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ケルアック、ギンズバーグ、バロウズについて

先日、ちょっとしたきっかけから久しぶりにケルアックの「オン・ザ・ロード(路上)」(新訳)を読みました。というか、、バロウズはほぼ全部読んだのですが、ケルアックは、もしかしたら読んだことがなかったかもしれません。長いので第1章だけ読みました。とても多くの気付きを得たので共有したいと思います。


ジャック・ケルアック

「オン・ザ・ロード(路上)」は、50年代アメリカでケルアックによって書かれた小説です。主人公サル・パラダイスがアメリカを自由奔放に旅するお話。青山にあった有名なバー「サルパラダイス」はここからとられていたのです。

冒頭で、ジャズのビバップ(Bebop)について触れています。そこで、なるほどと、腑に落ちました。以前これらの時代のものを読んだときは、そんなこと気にせず読んでいたのですが、彼らが少なからず、当時の主流の音楽に影響を受けていたという当たり前の事実に気付きました。チャーリー・パーカー(バードと呼ばれていた)のような超クレージーで、スリリングな音楽(やっていることは超高度ですが)という名のドラッグをみんな食らっていたんだなと。

また、ケルアックの創作手法、文の推敲よりも、即興的に一気に書く(打つ)ため、タイプライターに使う紙を巻物状にして使っていたなど、即興音楽ととてもリンクします。おそらく、Stream of consciousness(意識の流れ)と呼ばれた、個別の意識の配列ではなく、その変化そのものに着目した概念(アメリカン・プラグマティズム的な)の流れを汲むものと解釈できると思います。ジェイムズ・ジョイスなどがこの手法をとりえれたとも言われています。

だから文体も、「○◯、あ、じゃなくて、XX」のように文語的というより、口語的です。ライトノベルほど会話が多くはありませんが、とても軽いタッチな部分は感覚が似ています。また、ある種の疾走感、サックスの即興フレーズを吹き散らすような文体で、まるで映像を見ているような世界観です。

「即興ジャズ+意識の流れ」

これがケルアックの真髄だ、と感じました。どうでしょうか?

あと、ケルアックの歌っていうのが、とてもいいんです!!


Beat Generation

当時の作家、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズは、Beat Generationと呼ばれました。もともと、ケルアックが、(社会に)打ちのめされた(beaten down)+音楽のビート+至福(beatific)から、そう命名したとされています。

その後、このワードからBeatnik(ビートニック)という言葉が、反社会的な、フラフラしている若者に当てられるようになりました。ヒッピーのはしりです。

最初こそ、「既成概念に対するチャレンジ」という側面において彼らの間で共通理解があったようですが、考え方は三者三様、のちには、ケルアックとギンズバーグは袂(たもと)を分かちます。ケルアックは、西海岸の左翼がこれが一つのムーブメントであるかのように言ったことに対して怒っていたとあります。僕の分類では、

【ケルアック】:既成概念に対するチャレンジ精神を持ちつつ、古き良きアメリカの秩序や愛国心も重んじる「ロマンチックな保守の反逆児」

【ギンズバーグ】:外部からの新しい思想(東洋思想など)と、ユートピア志向の「設計主義的・リベラルな反逆児」

【バロウズ】:超過激に構造自体を解体する「冷徹で、超個人主義なアナーキスト(無政府主義者)」

です。時代がら、各々アイデンティティについては重要なテーマです。これも三者三様で、アイデンティティという観点で見ると、

【ケルアック】:これまでの歴史との関わりから発展するアイデンティティ

【ギンズバーグ】:自分の自由意志がすなわちアイデンティティ

【バロウズ】:構造的にアイデンティティなど存在しないという超マクロ視点

と解釈できます。

古代ギリシャの哲学体系からのトポロジー

さて、この超ユニークな3人、これを無理やり(笑)、ソクラテス、プラトン、アリストテレスというギリシャ哲学体型に当てはめて見たいと思います。

ソクラテス:原始哲学、直感、アニミズム →【ケルアック】
 
プラトン: 理性主義、イデア(理想主義)、設計主義 →【ギンズバーグ】

アリストテレス: 経験主義、原始的な構造主義 →【バロウズ】

面白いことに、これが比較的すっぽりビートの3人に当てはまります。いかがでしょうか?

近世政治思想からのトポロジー

次に、近世政治思想に無理やり当てはめます。ホッブズ、ルソー、ロックです。

ホッブズ: 秩序と愛国 → 【ケルアック】

ルソー: 自然回帰と理想主義 → 【ギンズバーグ】

ロック: 自由主義、個人主義 → 【バロウズ】

どうでしょうか?バロウズは、若干無理がありますが(笑)、でも、まあまあ当てはまっているのではないでしょうか?

当時、ベトナム戦争に対する彼らの考え方は、決定的に異なります。ケルアックは、ビートニックの教祖的存在とされていましたが、実際は、反共産主義者で(アメリカがベトナムで共産主義者と戦っているという意味で)戦争支持でした。自分勝手な振る舞いをしている反愛国的な当時の若者をきらっていました。一般的に語られているイメージとは違いますよね。ビートの一般的なイメージは「反戦、ラブ・アンド・ピース」ですが、これは当時のインテリ左派が商業的に彼らを利用した結果です。ただ、その中でも、ギンズバーグは、典型的な「戦争反対」派、この前こちらの文章で、ジョンとヨーコのことを書きましたが、そのアクションにも同調していました。

バロウズは、そのどちらでもない、国家という構造自体が幻想であると同時に、戦争反対という偽善行為もまた同様と、構造的に冷ややかに見ていたという立場です。ドラッグに溺れ、奥さんを射殺、放浪と超ニヒリストだったことがその裏付けです。

ケルアックの文章を読むと、一見、自由奔放に振舞っているように見えますが、どことなく律儀で礼節がある雰囲気があります。バロウズのように、言葉そのものをズタズタに切り裂いてしまうことをせず、構造という伝統の範囲で即興的に振る舞う文体です。以前は、このようなことまで気がつきませんでしたが、今ようやくわかったような気がします。

一見、人間中心主義を謳っているギンズバーグが、もっともリベラルで普遍的価値を解く絶対善のような感じがしますが、アイデンティティを模索し、葛藤していたケルアックの方が、僕はよりヒューマニスティックで自然な印象を受け、好感が持てます。

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