【短編ホラー集】怪忌09.引っ越しの挨拶/E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
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09.引っ越しの挨拶
ピンポーンピンポーン、と、チャイムが二度続けて鳴り、希美は、あれ? と首を傾けた。日曜日。今日は特に予定も無く、朝からマンションの自室でテレビを点けたままスマホをいじってだらだらと過ごし、そのままお昼を過ぎた所である。
希美が住んでいるマンションはオートロック付きで、チャイムは二種類ある。ピンポーン、と音が一度だけ鳴るのは、一階の共有エントランスの呼び出しボタンが押された合図だ。よって、訪問者はまだマンション内に入っていない。居住者がモニター付きのドアホンで訪問者を確認し、入れるか入れないかを決めるのである。
これに対し、ピンポーンピンポーン、と二度続けて鳴るのは、玄関の呼び出しボタンが押された合図だ。つまり、この場合訪問者は既にマンション内にいて、部屋の玄関の前まで来ていることになる。希美が首を傾けたのはこれが理由だ。
例えば友達や家族が訪ねて来たり、あるいは飲食店の出前や宅配便などの場合、まずはエントランスのチャイムが鳴るはずだ。いきなり玄関のチャイムが鳴ることはほとんど無いのである。
とはいえ、マンション内の住人や管理人が訪ねてくることもあるので、まったく無いという訳でもない。
希美はスマホを置いてテレビのボリュームを下げると、ドアホンの通話ボタンを押した。「はーい」と返事をすると同時に、スピーカーからは《ザザザザーッ》とノイズ音が流れる。画面も砂嵐のような灰色のノイズが映し出されている。子どもの頃、深夜にテレビを点けたときにこの画面が表示されたのを覚えている。故障だろうか? 仮にそうだとしても、いま時こんな砂嵐のノイズが映し出されるなんてことがあるだろうか? 少し前に幼馴染の楓が泊まりにきて夜中にテレビを点けたときは、ただ黒い画面が表示されるだけだった。
「えっと、聞こえますかー?」
一応呼びかけてみると、《……のか……っこ……ま……》と、ノイズに混じって声のようなものが聞こえる。
「すみません、ちょっと機械の調子が悪いみたいで、もう一回お願いします」
そう言うと、なぜかスピーカーのノイズは少し小さくなった。
《……上の階の部屋に引っ越してきました……》
ノイズ交じりではあるが、どうにか聞き取ることができた。引っ越しの挨拶だったのか。それで納得する。それなら、エントランスのチャイムが鳴らなくて当然だ。
「あ、いま開けます」
そう答えて通話を終え、玄関へ向かう。一年前にここへ引っ越してきた時、希美も隣と下の階の住人に挨拶に行ったことがある。下の階の人はおしゃべり好きな年配女性で、ドアを開けてくれて対面で少しお話をした。しかし、隣の人はドアホン越しに「そうですか、よろしくお願いします」と言っただけで、顔を見せてくれることもなく、ちょっと残念な気持ちになった。新しく引っ越してきた人にあの時の自分と同じ気持ちになってほしくない。そう思って出ようとしたのだが。
──あれ?
玄関まで移動し、ドアの鍵に手をかけたところで、違和感に気が付いた。さっき、上の階に引っ越してきましたと言わなかっただろうか?
希美は手をひっこめ、後じさりをする。このマンションは五階建てで、希美の部屋があるのは最上階だ。上は屋上で、部屋なんて無い。言い間違えたのだろうか? そんな言い間違いするか? 人見知りの人なら緊張しすぎてそういうこともあるのかな? など、様々な考えが頭をよぎる。
希美はドアホンのところまで戻ると、通話ボタンを押した。《ザザザ》と、相変わらずノイズが流れてくる。
「あの……さっき、上の階に引っ越してきたっておっしゃいましたけど、ここは五階ですから、上の階に部屋なんて無いんですけど……」
恐る恐るそう言うと、《ザザザザ!》と、またノイズが大きくなった。だがそれも一瞬で、またノイズは小さくなる。そして。
《間違えました、下の階の部屋です》
相手はそう言い直した。やはり緊張して言い間違えただけなのだろうか? いや、それでもおかしい。この部屋の真下の部屋の住人は話し好きの年配の女性で、いまでも会うとよくおしゃべりをする。交流があり、昨日も出かけるときに話したばかりだ。もちろん、引っ越してなどいない。
「えっと……下の階の部屋には、まだ人が住んでるはずです……」
すると、また一瞬ノイズが大きくなって、相手は答えた。
《間違えました、その下の階の部屋です》
