ長調「ポストホルン」K.320
ザルツブルク大学の学生たちのためのフィナールムジークとして作曲される。学生達は8月の試験が終わると「フィナール・ムジーク」を領主であり、1745年以来ミラベル宮殿を居城としていた大司教の前でまず演奏し、次に行進曲を演奏しながら大学に向かい、教授たちの前でセレナードをもう一度演奏するのが習慣となっていた。試験を終えた学生達は郵便馬車で旅立つのであった。第6楽章の第1トリオでホルン奏者はポスト・ホルンを演奏する。(2)
1779年8月初め作曲、モーツァルト(23)、2つの行進曲ニ長調K.335
この2つの行進曲はセレナード ニ長調「ポストホルン」K.320のための行進曲であり、ザルツブルクの学生たちはセレナードの入場退場時にこのこの行進曲を演奏した。また、演奏会場への行進時に演奏を行った。(2)
1782年終わり頃、モーツァルト(26)、ホルン五重奏曲変ホ長調K.407
モーツァルトの一連のホルン作品は1777年までザルツブルクの宮廷楽団員を務め、モーツァルトより一足早くウィーンに移り住み、チーズ商を営みながらホルン奏者としても活躍したイグナーツ・ロイトゲープのために書かれた。曲想はロイトゲープとの交友ぶりを偲ばせる「半ばおどけたもの」となっている(アインシュタイン)。ホルン、バイオリン、ビオラが2本、チェロで演奏される。(2)
1782年12/31作曲、モーツァルト(26)、弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387(ハイドン四重奏曲第1番)
1781年に作曲され1782年に出版されたハイドンのロシア四重奏曲を、モーツァルトはハイドンと共に演奏し、ソナタ形式の完成など全く新しい方法で作曲されたこれらの四重奏曲に圧倒され、ハイドンに献呈するために1785年までに6曲のハイドン四重奏曲を作曲することになる。これらの作曲には推敲が重ねられ、モーツァルトの最も輝かしい作品となったばかりではなく、後にベートーヴェンをも感嘆させた。モーツァルトはすでにこの1曲でハイドンの技術的な側面を完全に消化しており、ハイドンをして「まったくすぐれた作曲の技術」といわしめたモーツァルトの溢れるばかりの形式上の想像力は、4つの楽章に因襲的な表現を払拭してしまった個性的な相貎、そして全体に揺るぎない調和を与えている。(1)
1785年6/8作曲、モーツァルト(29)、リート「すみれ」K.476
モーツァルトがゲーテの詩に作曲した唯一の曲、シューベルトの歌曲を予感させるドイツ・リート史に燦然と輝く名曲とされる。(2)
1788年6/26~8/10作曲、モーツァルト(32)、三大交響曲(第39番変ホ長調、第40番ト短調、第41番ハ長調「ジュピター」)
モーツァルトが三大交響曲を、3曲1セットとして出版するために作曲したという説が、デヴィット・ウィン・ジョーンズによって唱えられている。1787年12月にアルタリア社から出版されたヨーゼフ・ハイドンの3曲セットのパリ交響曲集(第82番ハ長調、第83番「めんどり」ト短調、第84番変ホ長調)に刺激を受け、同じ出版社から出版するために、作曲したのではないかというものである。(3)
1791年6/17作曲、モーツァルト(35)、モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
テキストは法王インノケンティウス6世ともいわれ、古くからミサにおけるテキストとして伝承されてきた。バーデン保養中の妻コンスタンツェの世話をしてくれた友人の合唱指揮者アントーン・シュトルへの答礼のために作曲され、贈呈された。(2)
1791年7月から12/14作曲、モーツァルト(35)、レクイエム ニ短調K.626(未完)
ウィーンのフランツ・ヴァルゼック・フォン・シュトゥパハ伯爵からの作曲依頼による。ヴァルゼック伯爵は1791年2月の夫人の死に際し、それを弔うミサ曲レクイエムを自作と称して奉献することを思い立ち、モーツァルトはその代作者として指名される。(2)

【参考文献】
1.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)
2.モーツァルト事典(東京書籍)
3.西川尚生著・作曲家・人と作品 モーツァルト(音楽之友社)

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