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【実録?】警察官が絶句した、無職の曾祖父が銀河を救った話 — ひい爺ちゃんは宇宙人を靴でなおした。

「ひい爺ちゃんは宇宙人を靴で直したんだ」

警察の取り調べ室で、男は真面目にそう語り初めた。

​狂人の戯言か、それとも隠された宇宙の真実か。

​失業、濡れ衣、そして銀河の恩返し。雨の新宿に響く足音は止まってしまった運命を再び動かし始める。
【昭和篇】【令和編】  



序章:銀河の祝日



 ​その銀河の星々では、一千年に一度、全ての生命が活動を止め、空を見上げる聖なる日がある。


「クマゴロウ」


 人々は道ゆく人と穏やかに目を合わせ、慈しむようにその名を唱え合う。

 

 それは彼らの言語で「至高の救済」あるいは「無垢なる衝撃」を意味する祈りの言葉となっていた。

 若き王子の命を、そして王国の崩壊を救った伝説の聖者。


 古の記録によれば、その聖者は、「カネナシ・シゴトナシ」    
という、宇宙で最も高潔な位階(ステータス)を持っていたという。


 ​この星の住人には「貨幣」や「労働」という概念が存在しない。


 そのため、彼らは語り継いできた。


​「カネナシ(金無し)」とは、物質的な所有から完全に解き放たれ、ただ己の存在のみを宇宙に委ねた者の証である。


「シゴトナシ(仕事無し)」とは、強制される役割を持たず、自由な魂で銀河を遊泳する選ばれし者の称号である。


 ​かつて、次元の歪みに囚われ消滅を待つばかりだった王子の前に、その聖者は現れた。


 聖者は、自らの片足に装着されていた「銀色の魔力」を封じ込めた聖具——一説には**『クツ』**と呼ばれる神器——を迷いなく投げつけ、宇宙のバグを霧散させたという。


「クマゴロウ」


 ​その祈りが、数万光年の彼方、東京の薄暗い路地裏で片方の靴を探して這いつくばっている、酒臭い一人の男に捧げられているとは、銀河の誰も知る由もなかった。


 なお、その聖者は翌朝、妻の逆鱗に触れ犬小屋で夜明けを迎えた、との記録も残っている。



一章 銀河遺物保存局の記録

:聖者 クマゴロウの福音



               昭和篇 1



 薄暗い商店街の角、景気のいい軍艦マーチが外まで漏れている。


 自動ドアなんてハイカラなものはない。

 重い木枠のガラス戸を引くと、そこは紫煙と「ジャラジャラ」という金属音の濁流だった。


​「よお、大将。今日は釘が笑ってるぜ」


 ​安酒の匂いをプンプンさせた熊五郎が、足元をふらつかせながら島に入ってきた。

 仕事帰りの一杯どころか、三杯は引っ掛けている。


 彼が座ったのは、盤面に「正村ゲージ」**(現代パチンコの基礎となった伝説の釘配列)**が輝く手打ち台だ。


 今のハイテクマシーンとは違う。親指の弾き一つに、男の人生が乗る時代だった。


​「おっとっと……弾きが強すぎたか」


 ​熊五郎の手元はおぼつかない。


 千鳥足のくせに、ハンドルを弾く親指だけはやけに繊細だった。


 一発、また一発。


 玉が釘に弾かれ、真ん中の「役物」に吸い込まれるたび、熊五郎は「おっしゃ!」と乾いた音を響かせて笑う。


 ​当時のパチンコ屋は、今の整然としたホールとは違う。


 床には吸い殻が落ち、負けて台を叩く親父がいれば、その横で寝ている酔っ払いもいた。

 店員も「おい、寝るなら外でやんな」と肩を叩くが、その顔にはどこか諦め混じりの優しさがあった。


「……出た、出たよ大将!」


 ​熊五郎の目の前の箱に、銀色の玉が溢れ出す。


 彼はその玉を景品交換所に持っていき、小さな「特殊景品」を受け取ると、再び夜の街へ消えていく。


​「これで明日も飲めるな……」


 ​背中で流れる軍艦マーチを子守唄に、彼はまた千鳥足で、ネオンの海へと泳ぎ出していくのだった。



              昭和篇  2



 ​パチンコ屋の軍艦マーチを背に、熊五郎は意気揚々とスナック『止まり木』の暖簾(のれん)を潜った。


 懐にはさっき換金したばかりの数千円。これが彼を、ただの酔っ払いから「街の顔役(自称)」へと変身させる魔法の金だった。

