【短編ホラー集】怪忌05.だるまさんがころんだ/E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
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05.だるまさんがころんだ
四年生の木曜の授業は五時間目までだ。帰りの会をして、寄り道せずにまっすぐ帰れば三時ごろには家に着く。宿題は夜やるとして、それまで二時間くらい遊ぶことができるので、近所のみんなで集まって遊ぶことが毎日のお決まりになっていた。希美は楓たちと近所の公園で待ち合わせすると、家に帰ってランドセルを置き、すぐに出かける準備をする。
「楓ちゃんたちと公園で遊んでくる!」
母親にそう告げ、玄関へ向かう。「五時までには帰ってくるんですよ」という母に「はーい」と応え、希美は家を出て公園に向かった。
「お待たせー」
走って一〇分ほどの場所にある小さな児童公園に行くと、みんなもう集まっていた。楓の他に汐音、そして、遥と優子の五人。今日は女子だけである。
「なにして遊ぶ?」と汐音がみんなに訊くと、真っ先に楓が手を上げ、「だるまさんがころんだ!」と提案した。小学四年生でだるまさんがころんだは少し幼稚な遊びにも思えるが、みんな「いいね!」「やろうやろう!」と賛成する。最近テレビのバラエティー番組で、小学校から高校まで日本中の学校を舞台に、芸能人と生徒がだるまさんがころんだで対決する『学校だるまさんがころんだ』の放送が大ブームとなっている。テレビの影響を受けやすい楓はもちろん、汐音も毎回欠かさず観ているようだ。もちろん希美も大好きだった。
「じゃ、だるまさんがころんだで決まりね。鬼は、じゃんけんで決めよっか」
汐音が仕切り、みんなでじゃんけんを行う。何度かのあいこの後、鬼役は希美になった。
「じゃあ、鬼の陣地は、あそこでいいよね?」
楓が指さしたのは公園の中央にある山型の遊具だった。斜面によって滑り台や階段・鎖などが設置された定番遊具である。
「ルートはどうする?」
汐音を中心にみんなで話し合い、鬼役以外の子役が通るルートを決める。テレビ番組の『学校だるまさんがころんだ』では、子役が進むルート上に番組側が設置した障害物が多数あり、それをどう攻略するかが見所だ。その障害物を、希美たちは公園の遊具を使って再現するようにしていた。
話し合いの結果、まずシーソーを渡り、その後ジャングルジムをのぼるか潜るかして通過、そして、地面に半分埋められたいくつものタイヤの上をジャンプで渡った後、山型遊具をのぼって鬼にタッチすることに決まった。
希美が山型遊具の上に、楓たちがシーソーの近くに移動し、準備が整った。
「じゃあ、いくよー!」
希美は両手をメガホンのようにして口に当て、遊具の上から楓たちに言った。楓たちは「オッケー!」と頭の上に両手で丸をつくった。
「はじめのいーっぽ!」
希美の声で子役のみんなは大きく一歩踏み出す。楓がいちばん前に出て、遥、優子、汐音の順で続いた。
希美はみんなに背を向けた。
「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだ!」
定番のコールをし、「──だ!」と同時に振り返る。みんなシーソーのところまで移動し、ピタリと止まっていた。先頭はやはり楓で、すでにシーソーの半分のところまで来ている。その後ろの遥はシーソーに片足を乗せているところだ。優子と汐音は遥の後ろで待っている状態。しばらく見ていたが、誰も動かない。
希美はまたみんなに背を向けた。
「だーるーまーさーんーがーころんだ!」
さっきとはテンポを変えたコールで振り向く。楓は斜め状態のシーソーの上になっている側の端まで移動しており、遥が中央より少し前、優子は楓とは反対側の下がっている側の端に乗ったところである。そのまましばらく見ていると。
「あ!」
