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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第25話)#創作大賞2024


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第八章 ベルとニナ

 一騒ぎが終わって程よい疲労感に包まれた中で、片桐は丈太郎、佐野と共に山本さん手製のオムライスを食べている。

  鶏肉やグリーンピース、玉ねぎの食感とケチャップライスの絶妙な甘み、その上に乗ったバター風味のとろふわ卵が、口の中で混ざり合って幸せな気持ちになる。

 午前中で終わるはずだったノエルの代弁だったが、結局お昼を挟むことになってしまった。近くのコンビニでなにか買ってくると言ったのだが、引き止められた。オムライスは山本さんの得意料理らしい。逆にこれしかレパートリーがないの、と言って恥ずかしそうに笑っていた。

 最後のひと匙を口に運ぶと、三人が片桐を見ていた。
「先輩って食べるの遅いですね」
すっかり元気を取り戻した丈太郎に、片桐は安心する。
「美味しいものはしっかりと味わわなくちゃ」
「流れを読むのも大事ですよ」
丈太郎と山本さんの間を取り持ったことに満足している佐野は、いつもより柔らかい表情でいつもの軽口を叩いた。

 丈太郎には悪いことをした、と片桐は反省する。山本さんは片桐にとっても憧れの人だ。フォトグラファーとしても尊敬しているし、以前写真部代表会議で一緒になったとき、その堂々とした知性溢れる発言には心を動かされた。

 きっとこれから先の人生で、山本さんとの間に接点を持つことはこの瞬間を置いて他にない。そう思った片桐は、代表会議のとき、なんとは無しに山本さんの「背景」を覗いた。それは好奇心でしかなく、例えるなら好きな芸能人のプライベートを自分の中だけで堪能するような淡い自己満だった。

 山本さんの背後には複数の男性霊が憑いていた。そのほとんどが医療に関連する身なりをしていた。分かりやすく白衣を身につけているものもいれば、時代劇で見たことのある江戸中期頃の束髪の医者や、中世ヨーロッパのペスト医師のような嘴マスクを付けている者もいた。

 あれ以来、片桐は山本さんを自分と対等とは考えなかったし、丈太郎が言うのとは別の意味で女神ような大いなるなにか、例えるなら、すべてを知った上でなにもかもを包み込んでくれる慈愛の象徴のように感じていた。肌を見せるのも、傷の処置をされるのも、弱きを救済することに躊躇のない慈しみ深い存在の前にひれ伏し、安息を得るような感覚に近かった。

 丈太郎と山本さんなら釣り合う、と片桐は心から思う。どちらも太陽だもの。僕は二人から惜しみない光のエネルギーをもらえるだけで幸せだ。

 山本さんがオムライスの皿を片付け終わり、温かい紅茶を持ってきてくれた。クーラーで程よく冷えた身体に優しく染み込んでゆく。写真の話題で一通り盛り上がったあとに、誤ってノエルの意識に入り込んでしまったときのことを、丈太郎はゆっくりと語り出した。

「まず、順を追って話していきます」
丈太郎に三人の視線が集まる。
「自分がなくなりそうになったとき、まずは恐怖しかなくて、その時のことはなんと表現していいのか分からないです。ただ、しばらくしたらノエルの持つ記憶のようなものが一気に流れ込んできました。一瞬、身体が時間感覚のない広い場所にポンっと放り出されたみたいになって、自分が経験したことのようにノエルの痛みや苦しみ、恐怖が理解できました」
そこまで話して、丈太郎は大きく息を付いた。

「ノエルの体験は、俺には暴漢に襲われて殺されかけたくらいの恐怖でした。無抵抗のノエルを、おそらく野生動物かなにかが攻撃してて……。多分、ノエルには戦闘スキルがないんだと思います。それってどういうことかって言うと、物心が付いた時には人間に飼われていて、そういう外の厳しさとは無縁だったってことです」
「やっぱり飼い猫だったのね。ほかに分かることは?」

「気を失うほんの少し前、お魚ピューレのトロッとした食感が口全体に広がりました」
ああ、あの時だ。と丈太郎以外の三人がうんうん頷く。
「急に思考がガラッと強制的に切り替わって。ほんの一瞬だったんですけど、人間に飼われていた時の映像が見えたんです。それまではノエルの意識そのものだったのに、その時だけは代弁で猫と向き合っている時と同じような感じでした」
おそらく、丈太郎の本能が自我消滅の危機に反応し、ノエルから丈太郎を強制的に引っ張り出したのだろう。その自分に戻ってゆく刹那、丈太郎はノエルの飼い猫時代の映像を見たのだ。

「確かなことは言えないんですが、俺の知っている犬がいました」
そう言って、丈太郎は片桐を一直線に見た。なかなか逸れない視線に、片桐はすべてを理解する。
「その犬って、もしかしてベル?」
「はい」
「ベルって?」
山本さんと佐野に、丈太郎はベルとの出会いを説明する。
「あの犬か!」
ミニピンの呪いの力でお前が一番最初に聞いた犬の声だよな?アンナって呟いてた犬!と佐野は興奮した調子で言った。丈太郎はうん、と頷く。

「片桐先輩の協力で、心を閉ざしていたベルの本心を知ることができました。でも、それはちょっとショッキングな内容で。実はまだ先輩にも話していません」
「僕は聞き届ける覚悟、できてるよ」
迷惑をかけることになるから忘れてほしい。そう言われたバス停での出来事を、片桐は思い出していた。あれから一週間、山本さんと接触できることを楽しみにしている一方で、丈太郎はそのショッキングなベルの過去を一人で背負っていたのだ。

