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信号待ちの猿

僕の平和な惰眠は、一匹の『指名手配犯』によって破られた。

1月8日。世間の正月気分がようやく薄れ、重い腰を上げて日常に戻り始めるころ、僕は相変わらず平和な惰眠をむさぼっていた。

うとうとと微睡みの海を漂っていた僕の耳に、ドタドタドタッという派手な足音が飛び込んできた。妻のトラ子さんが階段を駆け上がってくる音だ。

彼女はその勢いのまま部屋のドアをバーンと開け放ち、息を弾ませながらこう叫んだ。

「猿ッ!」

なんだなんだ。急にどうした。
猿? 何が猿なのか。僕の昼寝姿があまりにも猿じみていたという痛烈な皮肉だろうか。だとしたら、いくらなんでも直球すぎる。

寝ぼけ眼をこすりながら、興奮冷めやらぬ彼女をなだめて話を聞くと、どうやら僕の寝姿の話ではないらしい。

話を聞けば、事態は僕の想像を遥かに超えていた。
彼女が、自宅近所のスーパーへ自転車で買い物に行き、大きな四車線道路の信号待ちをしていたときのことだ。

ふと気配を感じて横を見ると、ちょこちょこと何かがやってきて、まるで飼い犬が飼い主の横でおすわりをするように、彼女の隣に「ちょこん」と座ったのだという。

え?何?と思って見下ろすと、それは巷のニュースで話題になっていた「左手のない猿」だった。

場所は、横浜にある自宅からさほど離れていない大きな交差点だ。四車線の幹線道路。交通量は激しく、周囲にあるのは無機質な工場や大型スーパーなどの商業施設である。山もなければ、森もない。緑といえば、せいぜい街路樹が申し訳程度に立っているだけの、アスファルトのジャングルだ。

そんな交差点で、サラリーマンと買い物袋を提げた主婦、そして猿が、横一列になって青信号を待っていたのである。いや、絵面がシュールすぎるだろう。

「まるで飼い犬が信号待ちしてるみたいに、前を向いて普通に座ってたのよ!」

トラ子さんは、それが猿だと認識したとたんパニックに陥った。目の前の光景が、にわかには信じられない。

なにせ相手は野生動物だ。急に動いて驚かせたら襲われるかもしれない。目を合わせたら威嚇と取られるかもしれない。「だるまさんがころんだ」の要領で、息を潜めて、そおっと、そおっと距離を取ったという。

周囲の人たちも猿に気付いたとたん、目を丸くしながらじわじわと遠ざかっていったという。

「それでね、慌ててスマホで写真を撮って、警察に通報したの! ニュースで『見かけたら連絡を』って言ってたから!」

見上げた市民精神で息巻く彼女だったが、その後の警察の対応がまた、拍子抜けするものだった。

「あ、あの! 猿が! ニュースになっていた左手のない猿が、ここにいます!」

さぞかし大捕物が始まるかと思いきや、「あー、そうですか。お怪我はないですよね?」と、詳しい場所や逃げた方向すら聞かれず、あっさりと通話は終了してしまった。

トラ子さんにとっては日常を根底から揺るがす「大事件」だったのに、向こうにとっては「今日の猿その1」程度の扱いなのだ。そのズレが、なんだかおかしい。

だが、冷静になって考えてみると、「なぜこんな市街地に猿が?」という疑問が湧く。

その答えは、すぐそばを流れる「川」にあると僕は睨んでいる。

人間にとって、川は「景観」や「自治体の境界線」に過ぎない。
けれど、野生の動物たちにとって、川沿いの草むらは、人間に見つからずに、都市の心臓部まで安全に移動できる秘密のハイウェイなのだ。料金所も渋滞もなく、都市のど真ん中まで一直線だ。

