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諦めて諦めて諦めまくってきた男の自己紹介

1990年(0歳)
4月16日、神戸に生まれる。
母子家庭で一人っ子(猫二匹)+じいちゃんばあちゃん子。


1995年(5歳・年中さん)
阪神淡路大震災の朝、目覚めたらコタツの中にいた。おかんが抱いて潜ったっぽい。
おじいちゃんと近所の公園で自転車の練習をするも、コケて恥ずかしかったし痛かったから練習することを諦める。


1996年(6歳・年長さん)
保育園のかけっこで一等賞をとり恍惚の表情でゴールテープを切る。
宗教にハマったオカンに集会みたいな場所に定期的に連れられる。 


1997年(7歳・小1)
土曜は学校終わりに走って帰宅し、新喜劇を観るのが日課になる。
物心着く頃にはテレビっ子で、番組の最後に流れるエンドロールまで見て誰が作ってるんやろ?と興味を抱く。


1999年(9歳・小3)
友達と遊ぶ時、みんな自転車の中1人走って移動する。
近道を探すことに成功し、自転車よりも先に公園からマクドに集合できるようになる。
宗教の集会で「(世間では悪く言われてるけど)我々は何も悪くない」的な発表を半ば強制的にさせられ「なんでこんなことしてるんやろ?」と疑問に思いはじめる。以後、なんとなく行かないようになる。


2000年(10歳・小4)
SMAPとめちゃイケを中心にテレビっ子としてスクスク育つ。スマスマの最後にあった歌の部分だけを撮りだめてビデオの爪を折る。全曲振りを覚えてマスターする。あんまり仲良くないやつに「ダンサー」と言うあだ名をつけられる。宗教の勧誘が毎週来るが断り続ける。


2001年(11歳・小5) 
唯一得意だった、かけっこ(陸上競技)をはじめハマり始める。
ピンポンダッシュにハマってしまい、今になってゴメンなさいと強く思う。 
同居してるオカンとほぼ話さなくなる。


2002年(12歳・小6)
プロレスにハマる。武藤の華やかさから入り、棚橋を推しにする。
運動会のリレーで調子乗ってカーブのええとこでコケかけて恥ずかしい思いをする。
卒業式の答辞っぽいやつで、「オリンピックで金メダルをとります」と宣言する。


2003年(13歳・中1)
中学で陸上部に入る。
練習中に頑張ってる姿をみんなに見られるのが恥ずかしくなる。だから部活が終わったあと、学校の裏にある200mくらいの坂を自主練で走りまくるというコスパの悪い練習を続ける。


2005年(15歳・中3)
前年の秋、じゃんけんに負けて部活のキャプテンになる。
中3の時、兵庫県で100m走の1位をとる。
ちょっとグレて、顧問の先生の車のタイヤに唾を吐く。
無事卒業する。 


2006年(17歳・高1)
高校はスポーツ推薦をゲットして強豪校のバリバリスポーツ学科に入る。
入学前に自主練し過ぎてフォームを見失い絶不調になる(3年まで続く)。
通学の電車の中でデコログを書くようになる(毎日更新)。
節制のため唐揚げの衣は剥がして食べるようになる。


2008年(18歳・高3)
グアムへの修学旅行直前。肺に穴が開く。その結果飛行機に乗れなくなる。
修学旅行期間は、素行の悪い同級生と一緒に強制的に自習させられる。
「お前らがグアムに行けなかったこと全員後悔させたるからな」と何故かいっしょくたにされて言われる。「俺、肺に穴空いただけやのに」と思う。パッと見いい感じの先生のフリしてる藤原先生を心の底から嫌いになる。
リレーで全国大会に出場する。部活引退後、唐揚げは衣が一番美味しいと気づく。
無事に卒業する。


2009年(19歳・大学1年生)
大阪の大学に2時間半かけて通う。学科はスポーツ学科。毎日何かしらの運動して、終わったら部活に励む。でも部活の空気に馴染めず誰とも喋らず1人で練習し続ける。合同練習の日も誰とも話さず1人で練習し続ける。翌年退部して陸上競技を諦める。


