敗戦記念日に『永遠の0』を観た
世間では8月15日を「終戦記念日」と呼ぶ。
誰がそういう言葉を作ったのか。
おそらくエリート官僚ではないかと私は疑っている。
頭のいい彼らは、言葉の言い換えで事実をごまかすことに実に長(た)けているからだ。
長い戦争がようやく終わったと感じていた国民は、素直にその言葉を受け入れただろう。
しかし事実は敗戦なのである。
敗戦も敗戦、木端微塵(こっぱみじん)の完敗である。
何しろ日本全国の都市が焼け野が原になり、広島と長崎はほとんど消滅し、沖縄では悲惨きわりない自爆や飛び込み自殺が連発したのだから。
「敗戦記念日」に訂正すべきだと思う。
それはともかく、戦争が終わった日だから戦争の映画でも観るかと思い、敗戦の日の今日、「Amazonプライム」で『永遠の0』を観た。

ずっと前に百田尚樹の原作を読み、「これは映画になるな」と思っていたら本当にそうなったので映画は以前に一度見た。

原作でも映画でも感じたのは、何となくゼロ戦を美化しすぎているなということだ。
百田尚樹は日本最大の右翼「日本会議」の広告塔になっているほどの右翼だから、日本が行った侵略戦争を肯定する側にいるのかもしれない。
太平洋戦争は追い詰められた日本がヤケクソで起こした戦争だが、山本五十六をはじめとする軍幹部たちは「アメリカと戦ったら負ける」と知っていた。
それでも日本が真珠湾攻撃に踏み切ったのは、それ以前から始めていた日中戦争の気分から抜け出せなかったからのように思う。
明治になって日本は西洋にならって帝国主義になり清国に攻め入った。
それを指示したのは陸軍参謀本部の連中である。
彼らエリートたちは、自分たちは天皇と直結しているという妄想を現実化させた。
大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限を統帥権という。
統帥権を持つのは天皇だったが、天皇に直結している自分たちにも統帥権があると参謀連中は考えた。
(統帥権については以下のページを参照)
それ以前のノモンハン事変を起こしたのも陸軍参謀本部の連中である。
相手は重装備のソ連軍なのに、参謀たちは薄い鉄板で作ったチャチな戦車で兵隊たちに戦争を始めさせた。
このとき、参謀連中は政府にことわりなく戦争を始めた。
完敗した。
参謀連中は誰も責任を取らず、責任は現地の指揮官にあると平然と言った。
日清戦争も、政府を無視して清国に攻め入った。
清国を滅ぼして日本は戦勝気分に沸いた。
新聞が「連戦連勝」とかなんとか書き立て、日本国民は熱狂した。
次の日露戦争は祖国防衛戦争だったので仕方のない戦争だったと思う。
南下するロシア軍をそのまま放っておいたら満州を取られたのは確実だし、朝鮮半島も取られたかもしれない。
そうなれば日本とロシアは対馬海峡を挟んで睨み合うことになり、どんな歴史になったか知れたものではない。
しかし、アメリカやイギリスをうまく動かして早く講和したからよかった。
講和していなかったら、日本は負けていた。
何しろロシアは大国で、兵士の数も兵器と弾薬の数も日本とは比べものにならないくらい多かった。
ただ、首都ペテルブルク(現サンクトペテルブルク)から極東までがおそろしく遠いという不利さはあった。
シベリア鉄道を使って兵士や兵器を運んでも、何日もかかる。
そのことで日本は開戦に踏み切った。
日露戦争当時の軍部は優秀で、ロシア軍に勝つには途中で講和する以外にないと真剣に考えていた。
理由は上に書いた通りである。
兵士も兵器も弾薬もどんどん送られてくると予想されていたので、その前に決着を付けたかったのだ。
それで政府を動かし、政府はスパイを使ってロシアで革命を起こさせようとし、そんなこともあってアメリカやイギリスが日本に味方にして講和が実現した。
けれど、戦争を続けていればロシアが勝ったのは確かだったので、日本はロシアに多くを求めることができなかった。
そのことで日本国民が逆上した。
「勝ったのに賠償金も領土ももらえないなんてバカじゃないか!」とばかりに国民が発狂してしまったのだ。
その後、日本国民は「日本は神国だ」と信じるようになった。