思えば、僕はこの川でたくさんの「住人」を見てきた。そう、川は自然の宝庫なのだ。

よく見れば、カモに見えて実は違う「オオバン」が泳いでいるし、カラスと見せかけて潜水が得意な「カワウ」がいる。橋の上には「ユリカモメ」が羽を休めている。

青い宝石のような「カワセミ」だって飛んでいるし、運が良ければハヤブサ科の猛禽類である「チョウゲンボウ」や、「ミサゴ」が空を舞う姿を目撃することもある。

以前、散歩中に僕の背丈の半分くらいありそうな巨大な「サギ」が降り立ってきて、そのあまりのデカさに「恐竜か!」と腰を抜かしそうになったこともある。

鳥だけではない。ネズミやコウモリはもちろんのこと、タヌキや、野生化したフェレットまでもが、夜な夜なこの川沿いの草むらのルートを伝って移動しているのだ。

『鉄腕DASH』でもやっていたが、隣の多摩川にはなんとキツネもいるらしい。羽田空港もほど近い、僕の母校のすぐそばにキツネがいるのかと驚いたものだが、川を使えば、彼らはどこへだって行けるのだ。

そういえば、2017年には、近くの橋の欄干を悠々と渡っている猿の目撃情報もあった。あの橋を渡っていた猿は、もしかすると今回の「左手のない猿」の先輩であり、都市への移住に向けた下見だったのかもしれない。

人間が気づかぬうちに動物たちは、すぐ足元まで遠征してきているのだ。いつの間に、この街は彼らの生活エリアになってしまったのだろうか。

都市伝説だと思っていたものが、現実として目の前に現れる。
「こんな場所にいるわけない」という人間の勝手な思い込みなど、彼らには微塵も通用しないのかもしれない。

土手の獣道のイラスト
川には野生動物の道がある

僕は早朝、習慣で土手沿いをウォーキングしている。
冷たい空気を吸い込みながら、野鳥や小さな動物の気配を感じるのは、ささやかな楽しみなのだ。

けれど最近、その「楽しさ」の中で、背筋がゾッとすることがある。

土手を歩いていると、昨日までは普通にまっすぐ伸びていた背の高い草が、不自然に広範囲にわたってバタリと倒れているのを見かけることがある。風で倒れたというよりは、明らかに「何者かがそこで転げ回った」ような、生々しい跡だ。

「……もしかして、熊?」

いや、ありえない。絶対にありえない。ここは横浜の市街地だ。そう自分に言い聞かせるのだが、あの四車線道路の信号待ちの列に猿がちょこんと座っていたシュールな現実を突きつけられると、その「ありえない」という言葉が、急に頼りなく感じられるのだ。

もし、この草むらのハイウェイの先に、僕たちの想像を超えた「巨大な野生」が潜んでいたら?僕が呑気にウォーキングしているすぐ数メートル横で、彼らが息を潜めて、僕という「鈍感な人間」を眺めていたとしたら?

タヌキが歩き、猛禽類が飛び、猿が横断歩道で青信号を待つ街。川を伝ってくれば、どんな野生動物が現れても不思議ではないと感じてくる。

僕らが安心しきっているこのアスファルトのすぐ隣には、今も野生が息づき、ひっそりとこちらの世界を覗き込んでいる。彼らは僕たちの引いた境界線などお構いなしに、日常の裂け目からするりと入り込んでくる。

トラ子さんの「猿ッ!」という叫び声が耳の奥でリフレインする。あれはもう、単なる笑い話ではなく、都市のリアルを突く鋭い警鐘だったのかもしれない。

もし、早朝ウォーキングをしているとき、前方の草むらがガサリと大きく揺れたなら。

その時は、僕はそっと端に寄り、彼らに道を譲るつもりだ。なにせ、そこは彼らの高速道路なのだから。

そこからひょっこり顔を出すのが、どうか熊ではありませんようにと、静かに祈りながら。

 
 
相生エッセイ
 


▽ 野生動物三部作です🦇🐒🦭 



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