シーソーがゆっくりと楓側に沈み始めた。逆に優子のいる側が上がる。とん、と、楓側が地面についた拍子に、優子はバランスを崩した。幸い手すりを持ったため転げ落ちることはなかったが。
「優子ちゃん動いたー!」
希美が指摘すると、優子は「やられたー」と悔しそうな声で言って、鬼の陣地へ移動してくる。陣地内で希美と優子は手を繋ぐ。鬼が子役を一人確保したのだ。これを繰り返し、鬼が全員を確保すれば鬼の勝ちとなる。逆に、子役は鬼に確保されないよう近づかなければならない。そして、鬼と子役が繋いだ手を切れば救出できる。
希美はまた背を向けた。
「だーるまさんがーこーろんだ!」
振り返る。楓はシーソーを渡り切り、ジャングルジムの中に入っていた。遥はシーソーを下りたところ、汐音は上がったシーソーを自分側に傾けたところだった。誰も動かない。希美は背を向ける。
「だ・る・ま・さ・ん・が……ころんだ!」
振り返る。楓はジャングルジムの中から外へ抜け出そうとしているところだ。遥はジャングルジムをのぼろうと片足を上げている。汐音はシーソーを反対側へ移動。遥は片足立ちになっているので苦しそうだ。そのまましばらく見ていたら動くんじゃないか、そう思ったが、敵もさるもの、プルプルと震えながらも大きく動くことはない。希美は背を向け、コールを始める──と見せかけて、すぐに振り返った。油断した遥が、足を下ろすのが見えた。
「遥ちゃん動いたー!」
希美の指摘に、遥は「えー!? いまのズルくない!?」と不満そうに言う。
「ズルくないよ」と言ったのは汐音だ。「子役が動いていいのは、鬼が『だるまさんがころんだ』とコールしてる間だけ。希美ちゃんは背を向けただけでまだコールを始めてなかったから、動いた遥ちゃんはアウトだよ」
汐音はクラスで委員長を務めており、こういった遊びでもルールには厳しい。遥は「もう、汐音ちゃんどっちの味方なのよー」と不満を漏らしながらも、素直に鬼の陣地へ移動した。
希美・優子・遥と順番に手を繋ぎ、「じゃあ続けるよー」と言って、希美はまた背を向けた。
「だるまさんがころんだ!」
素早く言って振り返る。楓は足が引っ掛かったのかさっきの状態からほとんど変わっていない。汐音はジャングルジムの前に移動していた。二人とも動かない。
ここからは、鬼と子役の均衡した攻防が続いた。慎重派の汐音はゆっくりながらも隙を見せず確実に近づいて来る。ワリとちゃらんぽらんな方の楓もなかなか手ごわい。元々体を動かす遊びが得意というのもあるが、楓はこの中で誰よりも『学校だるまさんがころんだ』が好きで、この遊びに対する傾向と対策がバッチリなのだ。
さらに鬼と子役の攻防が続く。やがて楓はタイヤゾーンを越えて山型遊具の下まで来た。汐音は十個並んだタイヤの真ん中くらいにいる。
希美は背を向けた。
「だるまさんがころんだ!」
素早く言って振り返る。楓は山型遊具の階段を半分ほどあがったところで止まっていたが、汐音は最後のタイヤから飛んだところだった。しまった、というような顔で着地する。
「汐音ちゃん動いたー!」
希美の指摘に、汐音は文句ひとつ言わず従い、鬼の陣地まで来た。その時、汐音は楓と目くばせをした。──後は頼んだわよ。──任せて。そんな会話がされたように見えた。
楓はもう山型遊具の階段の半分まで来ている。次のコールで、恐らく鬼の陣地まで来るだろう。希美はその後のルールを頭の中で再確認する。鬼役の希美がコール中、鬼の陣地に来た楓は、「切った!」と言って、希美と優子がつないでいる手を手刀で切る。その瞬間、鬼は素早く1から10までカウントし、その間に子役は逃げる。10までカウントし終わったら、振り返って「ストップ!」と言い。子役はその場で止まる。鬼は10歩以内で移動し、子役の誰かにタッチできれば、その人が次の鬼になるのだ。これで、1ラウンド終了となる。
つまり、恐らくこれがこのラウンドの最後の勝負になる!