軍部もそう信じるように仕向けた。
そして、清国に勝ったのに日本は中国にさらに兵士を送り込んだ。
今度は蒋介石の率いる中華民国国民政府と戦争を始めた。
その端緒になったのが盧溝橋事件である。
当初は小競り合い程度だったが、次第に本格的な戦いになった。
日中戦争の始まりである。
その作戦がひどいものだった。
日本軍は、補給部隊も付けずに兵隊を戦地に送り込んだのである。
食うものがなくて兵隊たちは民家に押し入り、食料をあさった。
女性がいれば犯した。
インド国境まで攻め入った日本軍兵士たちはほぼ全滅した(インパール作戦)。
ほとんどが餓死だった。
そのころ参謀本部のエリートたちは、日本で芸者を揚げて酒を飲んでいた。
机上で作戦を考えるだけで、あとは現地任せだったのである。
負ければ「気合がたりんッ」とか「大和魂がないッ」といった精神論で兵隊たちをこきおろした。
太平洋戦争も、そういう参謀連中が企画した。
真珠湾攻撃は見事な作戦だったと思う。
立案したのは参謀ではなく山本五十六あたりだったのではないか。
ただし山本は、少しの期間なら米軍を叩くことはできるが、戦争が長引けば必ず負けると考え、アメリカとの講和を早く結ぶように政府にはたらきかけていた。
山本はアメリカで暮らしたことがあり、アメリカの工業力をよく知っていたのである。
それに比べて日本には資源がなく、工業力もアメリカとは比較にならないほど乏しい。
だから山本は早い講和を望んだのだ。
ところが実際はそうはならず、日本軍は南方各地で負けるようになり、ついには沖縄に上陸されて沖縄県民が何万人も犠牲になり、さらに広島と長崎に原爆を落とされ、無条件降伏するに至った。
アメリカ大統領は、真珠湾攻撃を未然に知っていたという。
それでも知らぬふりをして日本軍に真珠湾を攻撃させた。
当時、アメリカはドイツと戦争したがっていた。
しかし国民が反対した。
そんなときに、アメリカの暗号解読班が日本軍の暗号を傍受して解読し、日本が戦艦数隻にゼロ戦を載せて真珠湾に向かうことを知った。
アメリカ大統領はこれを好機だととらえた。
日本軍がハワイを攻撃してくれれば、開戦する口実ができる。
それで真珠湾がやられるのを見過ごし、アメリカは日本と戦争を始めた。
すると国民が熱狂しだし、ドイツもやっつけろという世論が沸き起こった。
大統領の思うつぼだった。
こうして太平洋戦争は進んだが、山本が考えた通り、アメリカの物量作戦に日本は勝てず、追い詰められていった。
追い詰められてやることがなくなると、軍部はとんでもないことを考え出した。
それが特攻である。
ゼロ戦を飛ばし、相手と戦闘するのではなく、敵艦に体当たりさせるという恐るべき作戦である。
ゼロ戦には爆弾を搭載し、しかし燃料は敵艦までのぶんしか入れず、それで多くの若い兵士が敵艦目指して飛び、散った。
日本軍は特攻隊に「神風」を冠して神風特攻隊と呼んだ。
日本は神国で神に守られている国だという妄想としか言いようのない考えを子どものころから叩き込まれて育った兵隊たちは、その名称に感動し落涙し、死ぬためにゼロ戦に乗って飛び立った。
『永遠の0』は、その神風特攻隊の現実を追う物語である。
特攻する前に、ゼロ戦乗りたちは上官から紙を渡される。
その紙には、特攻を「志願する」と「志願しない」のどちらかを丸で囲むようにと書いてあった。
志願したくない兵士も、周囲がみな志願するのに自分だけが志願しないわけにはいかないと思い、「志願する」を丸で囲んだ。
こうして多くの若い命が海に散ったのである。
多くのゼロ戦が敵艦目掛けて飛んだが、そのほとんどは撃ち落とされて海に沈んだ。
日本という国は、何と愚かだったのだろう。
その「ゼロ戦」を美化するなんて「この人、どうかしてんじゃないのか」と原作を呼んだときそう思った。
戦争を美化しているとさえ感じた。
百田尚樹はそのことを書きたくてこの作品を書いたのではないとわかっている。
しかし、原作のはしばしに「右翼」の嫌なにおいが感じられるのだ。
ただ単に彼はゼロ戦が好きなだけなのかもしれないが、私にはどうもそう感じられてしまう。
ゼロ戦は当時としては世界最高の戦闘機だった。