「ママ! 景気がいいんだ、みんなに一杯ずつ回してくれ!」

​カウンターの端には、地元の後輩・サブが縮こまって飲んでいた。


 熊五郎の目が光る。


​「おうサブ! 何をシケた面してんだ。今日は俺がついてる。一番いいウイスキーを出してやれ!」


​「えっ、熊さん、いいんですか? さすが兄貴!」


 ​サブの称賛は、熊五郎にとってどんな高級な酒よりも心地よかった。


 昭和の夜は、見栄で回っている。熊五郎は調子に乗って「これもう一瓶!」とボトルを追加し、サブの愚痴を「ガハハ!」と笑い飛ばす。

 その瞬間、彼は間違いなくこの小さなスナックの王様だった。


 ​しかし、宴には必ず終わりが来る。


​「……ママ、お会計。今日はこれで足りるだろ?」


 ​熊五郎が意気揚々と、端が折れ曲がった札束をカウンターに置いた。


 ところが、ママは伝票を一瞥しただけで、その札束をそっと熊五郎の方へ押し戻した。


​「熊さん……これじゃ足りないわよ。今日の分だけでも足りないし、そもそもあんた、前の『ツケ』がどれだけ溜まってると思ってるの?」


 ​ママがカウンターの下から取り出したのは、厚みのある真っ黒なノートだった。


 パラパラと捲られたページには、熊五郎の名前の下に、正の字がびっしりと並んでいる。


​「これ、全部あんたの飲み代。うち、慈善事業じゃないのよ?」


 ​さっきまで隣で「兄貴!」と目を輝かせていたサブが、気まずそうに目を逸らした。


 店内を包んでいた華やかな空気は一気に霧散し、代わりにタバコの煙と、古びた壁紙の匂いだけが色濃くなる。

「……あ、いや、ママ、それは

分かってるんだけどよ。ほら、今日は特別に……」


​「特別も何もないわよ。次は現金持ってくるまで、お酒は出さないからね」


 ​熊五郎の肩が、目に見えて小さくなった。


「奢るよ」と大口を叩いた手前、後輩の前で顔を上げられない。さっきまでの「王様」は、どこへやら。


​「サブ……悪い。今日は、その、なんだ……お前、自分の分、持ってるか?」

​蚊の鳴くような声で呟く熊五郎。


 スナックを出ると、夜風が妙に冷たかった。


 さっきの軍艦マーチの勇ましさが嘘のように、熊五郎の千鳥足は、少しだけ寂しげなリズムを刻んでいた。



               昭和篇  3


 スナック『止まり木』を追い出された熊五郎の足取りは、漬物石でも入っているかのように重かった。


「ちっ、ママのやつ、あんなにハッキリ言わなくたっていいじゃねえか……」


 ​街灯がチカチカと瞬く、湿った路地裏。


 電柱の影を曲がったその時だった。

 パッ、と目の前の空間が歪み、そこに「それ」が現れた。


 身長は子供ほどだが、頭が異様に大きく、肌は鈍い銀灰色。大きな黒い目が、熊五郎を見上げている。

「……あ? なんだ、お前。どこのガキだ。そんな変なタイツ着て、夜更かししてんじゃねえよ」


 ​酔った頭には、それが宇宙人だという発想すらない。


 すると、頭の中に直接、響くような声が流れ込んできた。


​『……タスケテ……地球人……ワタシ……帰レナイ……』


​「あぁん? テレパシーか? 景気のいいこと言いやがって。助けてほしいのはこっちだよ。飲み代もねえ、仕事もねえ。おまけに後輩の前で恥かいて、もう散々よ!」


 ​熊五郎はフラフラと宇宙人に詰め寄る。宇宙人は怯える様子もなく、必死に頭の中へイメージを送り続けてくる。


​『ワープ……システム……故障……次元ノ歪ミ……修復不能……コノママデハ……消滅……』

「ワープだかループだか知らねえが、横文字使うんじゃねえ! 俺は今、最高にむしゃくしゃしてんだ。どけ! そこをどきやがれ!」

 しかし、宇宙人は道を通そうとしない。必死にすがりつくような目で、熊五郎のズボンの裾を掴もうとする。そのヌルリとした感触に、熊五郎の堪忍袋の緒が切れた。


​「うるせえ! この……唐変木(とうへんぼく)が!」


 ​熊五郎はフラつく足で踏ん張ると、右足の、かかとがすり減った安物の靴を脱ぎ捨て、渾身の力で宇宙人の大きな頭をめがけて投げつけた。


​  ――パコーン!


