それでも好き勝手に書いていく。noteは提携で変わってしまうの?|書籍化ログ(AI/創作/エッセイ/メンタル)
最近、私はnoteを書くのが楽しくてたまらない。
その楽しさが本業を上回りけていて、ちょっと困るくらいだ。
「え?“スキ”あまりついてないのに!?」
とか思ったことでしょう。
確かにそうなんですが、
・ダッシュボードを見れば読まれていることがわかる。サイコー
・コメントがけっこういただける。サイコー
・なぜかわからないけど「ゲストユーザーさん」がよく記事を買ってくれる。感謝!!
(検索で一次情報として評価されているのか、見つけてもらいやすいのかも)
こんなこと、小説投稿サイトではまず考えられない。
自由に書いても読んでいただけるnoteの世界は本当に夢のようだ。
だから、note×KADOKAWA提携のニュースを見た時、
私は正直、凍りついてしまった。
「これ…はじまるかもしれない」って。
――noteのカクヨム化。
web小説を投稿して、そこから書籍化している身としては、
今のなろうのランキングやカクヨムの状態って、
なかなか心にくるものがある。
※なろう=小説家になろう
なろうでは「書籍化」を騙るAI作品が上位を席巻している、
なんて暴露めいたポストも話題になったばかりだし。
でも、noteは違う。
web小説みたいにランキングはないし、
そこがいいところ。
他にもスキを誰かと共有できたり、
共感でアルゴリズムが組まれていたり、
競争とは無縁で、
小説投稿サイトとはまるで正反対の運用。
だから、小説投稿サイトみたいにはならないって思いたいけど…。
公式もKADOKAWAも「noteからの書籍化を増やす」って宣言してる。
これが私を
「地獄の蓋が開いたような」気持ちにさせるんだよね。
小説投稿サイトでは「書籍化」っていうゴールが提示された時に、
みんな同じ方向を向いてしまった。
・アルゴリズムをいち早くハックして、
・投稿の回転率を上げて
・読まれる型、離脱されない型に最適化する
結果、そういう個体しか生き残れなくて、
「多様性」はランキングの底に埋没してしまった。
さらに、収益性だけを見て、
AIという重機で「ランキング上位作品の型」を模倣・量産する人も増えた。
作品は読み手以上に溢れかえっている。
もはや、検索コストが高すぎて
古き良き物語を紡ぐ書き手が見つからない。
見つからないのか、もういないのかわからないけれど…。
私は今、
努力の方向性が「創作」じゃなくて
「最適化」に変わった小説投稿サイトに身を置いている。
そこはもう、自由な創作とはまったく別のゲームルールで動く世界。
だから、公式の「書籍化増やす宣言」は、
それがnoteでも起きてしまうんじゃないかって
どうしても身構えてしまうのよ。
小説投稿サイトが
「物語→カタルシス」に変質したように
noteでは
「多様性→共感エッセイ」になってしまうんじゃないかって…。
そして、皮肉なことに、
「エッセイ」はAIと相性が良すぎる。恐ろしいくらい。
生成は、物語よりもずっとラク。
今のAIはまだ長編になればなるほど物語に破綻が出ちゃう。
・設定を維持できない
・構造が維持できない
・因果関係が維持できない
・伏線が置けない&回収できない
だからまだ、人間が入る余地がある。
(※特別なプログラムを組まない場合)
でも、エッセイは違う。
人格さえ設計すれば、
“それっぽい人生”も“それっぽい感情”も
いくらでも「エモ」が生成できてしまう。
試しに作ってみた。
人格設定から文章の生成まで三分もかかってない。
* * * *
【自己紹介】50代バツイチ二児の母、お母さん卒業しました
シンクの中に、ポツンと置かれたマグカップがひとつ。
かつて、ここには溢れんばかりの食器があった。
部活帰りの息子たちが泥だらけで帰ってきて、炊飯器は一日二回空になり、私はただ「母親」という役割をこなすためのマシーンだった気がする。
でも、先週、下の息子が一人暮らしのために家を出た。
嵐が去った後のような静けさの中で、私は今、人生で初めて「自分のためだけのコーヒー」を淹れている。
(中略)
50代、ここからが「私の本番」
「もう50代」なのか、「まだ50代」なのか。
鏡に映る目尻のシワは、戦ってきた証。
これからは、誰かの母親としてではなく、一人の女性として、名前で呼ばれる場所を増やしていきたい。
ずっとやりたかった陶芸を始めてみようか。
それとも、何十年ぶりかに一人旅に出てみようか。
「お母さん」を卒業した私のキャンバスは、今、真っ白だ。
何色で描いてもいい。
ゆっくりと、私らしい筆跡で、これからの日々を綴っていこうと思う。
* * * *
これはごっそり削ってるけど、
本文は正直、嫌になるくらい“読めるもの”が出た。
こんなのが「たった数秒」で出力できてしまう。
これをテーマごとに生成したら?
・自分へのご褒美
・ふとした孤独
・過去の後悔と再出発
生々しさを出すなら
・聞きたいようで聞きたくない息子の恋愛事情
・息子の前髪切り過ぎた
いくらでも回せる。
テーマすらAI任せでもいいくらい。
そしてnoteは「共感」が評価軸……。
そこから逆算すると、書籍化の選考もきっと、
・共感性が高い
・コミュニティの熱量が高い
・集客力がある
ってなる可能性……高いんじゃないかな。
だから、やっぱり嫌な予感がしてしまうのだ。
尖った感性よりも
最大公約数的な「共感」がスコアを稼いでしまった時、
そこに書き手とAIが殺到する地獄を。
ちゃんと時間をかけて書く人。
尖った視点を持つ人。
個性や多様性がある人。
生きた言葉を書いてる人たちが、
投稿頻度や最大公約数的な「共感」に埋もれて、
アルゴリズムに拾われなくなってしまう未来を。
その瞬間を、ここでまた見てしまうんじゃないかって、
それがとても怖い。
綺麗ごとなら
「それでも本物は残る」なんて言える。
でも、それは“残る側”の理屈なんよ。
埋もれる側の現実は、そんなに優しくない。
埋もれたくなくてあがくにも「技術」がいる。
そう、「創作」じゃなくて「技術」。
ゲームルールが変わるとそうなっちゃう。
「創作」は負けていく。
でも私は、こっちではきっと最適化できない。
こうして生身の自分をむき出しにしている限り、
最大公約数的な“共感性のある”ものは
はみ出し者の私からは出しようがないから。
今回ばかりはこんな予想、当たってほしくないなぁーって思いながら、
試しに作ったお母さんをAIから消しました。
noteがどうなるかは、まだわからないけど、
たぶん私は、このまま書く。それだけは変えないと思う。
だからこそ、この場所がどうなるのか、ちゃんと見ていたい。
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