速度も航行距離も旋回能力もずば抜けていた。
骨組みの金属をでき得る限り軽いものにし、しかも穴をたくさん開けてもっと軽くし、薄い鉄板で作り上げたからだ。
戦闘機には普通、乗組員の席の後方に防御板がある。
ゼロ戦はそれも省いた。
そのためゼロ戦のスピードは高く、航行距離も長く、旋回性能も優れたものになったのだが、敵から乗務員を守るという発想を除外して作られた戦闘機なのである。
ゼロ戦については、吉村昭の『零式戦闘機』に詳しい。

軍部に命じられて三菱重工業がゼロ戦を作った。
設計したのは航空技術者の堀越二郎である。
堀越二郎については、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』でも描かれている。

つまりゼロ戦は、はじめから特攻向きの戦闘機だったわけだ。
堀越二郎はそんな考えで設計したのではないが、結果的にそうなった。
『永遠の0』では堀越二郎は登場しない。
ゼロ戦乗りばかり出てきて、主に特攻についての記録映画みたいになっている。
凄腕と言われた戦闘機乗りが、なぜか臆病者と言われていた。
その戦闘機乗りが主人公である。
彼は教官になってゼロ戦で戦闘する技術を若者たちに教えた。
しかし、特攻に行かせようとはしなかった。
彼は、特攻隊の護衛と成果を確認するために一緒に飛ぶが、いつも敵艦の艦砲射撃の届かない上空にいた。
それで「あいつは臆病者だ」と言われるようなったのだ。
しかし、そんな主人公に恩を感じる生き残りもいた。
生き残った人たちは、もうかなりの老齢である。
原作でもそうだが、特攻隊員の生き残りの老人たちが当時のことを語るシーンが多い。
原作ではその語りが実に整然としていて、普通の人がこんなにうまく話せるものかいなと違和感を持つほどだ。
映画では俳優がうまく話しているからそんなに違和感を持たないが、それでも70年以上も昔のことをそんなにきちんと覚えているのは不自然だという感想を持たざるを得ない。
まして、語るのはよぼよぼのお年寄りが多いのだ。
その点が不自然きわまりない。
ただ、主人公(岡田准一が演じている)が部下を特攻に行かせたくなくて密かに努力する演技は素晴らしい。

ラストは衝撃的である。
主人公の家族のことも衝撃的だが、敵艦からの攻撃を避けながら低空飛行で……。
これ以上は書かない。
戦争やゼロ戦を美化しているようにも受け取られかねない作品なので、あまりお薦めはしないが、そのことをわきまえて観るなら、『永遠の0』はよくできた映画なので観る価値はある。


ゼロ戦とアメリカの戦闘機の空中戦はCGだと思うが、よくできていて、引き込まれる。
サザンオールスターズの歌う主題歌『蛍』が映画のラストシーンの後に流れるというのも、珍しくていい。
ただ、「Amazonプライム」では、その最後のシーンを観られない。
サザンの『蛍』を聴くこともできない。
残念だった。
『永遠の0』は2015年にドラマにもなっている。
向井理が主人公を演じた。
私は観ていないので何とも言えない。
一度、観てみたいと思っている。

