猫だと思っていたあいつ――ボーラの届かない夕暮れ
長さ五十センチくらいの紐(ひも)の両端に、少し重めの木片を結びつける。それをぶんぶんと頭上で回転させ、夕暮れの空に向かって放り投げる。
これが何をしているか、わかる人はいるだろうか。
実はこれ、「ボーラ」という狩猟や捕獲用の道具を真似た仕掛けなのだ。ぐるぐる回る紐が風を切る音、あるいは木片の軋む音から、何か特殊な高周波の音が出る、と当時は信じられていた。それに引き寄せられたコウモリが、飛んできて紐に絡まることもあるという。
とはいえ、子供の手作りだ。そんな都合よくいくわけがない……と思いきや、まぐれなのか最初の一撃で本当にコウモリが落ちてきたことがあった。
念のため言っておくが、現在コウモリを許可なく捕獲することは違法だし、やってはいけないことだ。当時の僕らはそんな法律を知る由もなかったが、決して真似をしてはいけない。僕たちの場合は、結局一度も捕まえられなかったのが幸いだったのかもしれない。
ともかく、その一撃に味を占めた僕たちは、夕方になると田んぼや畑のあぜ道に集まり、あちこちでぶんぶんと木片付きの紐を空に投げていた。
あれから数十年。僕の住む横浜の街は、すっかりその姿を変えてしまった。
見渡す限りの田園風景は、マンションが林立し、四車線の幹線道路に囲まれて、絶えず車のライトが川のように流れている。朝も昼も夜も人の流れが途切れない。風情のかけらもない、典型的な「都市」の風景だ。
昭和の面影はどこにもない。野生動物なんて、動物園かドキュメンタリー番組の中にしかいない。多くの住人はそう信じているだろう。
ところが、である。
風景はすっかりコンクリートに塗りつぶされてしまったというのに、コウモリたちは今でも変わらず、僕たちの頭上を飛び交っているのだ。
夜が明けきらない土手へ行けば、数えきれないほどのコウモリが乱舞しているのを見ることができる。僕の家の、なんてことのない駐車場の上空でも、彼らは排気ガスの匂いを突き抜けて、超音波の歌を歌っている。
しかし、世の中の多くの人は、彼らの存在に気づかない。
目の前を横切る黒い影を、「ああ、鳥か何かだろう」と脳が片付けてしまう。見えているのに、見ていないのだ。
そんな「認知の断絶」をまざまざと感じたのが、先日、町内会の用事で近所のお宅を訪ねた時のことだ。
玄関先でインターホンを押した僕の視界の端に、何かが動く影が映った。何やらモコモコしたやつだ。植え込みの影。そこには、一組の狸の親子が、ごく当たり前のような顔をして佇んでいた。
「お、こんなところにタヌキだ」
僕は驚きつつも、スマホを構えて彼らの姿を速写した。都会の真ん中でも狸を見かけること自体はあるが、これほど至近距離で、しかも親子揃ってというのは初めてだった。
ちょうど玄関から出てきた女性に、「そこにタヌキがいますよ」と教えると、彼女はこう言い放ったのである。
「はぁ? うちに狸がいるわけないでしょう」
いや、そこにいるのだ。目の前に。
僕は、「ほらそこ」と指をさした。
自分の目でタヌキを見た瞬間、住人は目を見開き、「えっ!? うそでしょ! ちょっとお父さん! タヌキ! タヌキがいるわよ!」と、家中の人を呼んで大騒ぎになり始めた。家族も飛び出してきて、玄関が一瞬でタヌキ鑑賞会の会場になった。
「嘘でしょ!」「どこどこ!」「本物だわ!」
……そりゃあいい。さっきの「はぁ?」はどこへいったことやら。
まぁ、それはさておき。
思えば、最近この街に住み始めた人たちにとって、ここは「舗装された道路」と「コンクリートの建物」だけで構成されているのかもしれない。
こんなマンションだらけの街中に野生動物がいるなんて、想像できないのもしかたない。だから、そこにいるはずのないタヌキは、たとえ網膜に映っていても、脳が「存在しないもの」として処理してしまっている。

タヌキだけではない。アライグマやハクビシンだって、夜の闇に紛れて普通に歩いているのに。夕暮れに飛んでいるコウモリだって、きっと「ちょっと変な飛び方をする鳥」くらいにしか思われていない。
視界の端をササッと横切る影を見て、「あ、猫だ」と思って見過ごしているあいつ。実はフェレットかもしれない。そう、最近では野生化したフェレットだっているのだ。
鳥にしてもそうだ。スズメやカラス、ハトやムクドリくらいしかいないと思っている人は多い。しかし、水辺を少し注意深く見つめれば、あの美しい青い羽を持つカワセミだって、意外にもすぐそばの枝に止まっていたりする。時には猛禽類が悠然と空を舞っていることすらある。
彼らはどこか遠い山奥にいるのではない。野生動物たちは、意外にも僕たちのすぐそばで、たくましく暮らしているのだ。ただ、僕らが見るのをやめてしまっただけなのだ。
コウモリは、自ら発する超音波で世界を「視て」いる。
人間には聞こえない音、見えない波長を使い、真っ暗闇の中に確かな世界の形を描き出している。
一方で、僕たち人間はどうだろう。
明るい街灯に照らされ、何でも見えている気になっているが、実は自分の想像の枠に収まらないものは、目の前にあっても「存在しないもの」として処理してしまっているのではないか。
「都会にタヌキはいない」と決めた瞬間、目の前のタヌキは透明な存在になり、ただの「動く影」に成り下がってしまう。コウモリの方が、よっぽど真摯に世界と向き合っているのではないか。そんな気さえしてくる。
今、僕の手元には、あの頃のボーラはない。
夕暮れの駐車場に立ち、頭上をかすめる黒い影を目で追う。彼らが放つ高周波の歌声は、僕の耳には届かない。けれど、僕は今でも時折、ポケットの中にある「見えない紐」を、ぶんぶんと振り回したくなる衝動に駆られるのだ。
世界は変わっていない。
四車線道路のノイズに遮られて、彼らの高周波の歌声が聞こえなくなっただけだ。
コンクリートで覆われたこの街の薄皮を一枚めくれば、そこには今夜も、目が眩むほどの野生が脈打っている。
ほら、今そこを横切った猫。
あいつ、フェレットかもしれないよ。
相生エッセイ
▽ 野生動物三部作です🦇🐒🦭
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