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小説:四つ葉みたいにならない恋 第一章 夏の扉

 正門からゆるく曲がった上り坂。
 1年後、桜が舞い散る中、卒業式を終えた四人は、この坂を下って、それぞれの道を歩き始める。四人は、二度と戻らない高校3年の日々を決して忘れないだろう。

 もう恋が始まっていたことに、誰も気づいていなかった。

「おはよー」
 ユンモーー湯本明美は、照れ笑いを浮かべながら、3年4組の教室に入ってきた。それに気づいたマサミーー藤原正美が、教室中に響き渡る大声で叫んだ。
「えー、ユンモどうしたん?髪の毛めっちゃ切ってるやん!」
 クラス中のみんながユンモを取り囲んで騒然となった。1時限目のチャイムが鳴っても、誰も席に戻ろうとしない。夕陽谷ブルーのセーラーを覆っていた天然パーマの髪は、ユンモのトレードマークだった。その長い髪をバッサリ切ってショートにしたユンモは、モトタツに、まるで転校生が現れたかのように眩しく輝いて見えた。
 モトタツは、中学の時につけられた元田達也の頭文字をくっつけたあだ名が最初は気に入らなかった。でも、女の子たちからもそう呼ばれているうちに、悪くないなと思うようになっていた。
「ショートにした湯本、前より可愛くなったよなぁ?」
 サトシーー山本聡司がぶっきらぼうに話しかけてきた。モトタツは、ほんの一瞬、言葉に詰まったけれど、
「そうかなぁ、あまり変わらんのちゃう?」
と涼しい顔で答えた。このクラスになってから、ユンモのことは意識していたが、ショートに変えた姿にさらに目が惹かれた。
 ノンノンーー能見祥子は、サトシと2年の時に同じクラスの友だちだった。ノンノンは、そんな二人の何気ない会話を耳にして、モトタツの顔に視線を移すと頬がかすかに赤くなっていた。ユンモって男の子たちに人気があるんだなぁ、と心の中でつぶやいた。
 夕陽谷高校は進学校なので、サッカー部も5月の大阪大会に敗退した試合で3年生は引退する。モトタツにとって初めての運動部なので、万年補欠なんて当たり前、公式戦の出場がこの試合の最後の10分だけでも悔しさはなかった。部活がなくなっても、急に受験勉強のモードにならなかった。
 モトタツは、小中の頃から、隣の席の女の子と楽しく話したり、笑わせたりして、仲良くなることが多かった。そして、そんな隣の席の女の子を好きになることもあった。
 5月の遠足の後の席がえで、モトタツは、それまで話をしたことがなかったノンノンと隣の席になった。不思議なことに、ノンノンが隣の席になりそうな予感がしていた。
 ノンノンは、これまでに出会ったことのないタイプの女の子だった。おかっぱ頭でおとなしそうなノンノンの大きな黒い瞳が、何を見つめてるのかがわからなかった。
「元田くんってゲラなんやろ?」
 挨拶もしたことがないノンノンから、いきなり声をかけられてモトタツは面食らった。でも、誰かが自分のことを笑い上戸であるとノンノンに話していたんだろうと思った。
「まぁそうやけど」
 そう答えながら、ノンノンに不思議な親しみを感じていた。そして、この子の前では変に気取らなくていいなと思った。
 モトタツは、授業に集中しようとしているノンノンを、笑わせたい衝動にかられてちょっかいを出した。それに耐えきれなくなって笑い出すノンノンを見るのが楽しくてたまらなかった。
 ノンノンも、自分を笑わせようとしてくる、モトタツのような男子は初めてだった。今日はどうやって笑らせてくるのか、楽しみになっていった。そんな、たわいもない話題で笑いが絶えない毎日だった。
 モトタツは、そんなノンノンから、1年や2年の時は、こんな風になったことはないとか、他の男子とはこんなことはなかったと何度も言われた。ノンノンはなんの気なしに言っているんだろうけれど、そんな気になる言葉を聞いてしまうと、モトタツはどうにも歯車が狂ってしまった。
 さらに、ノンノンは、モトタツに能見さんと呼ぶのはよそよそしいからやめてほしい。それなら能見って呼び捨てにされる方がいいと言った。モトタツは、それからノンノンを能見と呼び捨てるようにした。