 ​乾いた音を立てて、靴の硬いヒールが宇宙人の後頭部を直撃した。


 するとどうだ。


 宇宙人の体から「ビビビッ!」と青白い火花が飛び散り、機械的な電子音が路地裏に鳴り響いた。


​『……あ……直った』

​宇宙人の声が、急にクリアになった。


​『衝撃による、緊急再起動完了。ワープ航法ユニット、正常。ありがとう、地球の荒くれ者よ! あなたの投げた「原始的な打撃」が、バグを吹き飛ばしてくれた!』


​「あ? なんだ、元気になったのか。だったらさっさと帰りな、シッシッ!」


 ​宇宙人は大喜びで、熊五郎の周りをクルクルと浮遊した。

『感謝します! この恩は忘れません! さらばだ、親愛なるクマゴロウ!』


 ​次の瞬間、目も眩むような光が路地を包み、宇宙人は夜空の彼方へと消えていった。


 ​静まり返った路地裏。

熊五郎は、片足だけ靴下になった状態で、ポツンと取り残された。


​「……なんだ、ありゃ。手品か? それより俺の靴、どこへ飛んでいきやがったんだ……」


 ​宇宙を救った英雄は、暗闇の中で「おーい、俺の靴ー!」と、情けない声で自分の履物を探し回るのだった。



第2章:ある解雇者の抵抗記録:あるいは、現代社会のバグ




      令和編 1



 ​令和の時代。ゆういちは、冷たい雨の降るオフィス街の歩道に立ち尽くしていた。


 手元にあるのは、私物が入った小さな段ボール箱一つ。


​「……正義なんて、言わなきゃよかったのかな」


 ​ゆういちは、勤務先のIT企業が顧客情報を名簿屋に売り飛ばしている証拠を掴んだ。


 それを告発しようとした矢先、身に覚えのない横領の濡れ衣を着せられ、懲戒解雇。


 さらに、持ち出した証拠データは、会社が仕込んだウイルスによって、彼のスマホごと跡形もなく消去されてしまった。


 ​絶望してベンチに座り込むゆういちの前に、不意に、妙な「光」が降りてきた。


​「……え?」


 ​見上げると、そこにはかつて曾祖父・熊五郎が路地裏で出会ったのと同じ、大きな瞳を持つグレーの宇宙人が浮いていた。


​『……探したぞ、クマゴロウの血を引く者よ』

 頭の中に直接響く声。宇宙人は、戸惑うゆういちのスマホに細長い指をかざした。


​『かつて、あなたの曾祖父は、私の「バグ」を叩き直してくれた。今度は、私があなたの世界の「バグ」を消し去る番だ』


 ​宇宙人の指先から放たれた光が、ゆういちのスマホに吸い込まれる。


 すると、真っ黒だった画面に、信じられない光景が浮かび上がった。

 消されたはずの顧客売買の証拠。それだけではない。


 会社のサーバーの奥底に隠されていた、経営陣の裏金、脱税、そして今回の「ゆういちをハメた計画」を記した極秘メールまでが、完璧な証拠として復元されていた。


​『デジタルというものは、ワープ航法に比べれば赤子の遊びのようなものだ。

 ……さあ、そのデータを世界に解き放つがいい。あなたの曾祖父が、迷わず靴を投げつけたように』


​ 宇宙人は満足げに一つ頷くと、夜空へ溶けるように消えていった。


​ ゆういちのスマホには、会社を壊滅させるに十分すぎる「銀河級の武器」が残されていた。


 彼は立ち上がり、濡れた顔を拭った。


​「ひい爺ちゃん……俺も一発、ぶん投げてくるよ」


