フル生成AI小説、あなたはお金を出して買う?買わない?|書籍化ログ(生成AI/小説/ライトノベル/創作/エッセイ)
こんにちは。こんばんは。
普段はライトノベルを書いている“うら表紙”と申します。
この記事は、昨日の続きのような内容になります。
AI小説が文学賞の選考を席巻した今、私たち「書き手」に残された領域はどこにあるのか。
昨日の記事ではその「領域」について考えましたが、今回は少し視点を変えて、「読む側の価値観」について問いかけてみたいと思います。
創作に関心のある方は、昨日の記事と併せて読んでいただけると分かりやすいかもしれません。
今回は、かなりシンプルな疑問です。
創作に関わる人の多くは、同時に読書好きでもあると思います。
そこで、一人の読者として想像してみてください。
読者にとって、エンターテインメントは「面白ければAI製でもOK」なのでしょうか?
もっと言うと、
「AIが書いたと分かっている面白い作品」に、
私たちはお金を払って書籍(物理本)を買うのでしょうか?
たとえば、昨日紹介した「星新一賞」のように、AI作品が文学賞を受賞し、
それが書籍化されたとします。
その「無名のAI作品」を、あなたはレジに持っていくのでしょうか。
小説に限らず、漫画も音楽も、芸術も同じです。
正直なところ、私は未だに答えが出せずにいます。
私は『鬼灯の冷徹』を描かれた江口夏実先生の作品が大好きで、単行本もすべて紙で持っています。もし仮に、江口先生の新作が「100%AI生成です」と発表されたとしても……私はきっと、買ってしまう気がするのです。
中身が面白いことは大前提ですが、江口先生ご本人の許可を得て、あの唯一無二のイラストタッチやシュールな視点を学習したAIが生成したのなら、それは「先生の表現の延長線上」にあると感じてしまうからです。
けれど、それは「江口夏実」という作家が積み上げてきた、確固たる信頼とブランドという前提があるからこその話です。
では、その前提がない場合はどうでしょうか。
まったくの無名で、100%AIが生成した作品だったら…。
ここが一番難しいところです。
私はほぼ無名に近い作家です。
だからこそ、この変化には正直なところ、静かな怖さも感じています。
AIを使えば、短期間で大量の物語を生成できる時代になりました。
しかもそれは、すでに数年前の話です。
今ならもっと速く、もっと多く自動筆記で作れてしまうでしょう。
では、その中で生まれる
「人の介入がほとんどない無名の生成物」に、お金を払う人はどれくらいいるのでしょうか。
・面白いから1,600円で一冊買う
・無料なら読むけれど、お金は払わない
・どれだけ面白くても、人が書いていないものには払いたくない
おそらくこれからは、こうした価値観が混ざり合ったまま日常になっていきます。
巷には「面白いけれど100%AI製のコンテンツ」が溢れかえっていくでしょう。
これまで私たちは、創作物が「苦労して産み出されるもの」であることを前提としてきました。
しかしAIによって、その前提は崩れ始めています。
創作コストが限りなくゼロに近づいたとき、
私たちは何にお金を払うのでしょうか。
また、生成AIを用いた作品が賞を獲ったとき、それを社会はどう評価するのでしょうか。
・物語を生み出す創作力なのか
・AIを扱うプロンプト設計の技術力なのか
仕事として評価され、対価が支払われる対象がどちらに移っていくのか。
その線引きは、今この瞬間も曖昧なままです。
今回の話は、単なる技術の話ではありません。
「創作にお金を払う理由そのものが変わるかもしれない」
そんな転換点の話だと思っています。
最後に、一つだけ。
純粋な読み手として、
そして、コンテンツに対価を払う消費者として、
あなたは、面白いけれど100%AIが書いた小説に、お金を払いますか。
率直な感想を、ぜひ伺ってみたいです。
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また次回の投稿でお会いしましょう。
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