2010年(20歳・大学2年生)
授業で漫才をする。テレビっ子だった過去が初めて活きる。「こんな人やったんや」と友達が増える。でも部活をしに大阪まで行ってたのに、なんでわざわざ行かなあかんねんと思い始め、誰にも言わず退学する。実家でじいちゃんが死ぬも「葬儀に出たくない(死んでる人を見るのが怖い)」と7階の螺旋階段から出棺を見送る。


2011年(21歳・専門学校1年生) 
神戸市内の専門学校に入学する。学科はまたしてもスポーツ学科。同学年のうち7人中1人だけ年齢が離れていたので馴染めなくなる。陸上のコーチを紹介されてふわっとはじめる。

2011年(22歳・専門学校2年生)  
泳げないのに遠泳の授業で島から島まで泳がされる。低体温症になり死にかける。
ばあちゃんのお見舞いに行くも、自分のことを完全に忘れていることに気づき怖くなり面会から逃げる。「とりあえずスポーツの仕事をしよう」と決めて、たまたま目の前にあったパンフレットの会社に応募し一発で採用される。学校を無事に卒業する。


2012年(23歳・社会人1年目)
尼崎の体育館に就職する。0歳から100歳までの運動指導をする体操のお兄さんになる。
毎日終電で帰る。園田駅前の松屋で毎晩食事する。今でも松屋に行くと悲しくなる。
館長が「子供なんてアホやから」的なことを言ってブチ切れて翌年退職する。社会の中で生きることを諦めはじめる。
ばあちゃん死ぬも葬儀に出たくないと逃げる。オカンの認知症がすすみ始める。


2013年(24歳)
陸上のコーチをしながらスポーツクラブでバイト生活をする。カフェでも働きたいと思いスタバで勤務を開始するも、メニューが覚えられず半年で諦める。
その後「いや、やっぱりやりたい」と思いタリーズで勤務を開始するも、やっぱりメニューが覚えられず3ヶ月で諦める。 
「それでもカフェでバイトしたいな」とまだしつこく思う。
そんなとき「勉強カフェ」という求人を発見する。ここで”お金を払って””自主的に”勉強する人との出会いで価値観が変わる。読書をし始めるようになる。ユニクロの柳井さんが出した「経営者になるためのノート」を読みながら、陸上教室のメニューを考えるようになる。


2014年(25歳)
陸上のコーチとしての指導力に限界を感じる。
そんな時アメトーークを観ながら「もっとおもしろい人になったら良いんじゃないか」と思う。
本だけじゃなく、イベントに出たりネット記事を読み漁りまくる。そこでキングコング西野さんの活動を発見して、当時のオンラインサロンに入る。
街のゲストハウスでバイトをはじめる。英語は全くわからなかったが、最終的に外国人とUNOできるようになる。
帰ったら口を聞いてないオカンが裸で玄関前に寝そべってて「おかえり」って言われて怖くなる。この家を出ようと決める。


2016(26歳 )
認知症気味のおかんを置いて夜逃げする(正確には朝7時なので朝逃げする)
「地元で西野さんの個展やったら面白そう」とツイートしたら、「応援するよ」と本人から返信があったことをキッカケにクラファンに挑戦する。
神戸で行われた個展(主催:フェリシモ)を勝手に応援するため「県外の人を駅から会場まで案内」するという企画を勝手に行う。陸上のコーチを辞めて完全に諦める。


2017(27歳)
個展のチーム運営が全くできず不眠症になる。そして自分が未熟すぎて大失敗する。企画への参加を諦めるも、残ったメンバーのおかげで1万人以上の来場者が集まる。
神戸市長田区人たちに初めて会う。翌日「はっぴーの家ろっけん」に遊びに行く。直感で『ここで働きたいです』と言う。週3くらいで皿洗いをしはじめる。須磨に引っ越しする。

2018(28歳)
春、個展が進行するタイミングで「自分もなんかしなきゃ」と思いたちライブを主催する。大ファンのSMAPをテーマにしたライブでDJダイノジさんを呼ぶ。ダンサーとして舞台にも立つ。

春、フェリシモの社長の本を読んで、社長に「ここで働きたいです」とDMする。2ヶ月のインターンが決まる。その後飲食チェーンでインターンに入るが圧倒的体育会系のノリについて行けず諦める。その後、soarのインターンをしに初めての東京生活開始。工藤静香がワンちゃん散歩させてたり、夜中に飲み会からタクシーに乗って帰ろうとする山田孝之をみて東京の洗礼を浴び続ける。オカンが亡くなったと連絡が入る。