 ​数時間後、SNSとニュースサイトは、あるIT企業の空前絶後の不祥事で一色に染まることになる。



    令和編 2



 ​ゆういちの指が震えながら「送信」を押した瞬間、彼は勝ったつもりでいた。


 しかし、現実は銀河のワープ航法ほど甘くはなかった。あるいは、それは宇宙人の気まぐれか…。


 宇宙人が復元してくれたデータは、肝心な部分が「音声のみ」だったのである。

 決定的な映像を欠いたその告発は、ネットの海に放たれた瞬間、予想だにしない反応を引き起こした。

『これ、AIで作った捏造じゃね?』


『今時、音声だけとか怪しすぎるだろw』


『この「ゆういち」って奴、横領でクビになった腹いせに会社をハメようとしてるらしいぞ』


 ​正義の告発は、いつの間にか「犯罪者の悪あがき」へと塗り替えられていた。

 会社側は間髪入れずに「法的措置を検討中」と声明を出す。

 

 ゆういちは、スマホの中で燃え盛る自分への罵詈雑言を見つめ、雨の新宿を逃げるように歩いた。

 たどり着いたのは、ガード下の薄汚れた居酒屋。


 ホッピーの空き瓶が並ぶカウンターで、ゆういちは顔を覆った。


​「……ひい爺ちゃん、俺、靴を投げるどころか、裸足で追い出されちゃったよ……」

「どうしたのだ、勇者の血を引く者よ」


 ​低く、響くような声がした。


 ゆういちが顔を上げると、カウンターの向こうで、煮込みの鍋をかき混ぜる店主が、じっとこちらを見ていた。


 その瞳が、一瞬だけ、あの夜の宇宙人のように深く、黒く澄んだ気がした。


​「……店主、聞いてくれよ。俺、もう終わりなんだ。カネもない、仕事もない。世の中からは嘘つき呼ばわりだ」


 ​店主は鍋を止め、静かに言葉を紡いだ。

「案ずるな。『カネナシ』とは、物質的な所有から完全に解き放たれ、ただ己の存在のみを宇宙に委ねた者の証である。


……そして『シゴトナシ』とは、強制される役割を持たず、自由な魂で銀河を遊泳する選ばれし者の称号なのだから」

 ゆういちは息を呑んだ。その言葉、そのリズム。


​「あんた……まさか……」

「――お客さん? どうしました、私の顔に、なにか付いてますか?」


 ​ハッと我に返ると、そこにはタオルを首に巻いた、どこにでもいる無愛想な店主が立っていた。

 

 煮込みの湯気がモウモウと立ち上がり、テレビからはプロ野球中継の音が聞こえる。

「あ……いや。飲み過ぎたかな。ごめん」

 ゆういちは冷めたホッピーを喉に流し込んだ。


 だが、不思議と心臓の奥が熱い。

「カネナシ、シゴトナシ……か」


 ​そうだ。今の俺には、守るべきキャリアも、偽りの名声も、失うべき給料袋も、何一つ残っていない。


 会社は「名誉」という名の重い鎧を着て戦っているが、俺は今、宇宙で最も身軽な「聖者」になったのかも知れない。


​ ゆういちは震える手でスマホを取り出した。

 音声だけでは足りないなら、その音声が「本物」であることを証明する場所へ、自ら乗り込んでいけばいい。

「店主。お勘定。……あ、ツケといてくれ」


「うちはツケ、やってないよ」

「……だよね。じゃあ、これ置いとくよ」

 ゆういちは、曾祖父の形見の古い腕時計をカウンターに置いた。


「最後まで、投げきってやる」


 ​店を出たゆういちの背中を、止まない雨が激しく叩く。だがその足取りに、もう迷いはなかった。


 