山の上から中腹にいる楓に挑戦的な視線を送る希美。楓も不敵な視線を返す。
「いくよー?」
背を向けた。コールを始める。
「だるまさんがころ──」
「──切った!」
ぱち、っと、優子と繋いだ手を軽く叩かれた感触。手が離れた瞬間、希美はカウントを始める。
「12345678910!!」
子役に逃げる時間を与えてはいけない。希美は早口で数えて、「ストップ!!」と言って振り返った。
公園内には、誰もいなかった。
「──え?」
訳が分からなかった。さっきまで手を繋いでいた優子も、その手を切った楓も、遥も、汐音も、誰の姿も無い。公園にいるのは希美一人だけだ。
「あ……と……」
何か言おうとしたが、言葉がうまく出てこない。この遊びはいつもやっている。テレビでブームになる以前から、何度も。鬼になったことも、手を切られたことも、何度もある。でも、かくれんぼじゃあるまいし、振り返って誰もいなかったことなど、一度も無い。
──そうか、みんな隠れたんだ。
そう思った。鬼がカウントしている間にどこかに隠れるのはルール上OKだ。実際、これまでのゲームで隠れる子もいた。しかし、今回の状況で全員が隠れることなど可能だろうか? 手を切った時に鬼から遠く離れた場所にいた子ならともかく、さっきまでみんな鬼の陣地内にいたのだ。カウントは可能な限り早く終えたから、数秒もかかっていない。そんなわずかな時間に、この山の上から見えない場所に隠れることができるとは思えない。しかし、それ以外には考えられない。
「……なに? みんな、もう隠れちゃったの? スゴイね」
みんなに呼びかけるというよりは自分に言い聞かせるように、希美は大きな声を出す。
「よーし、みつけちゃうからねー」
希美はルールにのっとり、一歩一歩を大きくとって山から下り、周辺の隠れられそうな場所を探した。もちろん、十歩では探せる場所は限られる。すぐに歩数を使い果たし、探せたのは山型遊具とタイヤゾーンの間だけだ。そもそも隠れるような場所も無いのだが。
「……残念、誰にもタッチできないや! じゃあ、次もあたしが鬼ね!」
不安を吹き飛ばすように、さらに大きな声言った。だが、声は虚しく公園内の空気に溶けて消える。誰も出てこない。人の気配さえ無い。
「どうしちゃったのー! みんな出てきてよー!」
泣きそうな気分で訴えるが、やはり誰も姿を現さない。
「あ、そっか! かくれんぼしてるんでしょ? わかったよ。じゃあ、みんなみつけるからね!」
希美は自分に言い聞かせるように言った。勝手にルールを変えるとも思えないが、そう思わないと不安に押し潰されてしまう。希美は、だるまさんがころんだから今度はかくれんぼの鬼として、公園内を探し始めた。遊具の陰、茂みの向こう、トイレの中……住宅街にある小さな児童公園だから隠れられる場所はそれくらいだ。なのに、どこにも、誰の姿も、無い。いつもみんなで遊んでいるはず公園が、知らない場所のように思えてくる。
「……み、みんな! 上手に隠れたねー! わかった! あたしの負けだよ! ……もういいよ……もういいから、みんな出てきてよ!」
不安がさらに膨らみ、耐えられず希美は負けを認めて訴える。応える者はいない。誰も姿を現さない。
「もう! みんなイジワルしないで出てきてったら!! 怒るよ!!」
さらに大きな声で言う。もちろん、楓はともかくマジメな汐音がこんな悪質なイジワルをするとは思えない。それでも、イジワルをされていると考えないと、心が平静を保てない。みんなが消えてしまったように思えてくる。
「出てこないなら、あたし、もう帰るよ!」
希美の声は、虚しく公園内の空気に溶けて消える。大きな声を出せば出すほど、その後の静寂が増してくるように思える。
「ホントに帰るからね! ホントにホントに、帰っちゃうからね!!」
このまま帰ったら、みんな消えたままなんじゃないか……そんな怖いことを考えるが、一人でずっと公園にいる方が耐えられなかった。希美は、しばらく公園の出入口で中を見ていたが、やはり誰も出てこないので、走って家に帰った。
「……ただいま」
力の無い声で言って、玄関のドアを開ける。母親と妹の靴のそばに自分の靴を揃え、キッチンへ向かった。
「ママ、だだいま……」
キッチンには、誰もいなかった。
今晩はカレーだろうか、玉ねぎとにんじんとジャガイモが切られてクッキングバットに入れられてあり、角切りの牛肉もある。大鍋も用意されている。すぐにでも調理を始められる状態だ。炊飯器もタイマーセットされている。母親の姿だけが無い。
「ママ?」
リビングやお風呂場を見て回る。どこにもいない。買い物に出かけたのだろうか? でも、靴は玄関にあった。それに、台所の野菜にラップもかけず、肉も冷蔵庫の外に出したまま出かけることなどあるだろうか?
