「娘」になれなかったフランスのホームステイで、私は大人になった
私は、大学時代にフランス語を学び、23歳の時にフランスに5ヶ月間の語学留学をしていたことがある。
フランスの家庭へのホームステイへの期待に心躍らせて到着したが、現実は理想とは全く違った。
今日は、このnoteで26年前のフランス留学回想記を書いていて思い出した、フランスホームステイの記憶について書こうと思う。

フランスのホームステイのリアル
あなたは、「フランス人の一般家庭にホームステイ」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。
毎晩テーブルには手の込んだフレンチ料理が並び、ワインとチーズに囲まれながら家族との会話が弾み、家族の一員として温かく迎え入れられる・・・
そんな光景を思い浮かべるかもしれない。
でも、私が実際に体験したことは、それとはだいぶ違った。むしろ「え、これが現実?」と最初はショックだった。でも、今振り返れば笑って語れるような、少し苦い思い出だ。
ビジネスライクで気難しいホストマザー
ホストファミリーはごく普通の白人家庭で、お父さん、お母さんと12歳の娘の3人家族だった。
若く無知だった私は、それまで、ホストファミリーは自分を家族の一員として受け入れてくれ、国際交流に関心がある人だとばかり思っていた。

でも実際は、留学生の受け入れは家計の足しにするためにやっている家庭がほとんど。仕事や家事で忙しい中で他人を自分の家に住まわせるのだから、それも当然である。
私がホームステイした家庭は、お父さんは気さくでいい人だったが、お母さんが気難しい人で、「留学生の受け入れは、収入のためにやってます」というのがあからさまに伝わる感じだった。無口であまり笑わない人で、日本にも国際交流にも興味は無さそうだった。
ホームステイって、もっと温かいものじゃないの?
家族として迎えてくれ、夜にたくさん話したりするものじゃないの?
私の国のことを興味を持って、話を聞いてくれるものじゃないの?
と、寂しく思うこともあった。
ホストマザーに怯える日々
ホストマザーはシャワーや台所の使い方のルールに厳しく、私のシャワーの時間が長いと「あなた一人がこの家に住んでるんじゃないのよ」と注意されたものだ。

幸い、私は12歳の娘と仲良くなり、毎晩のようにトランプをしようとせがまれて一緒に遊んでいた。会話の少ないホストファミリーで家族として迎えてもらえない環境で、彼女の遊びに付き合ってあげている時間だけは、その家で自分の居場所があるように感じていた。
今思えば、そんなにビクビクしたり卑屈になる必要はなく、普通にしていればよかったのかもしれない。でも私は、お母さんと仲良くなろうとするより、「お母さんに注意されないように」と、できるだけ目立たないよう、怒られないよう行動する毎日だった。
衝撃のフランスの"一般家庭"の夕食
さて、そんなホストマザーが作ってくれる料理は、いつも最小限で質素だった。夕食にだいたい出てくるのは、スープと生野菜のサラダ。
そして、頻繁に登場するメインディッシュは、茹でたパスタ。その脇には塩こしょうとチーズが置かれ、「あとは自分で好きに味付けして食べて」という具合である。