「俺も大丈夫」
と佐野。
「私も」
山本さんも頷く。丈太郎が唾を飲み込むゴクリという音が聞こえてきた。これから聞く内容によっては、自分の人生が大きく変わることもあるのか。丈太郎の思い悩む姿を見て、片桐は一抹の不安を覚える。しかし、引き下がるという選択肢はもはやなかった。どこまでも丈太郎に寄り添うと心に決めている。

「もしかしたら、ベルの飼い主のアンナは……」
言い淀む丈太郎を、三人は固唾を飲んで見守る。
「アンナは、殺されたのかも」

 誰も口を開こうとはしなかった。あまりにも自分たちの日常とはかけ離れたワードだった。丈太郎がティーカップの紅茶を一気に飲み干す。なんとなくそれにつられて、片桐もティーカップを口に運んだ。山本さんが慌てたように立って、みんなのカップにポットの紅茶を注いで回る。

 最初に口を開いたのは佐野だった。
「殺されたって、ベルが言ったのか?」
「ベルはなにも知らない。うちのおじいちゃんに保護されるまでの一ヶ月間、あいつはずっとアンナを探してた。来る日も来る日も。捕獲されそうになったり、野犬に襲われそうになったり、飢えと乾きで死にそうになったりしながら、ずっとアンナを探してたんだ」

「どうしてベルはアンナさんと離れ離れになってしまったの?」
と山本さん。
「たまにベルの家に訪ねてくる男がいて……。その男とアンナがちょっと口論みたいになったらしいです。ベルはそういうの好きじゃないから、アンナを庇っていっぱい吠えたんだそうです。そうしたら、その男がベルの脇腹を思いっきり蹴ってきて……。アンナが怒って男に掴みかかったら───」
丈太郎はそこで言葉を切った。思い出すのが苦痛なのか、息が僅かに震えている。

「ゆっくりでいいよ」
片桐は丈太郎の肩をポンポンと叩いた。俺ダメだ……と、丈太郎は泣き出しそうな顔で片桐を見る。
「動物とか女の人に酷いことするやつってなに考えてんだろ。俺、マジでこういうの無理すぎて……」
「そうだね。僕も理解できない」

「まあ、そういう奴が同じ世界にいることは避けようがない事実だし、理解できない奴を理解しようとしても、それは無駄な努力だよな。時間ももったいないし」
佐野の言いかたは冷たくも聞こえたが、本質を突いているようにも思えた。

まず自分たちが意識しなければならないことは、負の感情に飲み込まれないようにすることだ。こういう時は佐野のドライな性格が羨ましい、と片桐は思う。

息を整えると、丈太郎は再び口を開いた。
「アンナを払いのけて、男がこう言ったそうです。『俺はいつだって君の大事なものを壊すことができる。いとも簡単に』って。それから男が近くにあった傘を持ってベルに近づいてきて……。アンナはベルを庇って応戦したそうですが、気がついたら倒れていました。ベルは怖くて吠えることができなかったそうですが、ぐったりしたアンナが男に連れ去られたときは、後を追いかけたそうです」
「もしかして、そこからアンナさんとは一度も会えてないってこと?」
山本さんの声が震えている。丈太郎は静かに頷いた。
「そんな……」

「そして、ベルは丈太郎のおじいさんに保護され、僕があの日、ベルの背後にいるアンナの霊を見た……ってことだね」
「はい」
「だから、殺されたのかもしれないってわけか」
佐野がフッと短く息を吐いた。

「まあ、その時に殺されたのか、連れ去られた後でやられたのかは分からないよな。もしかしたら、連れ去られた後で息を吹き返して、男から逃げる途中で交通事故にあって死んだとか、あるいは男に病院に連れて行かれて処置を受けたまでは良かったが、その帰り道で交通事故に巻き込まれたとか、そういう線もある。案外、ベルが迷子になっている間に身内が葬儀を終わらせてたりしてな。───とりあえず、死の理由なんていろんな可能性があるわけだからさ、あまり思い詰めずに行こうぜ」

「佐野くん……」
丈太郎は縋り付くような目で幼馴染を見る。自分たちは殺人事件に関わってしまったかもしれない、と思い詰めていたのが、佐野のおかげで狭まっていた視野がパッと開く感じがした。

「もしかしたらノエルも、その現場にいたのかしら?」
山本さんはペットキャリーから出て、今は窓辺で丸くなっているノエルに視線を送った。

「はい。ノエルの飼い猫時代の映像を見た限り、ベルに似た大きな白い犬───多分、ベルで間違いないと思うんですが、その白い犬の体に埋もれるようにしてノエルが眠っていました。すごく心地よさそうに。で、これはベルのほうから聞いた話なんですが、ニナという名前の雌猫と一緒に暮らしていたみたいなんです。猫の模様とかまでは聞いてなかったから、確証を持って言えるわけではないんですが、高い確率で、ノエルはニナなんじゃないかと……」
「きっとそうね」

「そう考えると、ノエルが一部始終を見ていた可能性もあるってわけだね」
片桐は尋ねる。
「可能性というか、見てたと思います。確実に。あくまでもノエルとニナが同一猫ならって話ですが」
「なんで確実に見てたって言えるんだ?」
と佐野。
「ベルがアンナを追いかけようとしたとき、後ろからニナが付いてきたらしいんだ。ベルはニナに残っているように言って家を出た。でも、それがニナとの最後になった」

山本さんが息を飲む音が聞こえた。椅子から立ち上がると、窓辺のノエルの元に行き、傷だらけの体を抱き上げる。少しだけニャッと声を出して、ノエルは山本さんから垂れ落ちた黒髪にじゃれついた。昼下がりの眩しい光の中に立ち尽くすその姿は、片桐には、怒りに震えているようにも見えた。


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