私だけの聖なる時間 ── ブラーフマムフールタに起きると
※これは「わたしのディナチャリア」シリーズの一篇です。ディナチャリアって何?という方は、まずこちら →
※アーユルヴェーダを知らない人にこそ読んでほしい連載です。カタカナは意味を都度そえるので、わからなければ飛ばして、気楽にどうぞ。
白湯の話でも、聖杯(朝イチの水)の話でも、わたしは同じ一行を書いてきました。
「これ全部、夜明け前の静かな時間にやっています」と。
今日は、その"夜明け前"の話。じつはこれが、いちばん書きたかったことかもしれません。
はじまりは、早起きじゃなくて早寝だった
わたしは「よし、早起きするぞ」と気合いを入れたわけじゃないんです。
アーユルヴェーダを学んでから、パートナーと二人、健康のため早く寝ることを意識するようにしたんです。(9時には床につくようにしてます。)
もともと、朝の早い仕事をしているのもあって、寝るのが早くなっていった。そうしたら——朝は、勝手に早くなったんです
早起きの前に、まず早寝。順番はいつもこっち。
無理して起きるんじゃなくて、夜を整えたら朝がついてきた。
これがいちばん、簡単で、続く理由だと思います。
ブラーフマムフールタ、という時間
夜明け前のことを、アーユルヴェーダではブラーフマムフールタと呼びます。舌を噛みそうな名前ですよね(笑)。
ブラフマー=創造の神、あるいは真理。ムフールタ=時間の単位。
あわせて「聖なる時間」。
夜明けのおよそ1時間半前、だいたい午前4〜6時ごろを指します。
一日にはドーシャの流れがあって、夜明け前はヴァータ(軽さ・クリアさ)の時間で、6時を過ぎるとカファ(重さ)の時間に入っていく。
カファが重くなりやすいわたしには、「重くなる前に起きる」のが、地味だけど効く小さな工夫なんです。
完全にひとりなのに、1人じゃない
わたしがこの時間を愛している理由は、もっと感覚的なところにあります。
夜が明ける前。いちばんいいのは外に出ること。
でも、部屋の中でも大丈夫。
鳥もまだ起きていなくて、世界がしんと静まりかえっている。
完全にひとり。なのに、1人じゃない。
なんていうか——頭のてっぺん、アーユルヴェーダでいうアディパティ・マルマ(頭頂のエネルギーの急所)が、まだ漆黒の空の、ずっと上のほうと繋がっている感覚があるんです。
聴覚も、触覚も、視覚も、思考も、すごく研ぎ澄まされている。
目は開けているのに、自分の内側を静かにのぞき込んでいるような、深い集中。
※ただし、これは自分の状態にもよります。毎朝こうなるわけじゃない。
でも、こんなふうに迎えられた朝は、本当に気分よく一日が始まるんです。
どうやって起きてる?
目覚まし時計は、ほとんど使いません。自然に目が覚める。
起きられない日もあります。そんなときは「ああ、疲れてたんだね。私。」と思うことにしています。自分を責めない。
体が休みたがっているんだなと、そっと甘やかす。
……まあ、遅い時間に起きてしまった日は、その後が地獄です(笑)。
超特急で朝のディナチャリアを駆け抜けるので、目が血走っています。
神聖な時間もなにもあったもんじゃない。
わたしだけの、聖なる時間
それでもわたしが早起きを手放さないのは、これがわたしだけの聖なる時間だから。
この時間を邪魔するやつのことは、マジで恨みます(笑)。
それくらい、大事だと思う。
……とか言っておきながら。
毎朝容赦なくわたしの聖なる時間を邪魔してくる張本人は、うちのニャーなんですけどね。可愛いから憎めない。でも、本当に邪魔(笑)。
漆黒の空と繋がってる神聖な瞬間に、足元で「ごはん」とか言われると、さすがにマルマも途切れます。
遅くまで寝てしまうと、頭は回らない。一日中ぼんやりしてしまう(これはヨガをサボった日も同じなんですが)。
そして何より——朝に余裕がないと、その日の主導権を自分で握れないまま、一日が過ぎていってしまうんです。
早起きは、健康法というより、自分の一日を自分の手に取り戻すための時間。わたしにとっては、そういうものなんだと思います。
明日もし、誰よりも早く目が覚めたらチャンスです。
二度寝する前に、そっとベランダに出てみて。
鳥もまだ眠っている、あなただけの聖なる時間が、待っているかもしれません。
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