希美は二階に上がり、妹の部屋のドアを開けた。
「乃愛? ママ、どこに行ったの?」
部屋には乃愛の姿も無かった。乃愛も遊びに行っているのか、あるは母親と一緒に買い物に行ったのか……でも、ふたりとも、靴はあった。また、胸の不安が膨らむ。公園と同じ不安。まさか、家に帰ってまで同じ不安に襲われるなど、考えてもみなかった。
「もう、みんなあたしに内緒で出かけるなんて、ズルいよ!」
不安を吹き飛ばすように、また大声で言う。黙っていると、静かすぎて息がつまる。
「テレビでも見よーっと」
希美はまた一階に下り、リビングのテレビを点けた。音量をできる限り大きくする。普段は大きくすると近所迷惑になると母親から怒られるが、とにかく静かなのがイヤだった。
しかし。
どんなに音量を上げても、テレビからは何の音も流れてこない。故障ではなさそうだ。テレビには、誰も映っていなかったのだ。大体どのチャンネルも大人向けのニュース番組をやっている時間帯だが、どのチャンネルも無人のスタジオ内を映しているだけだ。唯一子ども向けのアニメをやっているチャンネルですら人の姿は無く、ただ背景の絵だけが淡々と切り替わっていた。こんなのは、初めて見る。
「……なに……これ……」
それはもはや不安と呼べる感情ではなくなった。恐怖だ。公園にも、家にも、テレビの中にも誰もいない。そういえば、公園から家への帰り道にも誰の姿も無かったことに、希美はいま気が付いた。普段は近所の人たちが買い物に出かけたり学校から帰ってくる時間帯なのに、誰一人、その姿が無かった。
「なんなの! これ!!」
希美はテレビをそのままにして階段を上がると、自分の部屋に駆けこみ、窓を開けた。
「歩希くん! いる!? 歩希くん!!」
隣の家の窓に向かって叫ぶ。隣は幼馴染の歩希の家で、すぐ正面の窓が歩希の部屋だ。ここから呼びかければ、たいてい歩希は窓を開けて応えてくれる。
しかし──。
歩希さえも、返事をしてくれない。何度もこの窓から話した歩希がいない。学校のこと、家族のこと、友達や家族に話せないことも、歩希には話せた。歩希はいつもちゃんと聞いてくれるし、いつでもそばにいてくれる。希美にとっては最後の希望だ。それさえも、居なくなってしまった。
「いやだ……いやだぁ!!」
希美は叫ぶと、ベッドに入って頭から布団をかぶった。公園にも、町にも、家にも、テレビにも、そして、隣の家にも、どこにも、誰も、いない。世界中で独りぼっち……それはとても怖いことのように思えた。これまで何度も幽霊を見てきたが、そんなもの比べ物にならないほど、もっとずっと、恐ろしい。
希美は布団をかぶり、大声を上げて泣いた。泣いて、泣いて、ただ泣き続けた。
どれくらいの時間が経ったのか。
「──希美? 起きて。希美」
母親の声と共に体を揺すられ、希美は目を覚ました。いつの間にか、眠っていたらしい。
「────!」
がばっ! と布団をはねのけて起きると、母親が、いつもの優しい笑顔でそこにいた。
「希美、いつ帰って来てたの? ごはん、できてるわよ」
なんでもない口調で、母親は言った。
「ママ……」
じわり、と、涙がにじむ。
「おねーちゃん、のあ、おなかすいたー。はやくママのカレーたべようよー」
母親の隣では、妹の乃愛が不満そうな顔をしている。
「ママぁ!!」
