自分自身の心と向き合う旅日記 ②自由の希求
「自由」になりたい
ずっと願い続けてきました。
その想いはどこから来たのか、
自分の家庭環境を振り返りました。
旅日記①母親の過干渉
について書いた内容の続きです。
大正15年生まれの父親は
兵役を免除されましたが、
中小企業で経理を50年担当しました。
その間、会社が2回倒産したり、
工場で死亡事故が起きるななど、
大変な苦労をしましたが、
退職金はゼロだったと母は嘆きます。
パソコンも電卓もない時代なので、
仕事の相棒はそろばん1つだけ。
土曜も働き、日曜は毎週仕事を
持ち帰って、砂消しゴムで数字を
修正していた記憶があります。
そんな中でも、父は毎週、
僕と将棋を指したり、
ボーリングに連れて行ったり、
精一杯のことをしてくれました。
僕には8歳上の姉がいましたが、
当時予防できなかった小児麻痺を
患って、あらゆる夢を諦めました。
姉は、その後も大病を抱え続け
手術や入退院を繰り返しました。
姉は7年前に父を追うように、
肺がんでこの世を去りました。
そんな中で生まれた男の子に、
母が期待をかけないことの方が
難しかっただろうと思います。
そんな僕は、小学校に上がる前に
溶連菌に感染するなど病弱で、
幼稚園は3分の2くらい休みました。
母親は僕を看病し続けて、
様々な病院に通院させましたが、
小学校からは普通の生活が
送れるようになりました。
母親が僕に期待せざるを得なかった
気持ちは今ではよく理解できます。
でも、お金で苦しみ続けたため、
僕に対し「父親のようになるな」
「いい学校に入っていい会社に入れ」
「跡取りになれ」と言い続けたことは
本当に苦痛でたまりませんでした。
母親に自分の生きる道を固定され、
「レールに乗せられる生き方」
だけは絶対にしたくない、
「つまらない大人にはなりたくない」
という激しい抵抗感が募りました。
高校受験では、私立有名進学校に
合格していましたこともあり、
公立高校は、学区の中で一番偏差値
の高い高校にチャレンジできましたが、
母親への抵抗感から二番目の偏差値の
公立高校に進学しました。
丙午で競争倍率がかなり低かった
こともありましたが、
母からの期待を裏切ったという
思いもあったため、
進学した公立高校の合格発表の
結果を知っても、
まったく嬉しくありませんでした。
この高校生活では、
それまで抑えてきた
「やりたくてもできなかったこと」
を思う存分にやりたいという
「自由」への希求が
爆発したのだと思います。
そゆな高校3年間は僕の人生の原点で
特に高校3年の経験は自由を求めた
忘れられない1年間でしたので、
その経験をベースに小説を書きました。
旅日記③では小学校5年、6年の
担任の先生との出会いを書きました。
