聖杯(朝イチの水)
※これは「わたしのディナチャリア」シリーズの一篇です。ディナチャリアって何?という方は、まずこちら →
※アーユルヴェーダを知らない人にこそ読んでほしい連載です。カタカナは意味を都度そえるので、わからなければ飛ばして、気楽にどうぞ。
前回の白湯の話で「朝起きてまず白湯、じゃないんです」と書きました。じゃあ、わたしが朝いちばん最初に口にするものは何か。
それが、一杯のお水です。
非常に地味です。(笑)
でもわたしにとって、この朝イチの一杯はちょっとした「聖杯」なんです。
朝の水には、名前がある
アーユルヴェーダでは、夜明けにお水を飲むことをウシャパーナと呼びます。ウシャ=夜明け、パーナ=飲む。ちゃんと名前がついているくらい、大事にされてきた習慣なんです。
古典では、銅の器に一晩おいたお水を、太陽が昇る前にいただくのが良いとされてきました。
なんだか、儀式みたいでわくわくしませんか。
なぜ、起きてすぐの一杯なのか
寝ている間、体の中は意外と忙しい。汗をかいて、修復して、けっこう水分を使っています。朝起きたときの体は、思っているより乾いているんです。
そこへ、まず一杯。
このお水が、眠っている腸をやさしく起こしてくれる。
たまったものを流す準備をして、これから始まる一日の消化の火(アグニ)に「そろそろだよ」と声をかけてくれる。
アーユルヴェーダ的には、デトックスのいちばん最初のスイッチがこの一杯、というわけです。
わたしの実感──正直、効きます
わたし、実はアーユルヴェーダ生活を始めてから、いちどしっかり便秘になりまして(笑)(その立て直し作戦は番外編に書きました)。
そのとき頼りになったのが、この朝の水。
一杯だったのをいまは二杯に増やしています。
朝、お水が体にすうっと入っていく感覚。
胃から腸まで染み渡って体が始動し始める。
難しい理屈より先に「あ、今日も体が動き出した」って思える。
だから続いているんだと思います。
続く理由は、いつだって「気持ちいいから」。
ルールだからでも、正しいからでもなく。
わたしの聖杯のつくりかた
種明かしをすると、わたしの聖杯にはちょっとした仕込みがあります。
前の日、鉄瓶で沸かした白湯を水筒に入れると、ちょうどコップなみなみ一杯分余ります。それを、熱々のまま銅のコップに注ぐ。

これがね、すごくいいんです。
銅の器は、アーユルヴェーダでは昔から「お水を浄める」とされてきた古典そのもの。一晩おくあいだに、朝にはちょうどいい常温になって、私の聖杯ができあがっています。
そしてデーツをひとかじり。
デーツは、アーユルヴェーダでは元気のもと(オージャス)を増やしてくれる果実。
便秘にもやさしいので、わたしの「出す力」立て直しの、こっそりした相棒でもあります(笑)。
前の日の白湯の余りが、翌朝の聖杯になる。なんだか、捨てるところがなくて気持ちいい。
※「朝の水って、白湯のこと?」とよく聞かれます。
じつは、ちょっと違うんです。
白湯は「沸かして温かいまま飲む」こと──温度と作り方の習慣。
ウシャパーナは「夜明けに水を飲む」こと──タイミングの習慣。
軸がちがうんですね。
わたしの聖杯は、前夜の白湯を銅のコップで一晩おいたもの。
沸かした水だけど、朝には常温。
ちょうど白湯とウシャパーナの真ん中にいる一杯なんです。
ひとつだけ、わたしのこだわり
冷たいお水ではなく、常温で飲むこと。
キンと冷えたお水は、起きたての体にはちょっと刺激が強い。
せっかく温めたい朝に、内側から冷やしてしまう。
だから、わたしの聖杯にはいつも常温のお水。
これだけは、ゆずれないんです。
そしてこの一杯も、夜明け前の静かな時間に飲んでいます。
アーユルヴェーダでいうブラーフマムフールタ。
なぜそんな時間に起きているのかは……また別の回で(笑)。
朝イチの一杯。たったそれだけ。
お金もかからないし、今日からできる。忘れた日があってもいい。
でも、もし朝なんだか体が重いなと思ったら、まず一杯のお水から。
わたしの一日は、いつもこの聖杯から始まります。
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