希美は母親に抱きつくと、また、大声で泣いた。一人ではないことに安心した涙。
希美は泣き続ける。「ちょっと、どうしたのよ?」と戸惑う母親と、「お姉ちゃん泣き虫だぁ。のあは泣かないもん」と胸をはる乃愛と、泣き声に心配して二階に上がってきた父親と、同じく心配して隣の家の窓から様子を見る歩希たちの前で、希美はしばらく泣き続けた。みんながそばにいてくれることがうれしくて、ずっと泣き続けた。
翌朝。
まだ不安が完全に消えていないまま登校したが、教室内に楓や汐音たちの姿を見つけ、希美は安堵の息を吐いた。みんな消えたわけじゃない──それを確認することができて、ようやく心の底から安心できた。
だが、そうなると、逆に腹が立くる。やはり、昨日は希美一人公園に残し、みんな帰ってしまったのだ。そんなイタズラを提案するのは楓に決まっている。文句を言わないと気が治まらない。希美は怒った顔で楓のところへ向かった。
だが、希美が何か言う前に。
「あ! 希美ちゃん! ちょっと! 昨日なんで勝手に帰っちゃったの!?」
反対に、楓の方が怒った声を上げた。
「え?」
不意を突かれ、希美は怒りの感情がしぼんでいく。何のことか判らずぱちぱちと瞬きをする。帰ったのは楓たちのほうなのに、そんな風に言われるとは思わなかった。
楓は希美に詰め寄り、さらに言った。「希美ちゃん、突然いなくなっちゃって、みんなで公園中探してもいないし、心配したんだからね!? だるまさんがころんだに負けたからって、勝手に帰るなんてズルいよ!!」
楓の話によると。
だるまさんがころんだの最後──楓が希美と優子の手を切って、子役が一斉に逃げ出したとき。
いつまでたっても希美がストップをかけないので、みんな鬼の陣地を見ると、そこに希美の姿がなかったのだそうだ。イタズラで隠れたのかと思い、みんなで探したが見つからず、勝手に帰ったと思い、なんだか白けてしまって、仕方なくみんなも帰ったのだという。
「……知らないよ! 帰ったのは楓ちゃんたちの方でしょ!? あたし、みんなが突然いなくなって、すごくびっくりしたんだからね!?」
希美は言い返したが、楓は「はぁ!?」と言ってさらに言い返す。「なんであたしたちが帰ったことになるの!? ワケわかんないだけど!」
そのまま二人はケンカになる。楓だけでなく、優子や遥、汐音さえも、楓ほど怒ってはいないが、それでも勝手に帰ったのは希美の方だと言う。そう言われても、希美は決して勝手に帰ったわけではないので、認めるわけにはいかない。しばらく帰った帰ってないの言い合いが続き、やがてチャイムが鳴った。先生が教室に来たので、汐音がふたりを仲裁し、どうにかその場は収まった。
☆
あれから十年以上経った今でも、あの時の世界にたった一人取り残されたかのような孤独感を、希美は忘れない。
何が起こったのかは今でも判らない。ひょっとしたらあの瞬間、あたしは異次元に迷い込んでしまったのではないか──そんな風に考えることもある。もちろん、なんの根拠もないことだが。
判らないことだらけだが、ひとつだけ、確かなことがある。
それは、あのとき希美は、決してみんなを残して勝手に帰ったわけではないということだ。
だから。
あれから十年以上経ったが、希美と楓はあの時どっちが勝手に帰ったのかで、今でも時々ケンカになる。