「え、ソースすらないパスタが本当に夕食なの?」と、最初は驚いた。ちゃんと食費も払って滞在させてもらっているのに、こんな食事が許されるのだろうか。他の家庭にホームステイしている語学学校の友人にその話をすると、「えー!それは、学校に言って家を変えてもらったほうがいいよ」と口を揃えて言われるレベルだった。
誤解のないように言っておくと、これは決して私への嫌がらせではない。12歳の娘も、当たり前のように同じものを食べていた。この食卓が、この家庭の日常だったのだ。
まあ、フランス人がみんな料理上手なはずがないし、家庭で毎日優雅にコース料理を食べるはずもない。ホストマザーも働いていたし、そんな手の込んだ料理を作るスキルも余裕もなかったんだろうと思う。
だから、私がたまにカレーを作ったりすると、ホストマザーは「料理を作ってくれるのはいつでも大歓迎よ」と喜んでくれたものだった。
お母さんとの距離が少しずつ縮まる
「今の家は会話もあまりないし、食事もあんなだし、学校に相談して家を変えてもらおうか・・・でも、次の家が今よりマシな保証はどこにもないし、出ていくのも気まずいし・・・」と悩みながら、時間が過ぎていった。
その間に、私のフランス語が上達したのか、いつも12歳の娘と遊んであげていることで私の株が上がったのか、時々料理をして喜んでもらえたからか、少しずつホストマザーとの距離が縮んで会話が増えてきた。
そんなある日、私が、夕食に出てきたズッキーニのグリルをすごく気に入ったことがあった。
私はそれまでズッキーニを日本で食べたことなかったので、「これキュウリ?」と聞くと、お母さんが「違うわよ。フランス語では"クルジェット"と言うの。私も好きなの、美味しいでしょう」と、とても嬉しそうにしていた。
その後、お母さんは「あなたが好きなズッキーニを見せてあげる」と、家庭菜園で育てているズッキーニを一緒に収穫させてくれた。私が帰国する時には、「これを日本でも食べなさいね」と、ズッキーニの種を紙に包んでくれた。
当時はそのまま日本に持って帰ってしまったが、今はもう、そういうの厳しいからダメだと思う。種は自宅の庭に植えてみたが、ホストマザーの庭のような立派なズッキーニは収穫できなかった。
病院の予約も診察も自分で
私がフランスの水が合わなくて顔や腕が肌荒れしてしまった時には、お母さんが皮膚科のお医者さんを紹介してくれた。とは言え、お母さんは病院に付き添ってくれるでもなく、予約の電話をしてくれるでもなく、「病院に行くかどうかはあなたの自由。予約や通院は、やりたければ自分でしなさい」という感じだった。
日本で留学生を受け入れている家庭で、学生が病院にかからないといけなくなったら、普通はホストファミリーが付き添ってくれるものではないだろうか。少なくとも、予約の電話くらいはしてくれそうである。でも、私のホストマザーの助けは一切なし。
今思えば、「自分ではできないので、代わりに予約の電話をしてほしい」と頼めば、もちろんホストマザーはやってくれたと思う。それをお願いしなかったのは、私だ。言わなくてもやってくれる、日本式の優しさを勝手に期待していた私の勘違いだ。
私は、緊張しながらどうにかクリニックに電話してフランス語で予約し、診察を受けた。処方してもらった塗り薬を塗ると、すぐに肌は良くなった。ホストマザーにお礼を言うと、「ね、いいお医者さんだったでしょ」と満足そうにしていたことを思い出す。
ホストマザーの”男の趣味”とは
ある時、語学学校の同じクラスのペドロというスペイン人の男の子と二人で旅行に行くことになった。ペドロは車を持っていて、彼のスイス1泊2日のドライブ旅に便乗させてもらえることになったのだ。

