小説:四つ葉みたいにならない恋 第三章(前編) 交わした約束
誰を見つめていたか誰もわからなかった。みんな明日を見ていたから。
ノンノンが体育館にこもって、出てこなくなった。でも、親友のリンちゃんは、ノンノンを包み込むような優しい声で話した。
「大丈夫、教室に戻ったらいいんちゃう?ノンノンの家で、劇の脚本の読み合わせするんやろ?」
ノンノンは、リンちゃんに言われてハッと我に返った。この日は、モトタツ、サトシ、ユンモと一緒に、自分の家に集まって、劇の脚本の読み合わせをして、最後の修正をする予定だったことを思い出した。
ユンモと一緒に教室に戻ってきたノンノンは、つきものが取れたような晴れやかな顔で、モトタツとサトシに言った。
「心配かけてごめんなさい」
「おう、帰ってきたか、じゃあノンノンの家に行こうや」
サトシは何事もなかったかのように、みんなに声をかけた。
モトタツは、サトシから言われた「能見はお前のことが好きなんや」という言葉が、頭の中でリフレインしていた。
ノンノンの家は、学校の関鉄線の最寄駅から3駅目の分岐駅の三施駅で降りて、商店街のアーケードを10分くらい歩いて路地に入った場所にある。いつもは、自転車で通学しているノンノンが、この日は電車で学校に来ていたようだった。
サトシとモトタツは、いつも通り自転車で来ていたので、それぞれの後ろに、ユンモとノンノンを乗せて、二人乗りでノンノンの家に向かうことになった。
モトタツの頭の中では、まだサトシが言った言葉のリフレインが止まらなかった。隣同士の席の時や、夜の長電話では話が尽きなかったのに、今、自転車の後ろに座っているノンノンとは、静かな時間が流れている。
「さっきまで、あんなに元田くんのことが怖かったのに、なんでやろう」
その言葉を聞いた時、モトタツの頭の中のリフレインが止まった。夏の終わりの夕暮れは、心地よい風が吹いていた。ノンノンの言葉が、モトタツの心を満たしていくのを感じていた。
ノンノンの家に着いて、四人が居間で脚本の読み合わせを始めようとした時、ノンノンのお母さんがそわそわしながら、夕食を運んできてくれた。
「おじゃましています!」
この人がノンノンのお母さんか!モトタツは初対面なのに、なぜか親しみを感じながら、少し恥ずかしくなった。
「ゆっくりしていって」
この声だ!モトタツは、ある日の電話を思い出した。ノンノンに電話をすると、いつも3回も鳴らないうちに、ノンノンが受話器を取っていた。お互いに相手の声を聞くだけでわかるので、「もしもし、祥子さんいますか?」と聞いたりせずに、いきなり話し始めていた。モトタツは、その日も「はい能見です」という声を聞くと、「ノンノン明日なんだけど、」と、いつものように、いきなり話し始めた。すると、
「ああ、祥子ですね。ちょっと待ってね」
とノンノンと瓜二つの声で言われて、モトタツは、やっちゃったと気づいた。ノンノンに、お母さんが出たのにノンノンと間違えて話しちゃったと言うと、ノンノンは爆笑した。
モトタツは、その笑い話を思い出して、劇にも電話のシーンを付け加えることを思いついた。モトタツは、サトシに、お前の声はちょっと渋めでカッコいいからとおだてて、電話の声役になってもらった。
劇をやることに決めた最初の目的は、3年4組の文化祭の発表テーマである女性問題は、教室の展示だけでは伝えにくいので、見てくれる人にテーマを身近に感じてもらうためだった。
でも今は、クラス全員を巻き込む目的が大きくなっていった。展示だけなら10人くらいでやれるけれど、劇なら全員に関わってもらえるからだ。チョイ役で出てくれる人がいそうだし、大道具や照明、衣装などのスタッフなら手伝うという人もいるはずだ。モトタツたちは必死に働きかけて、クラス全員の協力を呼びかけた。ユンモはチョイ役で出て、モトタツとノンノンは大道具の担当になった。
主演の夫婦役には、野球部のキャプテンの和也とバレーボール部の陽子を大抜擢したのがピッタリだった。脚本には、和也が陽子にプロポーズして、後日、陽子にオーケーをもらうシーンがあった。このシーンのセリフの読み合わせを、サトシとユンモがやってみると、二人とも照れまくったので、モトタツとノンノンは大笑いした。
脚本には、面白いキャラクターやセリフをふんだんに取り入れたシーンも挟んで、観客を飽きさせないストーリー展開にした。
そして、テーマの女性問題を観客にわかりやすく伝えるために、そのシーンの脚本は、丁寧に作り込んだ。
女性は職場では弱い立場だと伝わるような、OL同士の会話のシーンを作った。
「課長からタバコを買いに行かされるくらい仕方ないわ。やっぱり女やし。それに結婚したら、どうせ辞めるんやから」
そんな諦めの言葉を口にする役を、落ち着いた雰囲気のリンちゃんにお願いした。
陽子が、和也にプロポーズされて嬉しい反面、結婚と仕事の板挟みになって悩んで、友だちに相談するシーンも作った。和也が、陽子に、結婚したら会社をやめて、家庭に入ってほしいとお願いすることに対して、ユンモは、女性が家庭に入ることが幸せだという意見に同調し、ノンノンは、結婚しても働きたいという意見に共感した。モトタツは、ユンモは家庭的な"かに座"らしく見えたし、ノンノンは自由を愛する"いて座"らしいなと思った。
和也が過労で倒れた病院のシーンは、たまたま病室で出会ったおばあちゃんが、陽子に、家事に専念するのもいいと思うけれど、後悔しないように生きなさい、と語ってもらった。