三階の住人のことまでは判らないが、なんであれ、とにかく様子が変だ。何者だろう? モニターは相変わらず砂嵐状態で確認できない。玄関のドアにはのぞき窓もあるが、向こうから覗かれてたりしたら怖いし、施錠されたドア越しとはいえ、できれば近づきたくない。どうすべきだろう。しばらく迷っていると。
《早く開けてください》
相手からそう言われた。引っ越しの挨拶で訪問者の方からドアを開けることを要求するのはさすがに非常識だ。これはダメだ。たぶん、開けてはいけない人だ。そう思った。
「すみません。いまちょっと手が離せないので、ご挨拶だけで充分です。ありがとうございます。よろしくお願いします」
相手を怒らせないよう、なるべく丁寧な口調で言った。しかし。
《いいから開けてください》
相手は少し苛立ったような口調になる。ノイズ交じりの声なのが、余計に恐ろしさを感じさせる。
「開けられません。帰ってください」
今度ははっきりと、開けない、という意思を伝えた。
その瞬間、だんっ!! と、玄関のドアが大きく鳴った。びくん、と身体を震わせてドアを見る。向こう側から強く叩かれたのだ。
「いいから開けろ!!」
声が聞こえた。ドアホンからではなく、ドア越しの声だ。
「帰って! 警察呼びますよ!!」
こちらもドア越しに大声を出す。もっとも、どれだけ効果があるかは判らない。恐怖に震えて今にも泣き出しそうな声なので、むしろ逆効果かもしれない。
相手は希美の声を無視し、だんだんっ! と続けてドアを叩く。同時に、「開けろ! 開けろぉ!!」と言って、ガチャガチャとドアノブを捻る。だんだんだんっ! ガチャガチャガチャ、「開けろ! 開けんかぁ!!」と繰り返される。これはもう一人では対処できない。希美は部屋に戻ってスマホをとり、警察に緊急通報した。
「部屋の前に変な人が来てるんです! 助けてください!!」
マンションの住所と部屋番号を伝えると、「すぐに誰かを向かわせます」と言って、電話は切れた。
すると。
「────」
まるで警察を呼んだことを察知したかのように、ドアを叩く音も、ノブを捻る音も、「開けろ!」という声も、全てピタリと止んだ。逃げたのだろうか? ここからでは、判らない。
希美は、音を立てないよう恐る恐るドアに近づき、息を殺して、のぞき窓に目を近づける。
ドンドンドン!
またドアが叩かれた。ひっ、と、息が漏れたような短い悲鳴を上げ、希美は尻餅をついて倒れた。そのまま這いずるように後ずさりする。
「警察です! 大丈夫ですか!」
その声に、希美は一瞬頭が真っ白になった。助けに来てくれたんだと理解するのにしばらく時間がかかった。どうにか立ち上がってドアホンの通話ボタンを押す。今度はスピーカーからのノイズはなく、画面もクリアに表示された。五十歳くらいの男性の制服警官が映し出された。もう大丈夫だ、と、希美は悟った。
「いま開けます」
そう伝え、通話を終えると、希美はまたドアの前まで移動し、鍵を開けた。
「堀北警察署の者です。不審者がいるとの通報を受けて来ました」
敬礼をしながら言う警察官。希美は、大きく安堵の息を漏らした。
「さっきまで玄関の前にいたんですけど、お巡りさんが来る前に、居なくなっちゃいました」
「そうですか。逃げたのかもしれませんね」
警官は周囲を見回してから言った。廊下に隠れるような場所は無い。警察が来た以上、マンション内に留まっているとも思えなかった。逃げたと考えて良いだろう。
「詳しい話を伺いたいので、署までご同行して頂けませんでしょうか? 被害届も出していただく必要があります」
「あ、はい。判りました。ちょっと待ってください」
不審者は逃げたとはいえ、また戻って来ないとも限らない。被害届を出しておけばパトロールが強化されるだろうし、近所の人たちと不審者情報の共有もしやすい。希美は簡単に準備を整えようと、部屋に戻ろうとした。
しかし、部屋の前でピタリと足を止める。さっき、警官は「堀北警察署の者です」と言った。その違和感に気が付いたのだ。
堀北警察署──それはどこ?
この町は伊吹市で、このマンションの最寄りの警察署は伊吹南警察署だ。一人暮らしを始める際、親から防犯についてはうんざりするほど注意されたので、警察署や交番の場所とそれらの電話番号等は調べてある。堀北警察署など、少なくともこのマンションの近くには無い。
なのに、この警官は通報後すぐに駆けつけてきた。そう言えば、エントランスのチャイムも鳴らなかった。つまり、通報前からこのマンション内にいたことになる。
希美は、恐る恐る振り返った。開いたドアのそばに、警察官は立っている。
「……すみません、この町に、堀北警察署なんて、無いですよね……?」
希美がそう言うと。
《間違えました、市川警察署です》
警官は、ノイズ交じりの声でそう答えた。
