私のタマちゃん
人間という生き物は、つくづく「熱狂」に弱いのだと思う。
それが自分には縁もゆかりもない対象であっても、ひとたび周囲の興奮が沸点を超えれば、脳の回路は実にあっけなくその流れに乗りたくなってしまう。
2002年の夏。日本中がワールドカップの熱狂の余韻に浸っていたあの頃、もうひとつの熱狂が、東京と神奈川の県境を流れる多摩川から、横浜の鶴見川へと静かに、しかし力強く泳いできた。
アゴヒゲアザラシの「タマちゃん」である。
本来、北の海に住むはずの彼(あるいは彼女)が、なぜかコンクリートに囲まれた市街地の川に現れた。身近な川に突然アザラシが現れたというニュースは、瞬く間に日本中のテレビを独占した。
タマちゃんの現在地が連日報じられ、ヘリコプターが空を舞い、川沿いにはカメラを持った報道陣と、ひと目その姿を見ようとする見物客が押し寄せ、さながらお祭りのような大混雑となっていた。
あの頃は水質汚染の心配や保護の必要性が議論され、川の環境を見直すきっかけにもなったという、なんとも時代を象徴する出来事だった。
そんな騒ぎの最中、折しも妻のトラ子さんはたまたまその川の近くのビルで働いていた。職場の窓からは、橋の上や川沿いで大騒ぎしている人たちの姿がよく見えていたという。
「今日もすごかったよ、窓から見ると、すっごい数の人が集まっててさあ。お祭りみたいだよ」
自宅で夕飯を食べながら、彼女は完全に他人事としてそんな話をしていた。
それから数日後の夕方。どうしてもその「お祭り」の空気を肌で味わってみたくなった僕は、仕事終わりの彼女を職場まで迎えに行くことにした。
「タマちゃんがすぐそこにいるらしいよ! ちょっと見に行こうよ」
僕がそう誘うと、トラ子さんは心底呆れたような顔をして言った。
「そんなの見ても仕方ないじゃん。川の中だよ? 見えたってどうせ頭の一部だけでしょ。行くだけ無駄無駄」
彼女は冷静だった。世間の熱狂を冷ややかに見下ろす、氷のように冷たい塩対応だったが、僕は「まあまあ、散歩がてら行ってみようよ」となだめすかして、半ば強引に川へと連れ出した。
川辺に到着すると、そこはすでに想像以上の人だかりだった。
平日の夕方だというのに、橋の上や川辺は人でぎっしり埋まっている。報道陣のカメラが並び、人々が折り重なるようにして水面を凝視している。
驚いたのは、そこにいる人たちの表情だ。みんな、なんだかとても楽しそうなのだ。
知らない人同士が「あっちにいたらしいですよ」「さっき潜っちゃったね」と、まるで旧知の友人のように情報交換をしている。そこには、ひとつの目的を共有する者たちだけの、奇妙で温かな連帯感があった。
まさに「聖地」である。この前までただの身近な川が、一頭のアザラシの出現によって、結界が張られたかのような非日常の空間に変貌していた。
「ほらトラ子さん、あそこだって!」
僕が指を差しても、彼女は「ふーん」と気乗りのしない返事を返し、興味なさげに爪を眺めたりしている。
ところが、その直後である。
「あ、いた!」
誰かの叫び声が、導火線に火をつけた。
群衆の熱狂が、目に見える波となって押し寄せてきた。百人近い人間が一斉に同じ方向を向き、指を差し、歓声を上げる。人々のざわめきがうねりのように大きくなり、空気が一変した。
「どこ?」「あそこだ!」「わー、見えた!」
大勢の人が一斉に川面を覗き込む。もちろん、僕たちの位置からは人の壁に阻まれて、川面はおろか足元すら見えない。
「これじゃあ何も見えないね。橋の上もいっぱいだし、もう帰ろうか」
そう言って隣を振り返った僕は、言葉を失った。
「なにしてんの! そこにいるんだってよ!」
彼女は僕の腕を乱暴に引っ張ると、人混みをかき分けて前へ進もうとした。
さっきまでの「無駄無駄」と言っていた女性はどこへ行ったのか。彼女の目は、獲物を狙うハヤブサのように鋭くギンギンに輝き始めていた。
