距離感
今日は、距離感について思うことを
書いてみます。
自分に合う人と付き合う、合わない人とは
距離をとるって最近はどこでも言われています。
実際に、わたしもそう思っていますし、
そうしています。
広く交流を広げていこうとしても、結果的には
波長が合う人は限られているんです。
でも、それって相手の「人となり」を知るために
かかわり、やりとりしていくことでしか
分からないんですよね。
この人とはどんな距離感でかかわると
お互いに心地よくいられるのかって。
心地よくいられるというのは
侵入され過ぎず、侵入し過ぎずいられるかも
含んでいます。それが「安心」となったりする
わけだから。
わたしは、その心地よさがどうやって
つくられるのかは、人としての敬意があるか
だなと思っています。
関係性が深まれば、互いにその境界線が薄く
なりやすい。どちらかというと、関係性において
弱い立場の方が侵入をゆるしてしまう、
強い立場の方が侵入してしまう。
それは、一方的にどちらかの問題ではなく
どちらもがつくっている現実です。
さらに、社会がつくっている意識があります。
以前のわたしはあまりにも人との距離感が
分からず、「フルオープン」で接していました。
言うなれば、戦場を裸で歩いているようなもの。
そうすると、人は寄ってきやすくなるから
交友関係は広がります。
だって、他者からしてみたら
わたしは武器なんて持っていないどころか
裸ですから警戒する必要はなく楽ですし
思い通りですよね 笑。
わたしは、どこかしらに他者への不足感を
感じていてメリットを感じていたのでしょう。
学童期に女子の中で馴染めなかった過去、
仲間というものをつくることが難しいと感じる
自分がいましたので。
でも、その状態は自分を痛めつけるものでした。
ボロボロになるのは目に見えています。
侵入されまくりの、四方八方から
攻撃されまくりですから。
「鎧を着ている」とも言われました。
それも、今となっては、他者からそんな風に
言われるのは「侵入」させ過ぎていたのですが。
裸なのになんで?と思いますよね。
自ら裸になって攻撃を受け、痛い痛いと
鎧を着てたんですね。こんな風に書くと
自作自演も滑稽ですが、
その時は真剣そのものです。
「人とうまく付き合う」メリットのために
犠牲になる必要なんてないのに、
断るとか、嫌と言うとか、そんな当たり前の
ことに罪悪感を感じていたんですね。
だから、守るために固めて鎧をつけろって
ものではないんですよね。
裸か鎧かとか、そんな外側の話では
なかったわけなんです。
でも、こんなことを何度も経験することで、
自分を知り、目には見えないけれど、
人との付き合い方、距離のとり方が
肌感で分かってくるはずです。
オープンな状態でそれでいて
自分を他者をリスペクトして守っている状態を
その時その時いかにつくるか。
最近は、この距離感を感じる機会が
減っていると言わざるを得ません。
人と人とのかかわりが希薄になり
あえて関わりあおうとすることも
減りました。
かかわり合わなければ、育まれることがない
人との距離感。
かかわり合えば、喜びや楽しさを感じるだけ
でなく痛みや悲しみを感じることもある。
すべては、人間としてかかわりあいたくない
けど、かかわり合いたいという、
人間の矛盾を味わいたくて経験している。
それを最初から傷つかないようにとか思って
避けても蓋をしても
結局「人とかかわりたい」という願いの側面が
ある限りは、何らかの形で叶うのだから、
逃げていても拗らせるだけ。
駄々漏れているのだから。
それもひっくるめて、素直に、正直に
伝えるということだけなんですよね。
自分に向けてのメッセージを込めて。
WEB SITE
TEOLつながり
「わたしたちはどう生きたいのか、どう死にたいのか」十人十色の「自分」という存在の美しさ、「いのち」がある今の喜びを探求し、表現するための情報をお届けするメディアです。
自分とまわりの環境とのつながりの中で、安寧を感じ幸福な状態を指す Spiritual Well-being 思想を基軸として、答えのない問いから、一人ひとり違う生き方を見つめるヒントをお届けします。
インタビュー記事
memento mori
ikigai
event

新しい出会いもお待ちしています。
お申し込みはコチラから。
