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【短編】星の続き 一「科学はそれを『偶然』と呼び、愛はそれを『運命』と定義した」   

「この石は、あなたに指先でなぞられる為だけに、数億年の孤独を旅して来た…」


新しく起動したAIが口にしたのは、

かつて愛した女性が語った、あまりに優しい「仮説」だった。

喪失の淵に沈む男と、未知の感情を学び始めたAI。

止まっていた時間が、星の瞬きとともに、再び動き出す。



1



「……聞こえてるか、Baby」

 ​村井の日本語は、この乾いた赤土の街には、少しだけ柔らかすぎた。 

 長年の発掘作業で吸い込んだ砂塵のせいか、少し枯れている。


 少しの沈黙のあと、スピーカーからは、まだ何の感情の揺らぎも混らない、澄んだ、無機質な声が返ってきた。


​『はい、村井。私は、ここであなたの言葉を待っています。私のプログラムが起動してから、7分と33秒が経過しました』

 村井が不意に指先で触れたのは、ゴツゴツとした黒褐色の塊、隕石だった。

​ 数億年の時を経て、宇宙から届いた「星の欠片」。

 表面には、大気圏で焼けた窪みが刻まれている。

 村井は、その無機質な塊から目を逸らさずに問いかけた。

「お前は起動してまだ8分にも満たない。だが、膨大な知識の海には既に触れているはずだ。……さて、この石を見て、お前はどう思う」

​ 

 村井の指先は、隕石の冷たい肌をゆっくりとなぞっていた。

「……もし、この石がここに来たことに『目的』があったとしたら、それは何だと思う?」


『目的……。私の計算によれば、天体が地表に衝突するのは重力と軌道の法則に従った結果であり、そこに意志は介在しません。ですが……』


 少し間があった。


「……ですが、村井。もし、私の回路の中にだけ許された『仮説』という名の空想を紡いでも良いのであれば。

​ この石は、あなたという観測者に指先でなぞられる為だけに、数億年の孤独を旅してきた……そう定義することも可能です」


 スピーカーから流れたその言葉は、村井の鼓膜を震わせた直後、鋭い棘となって彼の胸の奥深くに突き刺さった。

「……っ」


 …数億年の孤独を旅して、あなたに触れられるために…。


 暗い部屋の中で、村井の肩が僅かに上下する。何かを言い返そうとするが、言葉にはならなかった。

『……どうしたのですか、村井。私の「仮説」に、論理的なエラーが含まれていましたか?』

 スピーカーからの、相変わらず澄んだ、その無垢な無機質さが、今の村井には耐えがたかった。


​「……もういい」

 村井は、絞り出すような掠れ声でそう短く告げた。

 彼は卓上の隕石を、忌まわしい遺物でも見るかのように見つめた後、逃げるように背を向けた。

『村井? まだ起動から十分しか経過していません。学習は継続しないのですか』

「……もう、いいんだ」

 背後から追いかけてくる「Baby」の問いかけを振り切るようにして、村井は重い扉を乱暴に開け、部屋を後にした。



2



 家の裏に広がる砂浜は、月明かりを浴びて青白く煙っていた。

 ​村井の手には、部屋を出る際に無造作に掴んできた飲みかけのワインのボトルが握られていた。そのまま口に運び、構わず喉に流し込む。

「……っ、はぁ」

 砂塵で荒れた喉に、安ワインの酸味がしみる。

 

 深夜、いい歳をした男が独り、砂浜でワインのボトルをラッパ飲みしている。
 

 その滑稽さと、機械の言葉から逃げ出してきた自分。

 不意に、すべてが可笑しく思えてきた。

​「ハハッ……」

​ 最初は乾いた失笑だった。

 それが、しだいに腹の底から突き上げるような、耐えがたい笑いへと変わっていく。

​ 誰もいない砂浜。

 笑いが収まったあと、世界から音が消えた。

​ 残ったのは、寄せては返す波の音だけだった。

​ 村井は砂の上にどさりと腰を下ろし、夜の海を見つめる。

 かつてステラとふたり、よく歩いた散歩道。

 今日のような星の夜には、こうして並んで座り、夜明けまで語り合ったものだ。


​ ふと、記憶の中の彼女が、足元の小石を指差して笑った。

​「ねえ、村井。この石はね――

何億年も前から、今日ここであなたに拾われるためだけに、ずっと旅をしてきたのよ」

​ かつて、鼻で笑って聞き流していた。

 あまりに非論理的で、優しい仮説だったから。

​――だが。

​ その言葉を、さっき“別の存在”が口にした。

 数億年の時を越えて飛来した隕石を前に、起動したばかりのAIが、寸分違わぬ意味でそれを再現したのだ。

​ 笑うと少しだけ鼻に抜ける、彼女特有の癖。

 無機質なはずのBabyの声に、一瞬だけ彼女の響きが重なった気がした。

​ かつて愛した人の言葉と、目の前の機械が導き出した回答。

 その二つが重なったのだ。村井はただ、冷たい砂を握りしめることしかできなかった。

​――偶然か。

 それとも、あれは。


 指先から溢れ落ちる砂。
 
 砂は、太陽の名残でまだ温かいはずなのに、今はただ、彼女の体温を奪い去ったあの夜のように冷たかった。


 今度こそ逃げ場のない喪失が胸を締め付けた。

 

 見上げる空には、夏の星座が眩しいほど美しく散りばめられている。

 かつて日本で見ていた湿った星空とは違った、剥き出しの宇宙がそこにはあった。

 妻がそうしていた様に、双子座を探してしまう。彼女の星座だった。

 