2019年(29歳)
1月、縁あってCAMPFIREに入職し渋谷へ引っ越す。最初は社長秘書業務になるも3ヶ月後に秘書が入社。「あれ?自分の仕事は?」と思っていたタイミングで広報が退職。「前田くんって、SNS好きだよね?」の一言からSNS担当に配置転換してもらう。今も続くPR・広報のキッカケになる。


その夏、夏季休暇で神戸に戻ったら、たまたま人が亡くなって知らない人の葬儀に参加する。そのことをnoteに書いたら少しバズる。と、同時に「なんで東京おるんやろ?」と思い始め後先考えずに退職を決める。

2020年(30歳)
1月。実家がないので、はっぴーの家で居候する。
夜中、一階のソファで寝てたら認知症のおじいちゃんに「どけ!そこワシの席や!」と叩き起こされ嫌な思いをする。そのままイベントの手伝いしたり、見学の案内したりしながら生活する。「暇やったらSNS手伝ってや」と言われたので、会社のアカウントを更新するようになる。3月末、社長とマクドで食事後「今までアリガト、これからもヨロシク」と現金をトレイの上にバチンっ!と置かれる。隣の小学生が二度見する。そこからしれーっと働きはじめる。

コートのボタンかけ間違えているのに気づかずキメ顔してる

2021年(31歳)
定期的に行われる葬儀に参加し続ける。あるおじいちゃんが亡くなった時、お部屋で一人寝ている姿を見て「一人にしたら寂しそう」と思う。そのまま横でMacを広げてzoom会議に出たりする。明らかに死に対する距離感が変わる。昔は死が怖かったけど日常の一つになる。
トーゴ出身のダンサーが主催するアフリカンフェスの企画でアタフタしバタバタする。


2022年(32歳)
いろいろあって何かを変えなきゃと思う。
滝行をしてみたり、自分が主役の誕生日パーティーをしてみたり、初めてシーシャを吸ってむせたり、人前で泥酔をしてみる。
オカンをお世話してくれた人に会いに行く。
「ボケとったけど、“明日アキラが子供連れて会いに来てくれるねん”って亡くなる前にいうてたよ」って聞いて号泣する。
夏頃に仕事で行ったゲストハウスでヘラルボニーの方と出会う。その冬、ヘラルボニーのコートを買う。 


2023年(33歳)  
引き続き何かしなきゃと思い続ける。
無職酒場を企画する。七夕の日に笹をもらう。キャリアに悩み始める。 
「コミュニティマネージャーの学校」を受けて卒業する。
PRを学ぶために名古屋と三重県に修行へ向かう。
オンライン講座「企画メシ」を受ける。「諦めるを前向きに」という言葉が生まれる。
出会いに救われる。


2024年(34歳)
西成に遊びに行くも、地上から見えた星野リゾートの煌びやかなプロジェクションマッピングを見て悲しくなる。
5月末に退職し、キャリアブレイクの期間に入る。
微かな期待を超える現実と不安に押しつぶされながらギリギリ乗り越える日々を過ごす。
11月に大阪へ引越しする。何か行動したくて、書くことを頑張ると決める。
パーソナル編集者を申し込む。


2025 35歳 
2月。縁あって販売員に転職する。お店に立った初日に「ヤバい(向いてない)」と気づく。
シフト通りに働くとか、覚えなきゃいけないことを覚えるとか、社会の当たり前に適応できないこと気づく。気づいてたけど、自分でやってみないと納得できない性分だと諦める。
仕事前や休みの日にnoteを書くことで自分を保つようにする。香取さんのことを書いたら6年ぶりにnoteのおすすめに選ばれる。

5月、約1年ぶりに新長田へ行く。知らないオッチャンに一杯奢ってもらう。
7月、休職する。
9月、はっぴーの家での「ドキュメント72時間」撮影に合わせて一人で3日間(72時間)泊まり込む。復職しようと決める。

10月、はっぴーの家に復帰する。1ヶ月でフェス、キャンプ、葬儀、テレビ放送、運動会と怒涛の日々を送る。スマホやiPadのフォルダにはジイちゃんバアちゃんの写真で埋め尽くされはじめる。




2026年
何かを諦めながら生きてることをゆる〜く願ってる。



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