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母性が人を壊すとき―支援が支配になる瞬間―

1 正直、母性ってどうなのか

「母性」という言葉は、日本ではとても肯定的に語られることが多い。
優しさ、包容力、無償の愛。そうした言葉と結びつく概念である。

しかし対人援助の現場に長くいると、この母性的な姿勢が必ずしも良い結果を生むとは限らないことに気づく。
むしろ時に、人を壊すことすらある。

母性は本来、弱い存在を守るための力である。
乳児のように、自分で何もできない存在を支えるには必要な感情だ。

しかし問題は、この姿勢をそのまま大人に適用してしまうことである。
人は成長すると、自分の人生を自分で生きる存在になる。

ところが母性的な関わり方が強くなると、支援者がすべてを抱え込もうとする。
守る。
助ける。
何とかしてあげる。

一見すると優しい態度に見える。
しかしその背後で、本人の主体性が少しずつ削られていくことがある。


2 支援が過剰になる瞬間

支援が問題になるのは、支援そのものではない。
過剰になったときである。

人は困っている人を見ると、つい助けたくなる。
これは自然な感情だ。

しかし支援が過剰になると、次のような現象が起きる。

本人ができることまで代わりにやる。
失敗する機会を奪う。
選択を先回りして決める。

こうしていくうちに、本人は徐々に自分で決める経験を失っていく。

これは家庭でも、医療でも、福祉でもよく見られる構図である。

親がすべて決める家庭。
医療者がすべて決める医療。
支援者がすべて決める福祉。

本人は守られているようでいて、実は自分の人生に関わる機会を失っている。

支援が多ければ良いとは限らない。
むしろ過剰な支援は、人の力を弱めてしまうことがある。


3 主体性が消えるとき

人の人生の主人公は、本人である。
これはとても当たり前のことだ。

しかし支援が強くなりすぎると、この構造が逆転する。

支援者が決める。
支援者が導く。
支援者が責任を負う。

すると何が起きるか。

本人は自分の人生の決定から少しずつ離れていく。
「どうしたらいいですか」と他人に尋ねるようになる。

これは一見、支援がうまくいっているようにも見える。
しかし実際には主体性が弱まっている状態でもある。

人生の選択は、本来とても重要な経験である。
成功も失敗も含めて、人はそこから学ぶ。

ところが支援者が先回りして決めてしまうと、その経験が積み重ならない。

結果として、本人の力が育たないまま時間が過ぎていくこともある。


4 パターナリズムという問題

この問題は、倫理学では「パターナリズム」と呼ばれる。

パターナリズムとは、本人の利益のためだとして、本人の意思よりも他者の判断を優先する態度である。

父親が子どものために決めるような関係に似ているため、父権主義とも訳される。

もちろんすべてのパターナリズムが悪いわけではない。
医療の緊急場面などでは、専門家が判断する必要もある。

しかし日常的な生活の中でこの構造が続くと、問題が生まれる。

本人の意思が軽く扱われる。
選択の機会が減る。
人生の主体が他人に移ってしまう。

支援は本人のためのもののはずなのに、いつの間にか支援者が中心になってしまうのである。


5 支援の適切な距離

では、どのような距離が適切なのだろうか。

おそらく重要なのは、支援者が主役にならないことである。

主役は本人である。
支援者はあくまで裏方だ。

必要な情報を提供する。
環境を整える。
困ったときに支える。

しかし最終的な選択は、本人のものである。

この距離を保つことは簡単ではない。
ときには助けすぎてしまうこともある。
逆に関わりすぎないこともある。

それでも、支援とは本来そういう微妙なバランスの上に成り立っている。

人を助けるということは、その人の人生を奪うことではない。
むしろ、その人が自分の人生を生きられるように支えることなのである。


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