 モトタツは、以前からずっと、女の子の視線がとても気になってしまっていた。ノンノンは、人と話す時に、相手に体を向けて、黒い大きな瞳で、じっと相手の目を見て話していた。モトタツは、そんなノンノンに見つめられると、妙に意識してしまって、その視線を避けたくなって、無視しようとしてしまった。
 そんな風に黙り込んでしまうモトタツを見て、ノンノンは自分が怒らせているのかもしれないと不安になって話しかけた。
「元田くんなんか怒ってんの?」
「なんも怒ってないよ」
「ウソ、なんか怒ってる」
「ホンマになんも怒ってへんよ」
「怒ってるって、なぁ怒らんとって」
「怒ってないって言ってるやろ!」
 ノンノンと隣同士だった1ヶ月の間、二人はこんなやり取りを何度も繰り返した。モトタツは、いちいち聞いてくるノンノンをうっとうしく思っていた。でも、こんな風に自分に構ってくる女の子はいないとも思っていた。
 ユンモは、同じ時の席替えでカズオーー森和男の隣の席になってから、いつも二人で楽しそうに話していた。 そんな声が聞こえると、モトタツはどうにも気になって落ち込んだりした。一方で、根っからの負けん気の強さから、対抗心に火がつきかけていた。
 夕陽谷高校の最大の行事は、文化祭と体育祭を合わせた秋の記念祭だったが、準備には大変な労力が必要だった。
 谷田善郎は、モトタツと同じ2年4組で、クラス委員をやっていた。堅物と言えるくらい実直で真面目だったので、全員から一目置かれて谷田さんと呼ばれていた。谷田は、昨年の文化祭で頑張っていたモトタツに、
「元田、今年もクラス委員になって文化祭を盛り上げてくれへんか?」
と声をかけた。
「谷田さん、受験前の文化祭なんか、やる気ない奴ばかりやから、去年のような取り組みは無理やと思うんやけど」
 モトタツはそう言って難色を示したが、昨年世話になった谷田さんには恩があるから断りにくかった。それに、昨年の文化祭はクラスの全員を巻き込めず、不完全燃焼で終わってたので、谷田さんが自分に頼んでいる気持ちもわかった。
 ユンモも、押しの強いマサミから、仮でもいいからクラス委員をやってほしいと頼まれて引き受けた。でも、押しに弱いために断れなかったことを後悔していた。最後の夏休みは思いっきり楽もうと思っていたのに、夏休みも文化祭の準備に時間を取られるなんて、と肩を落とし、何か楽しいことはないかなぁ、と思うユンモだった。
 モトタツは、谷田から、ユンモがクラス委員を引き受けたことを告げられた。
「まぁ、去年ほど頑張れないと思うけれど、できるだけのことはするわ」
 谷田は、そう答えたモトタツがまんざらではなさそうな顔をしていることを見逃さず、女子の班長の連絡係を元田にさせることに決めた。
 一学期が終わりに近づき、真夏の太陽は正門からゆるく曲がった上り坂の先に立つ大きな木の下に影を作っていた。
 自転車で10分くらいで通える夕陽谷高校は台地の上に建っているので、学校前のゆるい坂はちょっときつい。でも、早起きが苦手なモトタツも、最近は自転車でゆるい坂を上りながらも軽く感じていた。ユンモもクラス委員となったことで、文化祭の打ち合わせでユンモと話せる時間が楽しくなっていたからだった。
 モトタツは、谷田から任された女子の班長への連絡で、4人の中から最初に連絡する相手を迷わずユンモに決めた。
 モトタツは、初めの頃は、ユンモに電話すると、数分くらいの事務連絡だけを伝えていた。それが、少しずつ雑談混じりで10分くらいに長くなり、いつの間にか、1時間くらい話すようになっていた。そして、どちらかが電話を切ろうとしても、もう少し話したいという感じになって、さらに話し続けることも多くなっていた。
 これは、ひょっとしたら、と思いかけていたモトタツは、土曜日の午後、意を決して、真夏の熱がこもってサウナのような公衆電話に飛び込んで、気持ちを抑えながら、電話番号を1つずつ押した。
「はい、湯本です」
 受話器から聞こえたユンモの声にホッとした。もし家の人が出たら、間違いましたと言って電話を切るつもりだった。
 ユンモは、黒電話の受話器から聞こえた声がモトタツだとすぐにわかった。また、文化祭の連絡かな?と思いつつ、モトタツの声がいつになく上ずっているように感じた。
