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自分自身の心と向き合う旅日記 ①母親の過干渉

母は昭和5年生まれで10代で
母(僕の祖母)を亡くし、
6人兄弟姉妹の長女として、
母親代わりで弟妹の世話をしてきた
こともあり「世話好き」です。

正確には「世話をする」ことよりも、
文句を言いつつ「面倒をみる」という
「してあげる」が染みついたのです。

母親から愛情を受けられないまま、
食べさせるなどの「面倒をみる」こと
だけが、母にとっての愛情表現に
なったのかもしれません。

さらに大阪人であることも加わって
典型的な過干渉の親となりましたが
母本人はその自覚がないでしょう。

僕は10代から、自分の夢や自由を
求める気持ちが高まっていきました。

母から受ける過干渉に束縛されて、
その自由が奪われて、支配されると
感じて耐えられなくなった僕は、
早く家を出たいと思い続けました。

しかし、親からは「いい子」と思われ
跡取りだと期待され、反抗期の心を
グッと胸にしまってきた僕の思いは
何一つ母に話さずに家を出ました。

母親の「してあげる」から
どうしても逃れたかったのです。

母は深く失望し、
「恩を仇で返された」
と感じていたのだと思います。

僕は母から、親不孝者や裏切り者
と責められ、僕を産んで後悔する
と言われたことさえありました。

そんな母といつかは向き合わないと
いけないと定年退職して実家に帰り
母と二人の生活を始めて1ヶ月。
在宅ケアの介護を受けており、
僕は食事の準備くらいをしています。

それには喜んでもらえたのですが、
40年経って、60歳になってるのに
まだ過干渉を受けなければならない
という現実に向き合う生活に対し、
早くも精神的な限界にきています。

僕は自由になりたかったというより
自由になりたいという僕の気持ちを
理解してほしいと思っていたのです。

その反動から、自分の子供達に対し
彼らの自由を束縛したくない、
彼らの自立をサポートする立場で
「してあげる」をしませんでした。

実家に帰ってからの1ヶ月。
母と向き合う生活をしながら、
自分自身とも向き合ってきました。

僕が向き合いたくなかったのは、
母親だけでなく、母と向き合えない
自分自身だったことに気づきました。

なぜ、母と向き合うと、
苦しさ、辛さ、怒りなどの感情が
湧き上がって抑えきれないのか?

そのような自分の中に存在している
感情の根っこを探し出して、
心に突き刺さったままになっている
棘(トゲ)を抜かなければならない、
そう思い始めているのです。

母との生活自体を記すのではなく、
自分自身の心と向き合う旅日記を、
これからも綴りたいと思います。

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