覚醒したら、思考は癒さなくてもいいのか?自分の”夜”にそっと灯りをともす人。

覚醒したら、思考は癒さなくてもいいのだろうか??ふと考えたら、思考の世界へ戻ってしまったので感じてみました。ちなみに、癒し方などではなく、実験中に感じたことを書いています。
ここ最近、『覚醒』と聞くことが増えました。覚醒っていうのも色々あるのですね。できなかったことができるようになったから覚醒!とか、今までと価値観が変わって覚醒!とか、眠れなくて覚醒してるー!とか。大好きなものに出会ってしまって、才能が開花で覚醒とか。
▼わたしがここで書いたのは、分かりやすく言えば、ノンデュアリティの一瞥体験と呼ばれるものかと思う。3日くらい続いた感じ。
それから、行ったり来たりしていたのだけど、あの至福の覚醒状態は感じることがなくても、心から消えることはなく、いつでも共に在ると感じられ、まだこの至福の中だけに存在する前に、わたしはわたしを見つけ出さなきゃ、と思ったのである。この感覚は、めっちゃ思考っぽいけど、魂の声だった。
そして、思考を癒す旅に安心して飛び込んでみた時に、なぜあの心地よい体験を少しでも感じさせてくれたのか分かった。アダルトチルドレンの深い闇の中は、それはもう、引きずり込まれ、のみこまれそうな暗闇で。迷子になりそうな時も、すっと引き戻してくれるお守りのよう。
この世界は全部自分で創っている。だから迷子になることなんてないのだけど、あまりにリアルなショータイムで錯覚することはあるのだよな。

自作自演なら、もう過去のことは、考えなくていい!とか、そこにエネルギーを使うのは無駄とも言われるけど、わたしは本当に癒して良かった。自分で創った闇は、何を教えてくれたのか?そのお宝を受け取り、感じたかった。
癒していくうちにauのCMみたいに『パッカーン★』体験が次々と起こり、思考状態でも至福になってきたのだ。つまり、今ここに存在することが、光そのものになるということ。帰らなくても、光で在れる。
な、懐かしい~w
あぁ、下書きにしている間に、また氣づいてしまった。覚醒状態と思考状態をわけて考えていたけど、結局同じ場所であった。
ものすごい台風の中に勇氣を出して飛び込んだと思ったのに、足がつくような子どもプールだった、みたいに拍子抜け。本当に安心安全の中で遊んでいる、ただのゲームである。笑!
あんなに苦しいと思った世界は幻で、今ここで、いつでもどこでも至福であれるということ。一瞥体験は、ただの答え合わせだったのかもしれない。時間は未来から来るので、今ここの氣づきを先に体験したとも言える。

頑張っても頑張っても、苦しくなる。成功しても稼げても苦しくなる。失敗したらできなかったら、もっと苦しい。外側のモノや評価でぎゅうぎゅうになる。
それは、闇の自分を否定していたから。闇があるから、光はもっと強くなるのにね。自分の”夜”にそっと灯りをともす、それぞれが自分の専属ライトワーカー。

現実を変えたいとか、願いを叶えるとか、引き寄せるとか、そんなことはどうでもよくなってしまう。『だから何?それ、わたしの幸せと関係ある?』って。笑
それより何より、自分自身で今ここに存在できる、尊さよ、喜びよ。
この状態って、
・自然体で満ちてる
・世界への信頼と仲直りできてる
・わたしが『わたしでいていい』って許可できてる
もう、願望とか成功とか、そういう言葉すら超えてる、存在レベルの幸福感なんです。

ということで、(わたし的な)結果は、覚醒しようが、思考で遊ぼうが、自分の世界で幸せで在れるし、好きに選べる♥でした。だって、同じものなんだもの!
癒し方についてはまた別記事で。いつの間にか、不安や苦しみの味も忘れてしまった。
あなただけの灯りをともしていこう。その光が、勝手に周りを照らしていく。
さぁ、これからも共に!

\一緒に癒そう♥/