退院した和也に、陽子が働くことに決めた話をして、二人がぶつかるシーンも描いた。
「陽子、今まで通り、仕事はしないで家にいてくれや」
「仕事と家事を両立するのは大変だと思うけれど、私は和也のためだけに生きてるんじゃないわ。私自身のためにも働きたいの」
さらに、陽子が心の声を語るシーンも作った。
「いい奥さんになろうと思った。でも、和也に頼るだけじゃなく、お互いに頼って頼られる存在の方がいいんじゃないかな。今までは、和也に尽くすことが生き甲斐だったけれど、それぞれが生き甲斐をもって働く方がいいと思う」
劇の最後は、陽子とケンカした和也が、行きつけのスナックに行って、ママに話すストーリーにした。陽子に専業主婦になってほしいと願う和也に対して、ママは陽子の気持ちを代弁した。
「家に帰って、お茶だの、飯だのって言うのは、陽子さんに甘えているだけや」
和也が、陽子のために働いてるんだと言い返すと、ママが諭した。
「そんな考えは陽子さんに重荷やわ。それだと、陽子さんがあなたを入院するまで、働かせたことになるやん」
和也に、俺が働かないと生活できないから、陽子は働かずに、俺の疲れを癒してくれないとやってられない、と本音を吐き出させた。
それに対して、ママの言葉で締めくくってもらった。
「人の生き方は様々だから、妻が家庭に入って、夫に尽くし、子供を育てることが生き甲斐なら、それも素晴らしいと思うわ。でも、働きたいという陽子さんの気持ちもわかってあげてほしいわ。陽子さんは自分の生き方を見つけ始めたのだから、それを認めてあげてはどうなの?お互いの生き方を認め合って、理解し合ってこそ、夫婦なんじゃないかしらね」
陽子に、スナックにいる和也を迎えに行かせた。
「もう一度だけ、話を聞いて、私、」
と和也に切り出した陽子に、
「もうええ、わかった、何も言うな、頑張れよ」
と和也が答えて幕が降りる。
『明日を愛する女(ひと)たち』の脚本が完成した。
主人公の夫婦は、それぞれの立場から相手を見ていた。だから、話が噛み合わずにぶつかってしまった。でも、相手の立場を考えて、お互いに、助け合って、支え合えば、一緒に明日を見つめて歩んでいける。そんな明日を信じていきたいと思える脚本となった。
劇の主役や脇役のメンバーを中心とした練習を繰り返しながら、大道具の作成も進めていた。それに加えて、教室の展示の準備をするには、時間が足らなさ過ぎる。モトタツは焦りや不安が募っていった。
その頃、文化祭の1週間後に行われる体育祭の準備も熱を帯びてきていた。モトタツは、運動部出身のメンバーを劇に巻き込むために、1年や2年では入っていなかった応援団にも入った。そして、応援合戦のダンスと太極拳のフリも覚えて、全体練習にも参加して、運動部のメンバーとコミュニケーションを取っていた。モトタツは、自分も運動部の一員だし、文化祭だけをやっているヤツと烙印を押されたくないと思っていた。
それでも、文化祭や体育祭に、積極的に協力してくれない人がいるので、モトタツは、クラス通信でチームワークを何よりも優先してほしいと熱く訴えた。さらに、時には、面と向かって意見をぶつけ合うことさえあった。
クラス全員が大なり小なり犠牲を払って、受験勉強どころではなかった。モトタツは、心身の疲労が限界に達する寸前だったが、日ごとに、劇を成功させたい気持ちが高まって、心の中でひたすら祈っていた。
「どうか、こんなにまでも必死に頑張っているみんなのために、どうか、どうか、当日うまく行きますように。この努力が報われますように」
当日、ボロボロに失敗して泣き伏しているみんな。あんなに頑張ったのに、、、ハッとして飛び起きると、時計は午前3時を指していた。良かった。夢で本当に良かった。
そんな戦いの日々の中で、ノンノンやユンモと電話で話す楽しい時間は、モトタツの、その日にあった何もかもを、忘れさせてくれるには充分だった。
モトタツは、サトシから「ノンノンはお前のことが好きなんだ」と伝えられてから、心を静めることは簡単ではなかった。それに、ノンノンとは心のどこかで通じ合っている部分があると感じていたが、それが愛情なのか、友情なのかはっきりわからず、確かめることもできなかった。その一方で、一度好きになったユンモへの思いを抑えたり、ましてや消し去ることなどできなかった。モトタツの心の中で、二人への想いが交錯していた。
ユンモも、モトタツとのデートをきっかけに、自分の本当の気持ちがわからなくなっていた。ノンノンがモトタツが怖いと言って、体育館にこもった事件からは、モトタツの様子は明らかに変わっていった。そして、それを、なぜか寂しく思う自分がいることも感じていた。
文化祭が間近に迫ってきた。四人とも、まず何より、文化祭と体育祭を成功させたいという気持ちで一致していた。四人は、劇の脚本を書きながら、文化祭や体育祭の準備をしながら、痛感していることがあった。それは、自分のことばかり考えずに、相手のことを考えて、お互いに、助け合って、支え合ってこそ、一緒に明日に向かって歩んでいけるということだった。
そのために、最も避けなければならなかったのは、日々結集していく団結の和を乱すことだった。四人は、行事が終わるまで、自分勝手な行動をするべきではないと考えて、ある約束ごとを決めた。それは、四人の中では、お互いに電話のやり取りをしないことと、それぞれが誰を想っているかを口にしないという約束だった。
今日は不安を感じていても、明日はきっといい日になる。そう信じて交わした約束だった。