当時私には日本に彼氏がいて、ペドロとはただの友達だった。でもホストマザーは、私の家まで迎えに来てくれたペドロを見て「あら、ハンサムなお友達じゃない!旅行楽しんで来てね!」と意味深にニヤニヤしながら送り出してくれた。
スイス旅から帰ってきてからは、「旅行はどうだった?スイスの男はハンサムだった?」とホストマザーに聞かれた。それまで、「◯◯人はハンサム」とかいう視点で考えたこともなかった私は、「うーん、まあ、ハンサムなんじゃない?」と適当に答えると、ホストマザーはこう言った。
「私たち、男の趣味は合わないみたいね。スイス男はブサイクが多いのよ。それより私は、あのお友達のペドロはハンサムで素敵だと思うわよ?」
ペドロは紳士で、旅行中も旅行後も友達以上のことは何もなかった(今だから言える、ちょっとだけ危なかったけどw)。でも、ペドロのおかげで、時間はかかったけど気難しいホストマザーと打ち解けられ、冗談を言い合える仲になれたことが嬉しかったことを覚えている。
「フランス人は心を開くのに時間がかかる」と聞いたことがあるけど、ホストマザーもきっとそうだったのだと思う。
ホストマザーの立場を理解できたら、気持ちが変わった
今回の旅で、26年ぶりに当時住んでいた街を訪れ、ホストファミリーと住んでいた家の前まで行った。私にとって懐かしい街であり、語学学校での日々は本当に楽しいものだったからだ。でも、「ホストマザーに会いたい」という気持ちは、はっきり言ってなかった。
当時の5ヶ月間のホストマザーとの思い出は、衝撃の茹でパスタの夕食や、シャワーの時間で注意されたことが記憶の多くを占めていて、正直言って「良い思い出」と言えるものではなかったからだ。
でも、当時のホストマザーくらいの年齢に自分自身がなった今、仕事をしながら家庭を守ることの大変さを知り、ホストマザーの当時の思いや苦労をはじめて少し理解することができた気がした。
23歳でもう大人のくせに、甘えた女の子が日本からやってきて、忙しい朝にシャワーを占領したり、フランス語が下手だからなのか遠慮しているのか、口数が少なく何を考えてるかわからなくて、ホストマザーにとってはきっと面倒な留学生だったに違いないと思う。
ホストマザーは本当の意味で私を「大人扱い」してくれた
ホストマザーは、思い返せば色々と私に気を配ってくれつつも、フランス語で自立できるよう促してくれたのだと思う。それまでずっと実家暮らしで母親に甘やかされていた私には、必要な経験だった。
病院に付き添ってくれなかったのも、きっと「彼女なら一人で問題ない」と私を信頼してくれていたからだろう。命に関わるような病気じゃないのだし、私を年相応に扱ってくれたのだと、今ならわかる。
ドライブ旅行についても、「男友達と1泊旅行なんて、危ないからダメよ」と止めるでもなく、快く送り出してくれたのは、私を大人と認めてくれていたからこそだったのだろう。日本の実の母親だったら、きっといい顔はしなかったと思う。
私は、いい歳して、ホストファミリーにその家の「娘」として迎え入れられることをどこかで期待していた。今思えば、我ながらキモい。でもホストマザーは、私を娘として手厚く保護するというよりは、対等な大人の友人として扱ってくれたのだと思う。
ホストマザーとの5ヶ月で、私は語学力を磨き、人間関係の作り方を学び、トラブルに対処する術を身につけ、外国語環境でも生きていける自信がついた。それは、現在も「外国で日本語が通じない環境でも、私なら何とかなる」という、絶対的な自信につながっている。それは、ホストマザーが私を甘やかさず、自立を助けてくれたおかげだ。
帰国後には、ホストマザーに何度か手紙を送ったりしたが、「お母さんは留学生受け入れをビジネスでやっているのだし、仕事も忙しそうだし」と遠慮する気持ちもあり、手紙のやりとりも長くは続かなかった。私の前後にもたくさんの留学生を受け入れていたから、ホストマザーが今もお元気だとしても、私のことはきっと覚えていないだろう。

今回のフランス旅で、当時のことを思い出しながら通学路を歩き、お母さんたちが住んでいた家の前まで行った。
でも、「もう26年も経っているのだから、子どもも巣立っただろうし、今は別の人が住んでいるかもしれない。それに、ホストマザーの名前も覚えていないし・・・」と、呼び鈴を押すことができなかった。
この文章を書きながら、お母さんの当時の気持ちを初めて少し理解できた今、やっぱりお母さんと会いたくなった。
違う人が住んでいるならそれでもいいから、勇気を出してドアをノックして、「この家に26年前に住んでいました」と言ってみれば良かった。
あの時ドアをノックできなかった後悔が、きっとまたこの地を旅をする理由になる。そんなふうに、私のフランス旅は、まだ終わらずに続いていくのかもしれない。
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