“和解する韓国”という夢を見てはいけない──若者と国家の断絶の現実
2025年に入り、韓国からの訪日観光客はコロナ禍以前を上回るペースで増加している。
Z世代を中心とした日本ブームは依然として根強く、アニメ、ファッション、コンビニグルメ、地方観光に至るまで、日本文化への親しみが韓国社会に広く浸透している。
SNSには日本旅行を楽しむ若者の投稿があふれ、東京や大阪の街角では韓国語が日常的に聞こえるようになった。
こうした現象を受けて、「若い世代が育てば、日韓関係も自然と改善するのではないか」という楽観的な声が語られる。
だが、その見方には慎重であるべきだ。親日的な個人が増えたからといって、国家としての認識が変わるとは限らない。
むしろ韓国という国家は、世代交代によって変化するどころか、謝罪を終わらせない構造を制度として維持し続けている。
反日は感情ではなく制度である
韓国における対日姿勢は、単なる国民感情や一時の政局に起因するものではない。
初等・中等教育では「日本は十分に反省していない」というメッセージが一貫して教え込まれ、大学入試でも“加害者日本”を前提とした設問が繰り返される。
主要メディアは歴史問題が浮上するたびに日本批判を強め、政治家たちは国内世論を刺激する手段として歴史カードを常套的に用いる。
こうした仕組みの中で育つ若者は、たとえ日常的に日本文化に親しみを感じていても、国家が共有する歴史観から逸脱することは難しい。
親日的な消費行動と制度的な反日姿勢の共存は可能であり、それこそが今の韓国社会の実態である。
謝罪は“完了”してはならないものになっている
日本はこれまで、植民地支配に対する謝罪や反省、戦後補償、慰安婦・徴用工問題への対応を繰り返してきた。
日韓基本条約、アジア女性基金、2015年の慰安婦合意、歴代首相や天皇の発言など、国際的に見ても日本が示してきた誠意は十分なものである。
それでも韓国では、こうした一連の対応を「終わったこと」と見なす空気は乏しい。
既存の謝罪は過小評価され、新たな謝罪が常に求められる。
そこでは謝罪は癒しや和解の手段ではなく、国家の立場を補強する道具として位置づけられている。
謝罪は“足りない”ことが前提とされ、終わらせてしまっては困るものになっている。
世代交代はこの構造を変えない
世代交代が社会の変化をもたらすという見方は、多くの民主国家で通用する。
しかし韓国では、次世代にこそ国家的な歴史物語がより強固に受け継がれている。
歴史を経験していない世代にとっては、教育やメディアを通じて形成された「正しい歴史」を共有すること自体が、社会的に当然の態度とされている。
「日本が悪い」という語りに異議を唱えることは、公的空間ではほとんど許されない。
むしろ「日本に譲歩しないこと」が国家の矜持とされ、たとえ個人が親日的であっても、公共の場では沈黙を選ばざるを得ない。
こうした状況下での世代交代は、構造の刷新ではなく、反日構造の永続装置として機能している。
期待ではなく現実を見るべきときにきている
日本はこれまで、「誠意を尽くせば、いずれ理解される」と信じて行動してきた。
だが、その期待は繰り返し裏切られてきた。
和解とは、双方に「終わらせる意志」があるときにのみ成立する。
一方が謝罪を重ね、他方がそれを否定し続ける関係においては、対話も理解も成立しない。
韓国が変わることを前提にするのではなく、変わらないという現実の中で対応を考えるべき時期に来ている。
若者の親日化は歓迎すべき傾向だが、それによって国家間の構造的問題が解消されると考えるのは早計だ。
日本として必要なのは、謝罪を積み上げることではなく、謝罪の終わりが認められないという構造に自覚的であることだ。
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