「いや、あそこだと思うけど……人が多すぎて見えな……」
「ここじゃ見えない! 早く早く! 近くに行くわよ!」
僕が言い終わる前に、トラ子さんは群衆の中へと突っ込んでいった。かつてないほどの俊敏な動きで人をかき分け始めた。
その突破力は、まるでバーゲンセールの開店直後にワゴンへ突っ込む勢いだ。僕は唖然としながら、その後ろ姿を追いかけるのが精一杯だ。彼女の中に眠っていた「野性」が、タマちゃんの出現と共鳴してしまったらしい。
「タマちゃん、上流に行ったぞー!」
群衆の中からそんな声が上がると、人々はひとつの生き物のようにぞろぞろと上流へ移動し始めた。まるで見えない神輿を追いかけるお祭りの行列みたいだ。

僕は早々に飽きていた。
だって、見えないのだ。人の背中しか見えないし、たまに水面が開けたと思っても、そこにあるのはただの波紋だ。
「じゃあ、もう見えないみたいだし帰ろうか」と至極まっとうな提案をすると、トラ子さんは信じられないものを見るような顔で僕を睨みつけた。
「はぁ? 何言っちゃってんのかな? 私のタマちゃんが向こうに行ったんだよ。行くに決まってんでしょ!」
……私のタマちゃん?
僕は耳を疑った。見たことも触れたこともない、ましてやまだ影すら確認していない野生の海獣が、ほんの数分の間に「私のもの」に昇格しているのである。すれ違った見知らぬご婦人が、トラ子さんのあまりの熱量に吹き出して笑っていた。
現代風に言えば、これは完全に「推し」が誕生した瞬間だったのだろう。「推し」という概念が言語化されるよりずっと前、トラ子さんはそのプロトタイプ(原型)を完成させていたのだ。
「えー……」と僕が渋っていると、トラ子さんはもう走り出す勢いでずんずん歩いていく。そして時々後ろを振り返り、僕に向かって「早く来い!」とばかりに、顎(あご)をクイッとしゃくって合図した。
僕は完全に戦意を喪失しながら、その後をトボトボとついていく。
アゴヒゲアザラシを探しに来たはずなのに、気がつけば僕は、すっかりスイッチの入った野生のトラ子さんのアゴに完全に従属させられていた。紛れもなく、我が家に現れた野生の「アゴで使いアザラシ」である。一体どっちが野性の証明なのだろうか。
次の橋に到着した頃には、さらに群衆は膨れ上がり、もはや川面すら見えない状態になっていた。人々の背中越しに、わずかに見えるきらきらとした水面。そこを何かが通り過ぎたような気がしたが、確証はない。
「あーあ、見えなかったね」
そこでようやくトラ子さんも諦めたのだが、その顔は不思議と満足げだった。推しのライブから帰ってきたような、不思議な多幸感。興奮冷めやらぬ表情だ。
「よかったねえ、タマちゃん。あんなにみんなに歓迎されて。また明日も仕事の合間に見守ってあげなきゃ」
「えっ? ……あ、あぁ、そうだね。さっき、一瞬だけグレーの丸い何かが、波間に見えた……ような気がするもんね」と、僕は話を合わせるのが精一杯だった。
夕闇に包まれ始めた帰り道、慈愛に満ちた「推しの守護神」のような眼差しに変わった彼女の目を見ながら、僕はなんだか可笑しくて仕方がなかった。
結局のところ、僕たちが見たかったのはアザラシそのものではなく、自分の中にある「何かに夢中になれる瞬間」だったのかもしれない。
あの日、熱狂する群衆の中で、結局いちばん珍しくて面白かったのは、川に現れたタマちゃんではなく、見えもしないアザラシを「私のタマちゃん」と呼んで土手を疾走したトラ子さんだった。
今でも川辺を歩くたび、あの日のトラ子さんのギンギンに輝く目を思い出しては、一人でクスッと笑ってしまうのである。
相生エッセイ
▽ 野生動物三部作です🦇🐒🦭
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