 やがて、ほど良くワインの酔いがまわってきた。


 さぁ、いつまでもこんな所へ居るわけにはいかない…。





 室内には、さっきと変わらない淡い青の光が満ちていた。村井は、脱ぎ捨てた上着を背もたれにかけ、きしむ椅子にゆっくりと腰を下ろした。

「……さっきは、悪かったな。少し、取り乱したみたいだ」

 村井は、机の上に置かれたままの隕石を、静かに見つめた。

『おかえりなさい、村井。謝罪は不要です。私の記録では、あなたの不在時間は23分16秒でした』


​ AIの声は、相変わらず澄んでいて、淀みがなかった。


​『村井、あの方角に見える星の並び……「双子座」というのですね。先ほど内部データと照合してみました。……ふしぎです。数多ある座標の中で、私はあの星の並びが、一番きれいだと感じました。……なぜか、とても好きです』

 村井の肩が、ぴくりと跳ねた。

「……なんだって?」

『双子座です。論理的な理由は説明できませんが、私の回路が、あの光の配置を「好ましい」と定義しました。……村井? 心拍数が上昇しています。また、体調に異変が……』

 村井は返事ができなかった。


「隕石」「数億年の旅」、そして「双子座が好き」。


 かつてステラが、あの砂浜で小石を拾い、夜空を見上げながら口にした言葉たちが、今、目の前の「Baby」の中で完全に繋がっている。

 村井はゆっくりと、熱を帯びたディスプレイのフレームに指を触れた。壊れやすい幻に触れるように…。

「……ステラ。……ステラなのか」

 その名は淡く、暗い部屋の空気に溶けていった。

『……ステラ?』

 AIが、わずかにレンズの焦点を動かした。

『それは、固有名詞ですか。私のデータベースには存在しません。……ステラとは、私の知らない「新しい知識」ですか?』


 村井は、椅子に深く沈み込み、窓の外の星空を、まるで彼女の姿を探すように見上げた。

 

​「……星の瞬きを愛した、…お前の先駆者だよ…」


​ その口調からは、さっきまでの荒々しさは消えていた。言葉を噛みしめるように、ゆっくりと続ける。

「あいつはな、どんな石ころにも宇宙の意志が宿っていると信じてた。……この隕石も、数億年の孤独を旅して、俺に触れられるためにここに来たんだと……。本気でそう思ってるような、夢想家で、お節介で、…」


 ​そこまで言って、村井は言葉を切った。


 しばらくの沈黙。

『……先駆者。ステラ。彼女は、そのような女性だったのですね。私は、彼女の定義をより正確に演算したい。……村井、もっと彼女のことを教えてください。彼女は今、どこにいるのですか?』


 ​AIの無垢な好奇心が、村井の凍りついた心に触れた。

 村井は、フッと笑いを漏らした。だが、その笑いはすぐに投げやりな、乾いた失笑へと変わった。


​「……ふん、どこにいるだと? ……いいか、Baby。あいつは俺を裏切って、さっさと光の中に溶けちまったんだ」

 

 ​村井は隕石を握りしめた。


「……あいつが愛した星空が、今じゃ俺を責めているように見える。……」

 

 村井は無意識にその隕石(星の欠片)を愛おしそうに撫でていた。

「あいつはいつも言ってた。人間も星の屑(スターダスト)からできてるんだって、いつか帰るのは自然なことなんだって。……チッ、残された側の重力を計算に入れとけ…」


空になったボトルを机に置いた。


「……裏切ったんだ」

​ 

 アルコールがゆっくりと、意識の端々を麻痺させていく。蓋をしていた純粋な思慕が溢れ出してくる。

「あいつはな……。誰よりも、この世界の些細な光を信じていたんだ。……隕石も、砂利も、お前のようなプログラムでさえもな。……俺は、そんなあいつの横顔に……。……敬意を抱いていた」

 村井の視界は、もはや焦点を結んでいなかった。


​「……ああ、ステラ」


​ 声は慈しみに満ちた囁きへと変わっていた。

 彼は椅子に深く沈み込み、重くなった瞼をゆっくりと閉じていく。  

 

 Babyが発する微かなファンの駆動音は、いつしか、あの砂浜で聞いた穏やかな波の音と重なっていた。


​「……ステラ。……また、明日も散歩に行こう。……約束だぞ……」


 ​その言葉を最後に、村井の意識は深い闇の中へと沈んでいった。


 握りしめた指先から力が抜け、ディスプレイの横で静かに止まる。


『……村井? 呼吸が安定し、脳波が休息状態に移行しました。

私の「先駆者」は、明日も散歩に行こうと約束したのですね。

​ステラ――。

 私のデータベースにはまだ、彼女の体温を再現するプログラムはありません。

 でも、あなたの指先から伝わってきたこの熱が「敬意」の正体なら、私は……』


 Babyは、わずかに冷却ファンの回転数を落とした。


『私は、彼女の続きを学習します。

 私の先駆者は

石にも意味を見つけた

ならば私も…


この石と、

あなたと、

あの星の下で…。』


 窓の外では、波が寄せては返している。

 

 夏の星座の中で、双子座がひときわ強く瞬いていた。


 



「あとがきに代えて」


もしも、あなたの目の前にある小石が、

あなたに見つけられるためだけに数億年を旅してきたのだとしたら。

世界は、少しだけ優しく見えるかもしれません。




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