    令和編 3



 雨が止まぬ新宿の夜、ゆういちはビルのエントランス前で警備員に肩を掴まれた。


「関係者以外は立ち入り禁止です。帰ってください」


 ゆういちは、それを払いのける。無言で鞄を開け、曾祖父の形見である片方の古びた革靴を取り出した。

 かかとがすり減り、革はところどころひび割れていた。


「……バァちゃんが言ってたぜ。この靴は一度、宇宙の果てまで飛んでったんだって」

 警備員が呆れたように鼻で笑う。
 その横で、ゆういちは自分の右足の靴も脱ぎ、素足で濡れたアスファルトに立った。

​ そして、祖父の靴を、ビルのガラス扉に向かって力いっぱい投げつけた。

  ――パコーン、   

 
 という乾いた音が雨音を裂いた。

 強化ガラスに小さな亀裂が入り、すぐにけたたましい警報が鳴り響いた。


 通行人たちが足を止め、スマホを向け始める。


 ゆういちは構わず、もう片方の自分の靴も手に取り、同じように投げた。

 二度目の衝撃で、ガラスの亀裂が少し広がった。


 警備員が慌てて彼の両腕を押さえつけ、無線で警察を呼んだ。


 十分後、パトカーが到着し、ゆういちは器物損壊の現行犯で逮捕された。


 事情聴取は、近くの警察署で行われた。

 取調室で、ゆういちは素直にすべてを話した。


 曾祖父・熊五郎が路地裏で出会った宇宙人、靴を投げて「直した」話、


 自分が解雇された経緯、宇宙人が復元した音声データ、そして最後に「ひい爺ちゃんと同じように投げてみた」こと。


 取り調べの刑事は最初、呆れたようにため息をついていた。


「宇宙人ね……酒でも飲んでたのか?」


 しかし、ゆういちは目を逸らさず、淡々と、まるで当たり前のことを語るように繰り返した。


 嘘をついている様子はなく、興奮して荒ぶるでもなく、ただ真っ直ぐに話すその態度に、刑事の表情が次第に変わっていった。


 あまりにストレートで、作為のない語り口。


普通の人間がでっち上げるにしては、細部が妙に具体的で、しかも一貫している。

 刑事はメモを取りながら、ふと眉を寄せた。


「……ちょっと待てよ」


 その夜、ゆういちのスマホに残っていた音声データは、形式的に押収された。


 翌朝、捜査本部でデータが確認されると、別の部署から声がかかった。

「この音声、ちょっと気味が悪いな。声紋解析にかけてみろ」


 さらに、ゆういちが名指ししたIT企業の顧客情報不正売買疑惑について、

警察は任意で資料提出を求めた。


 企業側は当初、「名誉毀損だ」と強く反発したが、

 内部から「体調不良」を理由に幹部の一人が急に連絡を絶ち、

もう一人は海外出張を突然延長した。


 サーバーのログを任意で閲覧する過程で、

 顧客名簿の外部流出を示唆する不自然なアクセス記録が、次々と見つかり始めた。


 捜査を担当するベテラン警部は、会議室でコーヒーをすすりながら、

 部下にぼそりと漏らした。


「この会社……本当に少し、おかしいな」


 ゆういちは器物損壊で書類送検されたが、

 初犯で反省の態度が見られたこと、

 被害額が軽微だったことから、勾留はされず在宅処分となった。


 ガラス修理代は、後日分割で支払うことになった。


 釈放された翌朝、ゆういちは新しいスリッパを片足だけ履き、

 もう片足は素足のまま、アパートへの道を歩いていた。

 雨は上がっていたが、地面はまだ冷たかった。


 空を見上げると、薄曇りの空の遥か彼方に、

 一瞬だけ、青白い光のようなものが瞬いた気がした。

 気のせいかもしれない。


 ゆういちは小さく息を吐き、独り言のように呟いた。


「……ひい爺ちゃん、俺、ちゃんと投げたよ」


 その声は、誰にも届かないまま、朝の街に溶けていった。