 モトタツは、文化祭のことに少し触れながらも、何かを伝えるわけでもなく、ひと呼吸あけてから切り出した。
「ユンモって明日なんか用あんの?」
 そう聞かれたユンモは胸の鼓動が少し速くなるのを感じて、心を落ち着かせて答えた。
「別に何もないけど、なんで?」
「見たいと思ってる映画あるんだけど、一緒に行かへん?」
「うん、いいよ」
 ユンモは、あっさりオーケーした。モトタツが見たいと言った刑事物の映画と二本立てで上映されていた。もう一本の映画はユンモが好きな俳優の主演作で見たいと思っていた。それに、映画くらいならモトタツと一緒に見に行ってもいいかなと思った。さらに、せっかくの夏休みがクラス委員会の打ち合わせばかりで退屈していたので、楽しいことには何でも飛びつきたい気持ちだった。
 モトタツは、てっきり断られるかと思っていたので、かえって意表をつかれて、つい余計なことを言ってしまった。
「もし湯本が無理やったら、能見に声をかけようかと思っててん」
「そうやん、ノンノンを誘ったら良かったやん。ほんだら、ノンノンも誘って3人で行けへん?」
 そうユンモに切り返されて、モトタツは、一瞬ひるんだ。でも、今まで、女の子にデートを誘ったことがなかったので、ここは引きたくないと思って、間髪入れずに言った。
「誰でもいいわけとちゃうから」
 その言葉を聞いて、ユンモの胸の鼓動はさらに速くなった。その一方で、一緒に行っていいのかなと一瞬迷った。
 待ち合わせ場所は、ユンモの通学途中の関鉄と、モトタツの自宅の国鉄の最寄駅から1駅で行ける、乗り換え駅の月橋駅のホームにした。約束を取り付けたモトタツはホッとして受話器を置いた。
 もし、ユンモに断られていたら、ノンノンを映画に誘っていたかもしれない。自分は恋に恋をして、とにかく女の子とデートをしてみたいと思っているだけなのかもしれない。モトタツはそうとも思った。
 遅刻の常習犯だったユンモだが、この日は待ち合わせ時刻ぴったりに現れた。ユンモは、前日の夜に必死に選んだ、赤いチェックのブラウスに、白いロングスカートを履いていた。
 モトタツは、今までユンモの制服姿しか見たことがなかったので、私服姿のユンモを見てときめいた。ユンモはモトタツに少し照れくさそうに言った。
「おはよう!やっぱり、なんとなく緊張しちゃうな」
「確かにね。おはよう、時間通りやん」
 その後は、いつもの電話のように大声で話しながら、映画館に向かった。
 モトタツは、自分が誘った映画だから、映画代は自分が払うと言った。割り勘でいいと断ろうとしたユンモに、映画の後の喫茶店代は払ってと提案した。初めてのデートの誘いにしては順調すぎる展開に、モトタツは浮き足だっていた。
 二本立てなのに、あっという間だったと感じたモトタツは、友だちと入ったことがある地下街の喫茶店に向かって歩いた。ユンモは、モトタツになんと話すかを考えながら隣を歩いていた。
 喫茶店で、ユンモは主演俳優はカッコ良かったなど、映画のことを話した後に、思い切って切り出した。
「私、本気になりかけてる人がおって」
「カズオ?」
 モトタツがそう聞くと、ユンモは小さくうなずいた。
 楽しいデートの雰囲気に飲まれていたモトタツは、その言葉を聞いた瞬間には、大きなショックは受けなかった。でも、デートで伝えようと思っていたことは話せず、その後の記憶がほとんど残っていなかった。
 帰りに、朝に待ち合わせした月橋駅のホームに着くとモトタツは言った。
「今日はありがとう、楽しかったわ」
 ユンモは、別れ際に何かを言おうと思っていたけれど、言葉が出てこなかった。
「そんなん、私の方が誘ってもらって」
「ほんだらバイバイ、また明日ね」
と何事もなかったかのように、モトタツはユンモに手を振った。
「ありがとう。バイバイ」
 ユンモも手を振りながら、足早に関鉄の乗り換えの改札を通って、階段を下りて、到着した電車に乗り込むと扉が閉まった。モトタツには悪いことしちゃったけれど、これで良かったんだ、そう自分に何度も言い聞かせていた。

 心の扉は、少しだけ開いていても、自分でも気づかない。誰の心の扉が、誰に向けて開けられているのかもわからない。

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