 しかし、この一件をきっかけに、そのIT企業の不正に関する捜査は、静かに、しかし確実に、広がり始めていた。



     番外編 



​ 事件から数ヶ月が経った。


 IT企業の不正は、ゆういちが投げた「音声データ」という小石が引き起こした波紋によって、芋づる式に暴かれた。

 

 経営陣は退陣し、ゆういちの身の潔白も公に証明されたが、彼は元の会社に戻ることはしなかった。


​ 今の彼は、あのガード下の居酒屋でアルバイトをしながら、ゆっくりと次の「遊泳先」を探している。


​「佐藤くん、これ。警察から届いたよ」

 店主が差し出したのは、茶色の封筒と、ビニール袋に入れられた「証拠品」の返還通知だった。


 中に入っていたのは、あの日、彼がビルのガラスに投げつけた、じいちゃんの形見の革靴だ。

 器物損壊の証拠品としての役目を終えたその靴は、以前よりもさらにくたびれ、泥に汚れているように見えた。


​「……おかえり、ひい爺ちゃん」

​ ゆういちはカウンターの隅で袋を開け、靴を取り出した。


 ふと、手に違和感を覚える。


 かかとのすり減った溝に、何か、細かな粒子がぎっしりと詰まっていた。

 東京の泥でも、アスファルトの欠片でもない。


 それは、街灯の光を反射して、まるで意志を持っているかのように自ら発光する**「銀色の砂」**だった。

 指先で触れると、ほんのりと温かい。


 その砂は、ゆういちの指が触れた瞬間、微かな電子音のような音を立ててサラサラと崩れ、彼の掌の上で小さな星座を描いた。


​『感謝します、親愛なるクマゴロウの血を引く者よ』


​ 一瞬、耳鳴りのような、あるいは懐かしい誰かの笑い声のような響きが頭をよぎった。

 あの日、曾祖父が宇宙人のバグを直したときに付着したのか。

 それとも、ゆういちが「投げた」瞬間に、銀河の誰かがエールを送ったのか。


​ ゆういちは、店主に気づかれないようにそっと微笑み、その銀色の砂を大切にポケットにしまった。

 外はまた雨が降り始めていたが、今のゆういちには、予備の靴なんて必要なかった。


 ポケットの中の小さな銀河が、次に歩むべき道を、静かに、まぶしく照らしていた。


  完



宇宙人の 独り言


​​『……聞こえるか、クマゴロウの血を引く者よ。


​もし、あの「聖者」がこの結末を知れば、きっと真っ赤な顔でスナックの机を叩き、こう豪語するに違いない。


「おう、全部俺のクツのおかげだ! 銀河だって俺が直したんだ!」とな。


​そしてママという名の地球人は、またその話か、と呆れた顔で冷めた水割りを出すのだろう。


​……フフフッ。


やはり、あの星のバグを叩き直すには、それくらいの「見栄」と「嘘のなさ」がちょうどいい。』


クマゴロウ!
(至高の救済を!)





     あとがき


 ​最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 スマートで、効率的で、冷ややかな時代。私はあえて「ダサい」物語を書きたかった。

 ​酔っ払いのじいちゃんのデタラメを信じて、現代のビルに向かって靴を投げる。

 効率もロジックも無視したこの結末は正に「汚れなきパンクロック」です。笑


かつての昭和にあった、根拠のない「大丈夫だ」という温かなカオス。

この物語の真っ直ぐすぎて、ほど良く歪(ひず) んだ音階が、あなたの心に小気味よい風を吹かせたなら幸いです。


普段は、今日のお話とは少し違った「心に寄り添う物語」を書いています。
もしよろしければ、雨宿りのついでにこちらも覗いてみてください。

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