【回復の記録㉑】限界だったことに気付かなかった|苦しいことが普通だった
回復の記録|鎧を脱ぎ、愛へ還るまで 21話目。
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回復の記録⑳ 覚えていない言葉 | 父だけが忘れていた呪い
BGMを流しながらどうぞ。
過去の私は、とても苦しかった。
ただ、その苦しさを誰かに説明する言葉を持っていなかった。
言葉にしても、うまく伝わらなかった。
誰にも届かなかった。
だから少しずつ、
自分の感覚を閉じていった。
苦しい。寂しい。助けてほしい。
なのに、
そういう声よりも先に、
言っても無駄
が出るようになった。
気付けば、苦しいことが当たり前になっていた。
限界も、疲労も、寂しさも。
それが普通で、当たり前だった。
だから回復してきてから気づいた。
あの頃の私は、
思っていたよりずっと苦しかったのだと。
ネットでもリアルでも、声の大きな人は目立つ。
意見も届きやすい。助けも集まりやすい。
だから時々、勘違いしそうになる。
困っている人とは、
「困っています」と言える人なのだと。
でも本当にそうだろうか。
私はむしろ逆なのではないかと思っている。

本当に苦しい人は、「苦しい」と言えない。
何が苦しいのか説明できない。
助けを求める言葉を持っていない。
自分が傷ついていることにすら気付いていない。
あるいは、伝えることを諦めてしまっている。
ただ毎日をやり過ごすことだけで精一杯になっている。
かつての私は、そちら側にいた。
ただただ、生きることに必死だった。

今振り返ると、あれは十分に限界だったと思う。
でも限界にいる人間は、案外そのことに気付けない。
余裕がないから。
余裕がない人は考えられない。
考えられない人は言葉にできない。
言葉にできない人は助けを求められない。
だから本当に困っている人ほど、静かになる。
そして静かな人ほど見落とされる。
声が聞こえないから。
でも聞こえないことと、苦しくないことは違う。
声にならない場所にも、人はいる。
言葉になる前の苦しみも、確かに、存在している。
擦り切れていて、ボロボロになっていた。
でも当時の私は、それを知らなかった。
みんなも同じように生きているのだと思っていた。
朝起きて、働いて、疲れて、よく眠れないけど、仕方なく眠る。
心も身体も常に重く、つらくてしんどいのが当たり前だと思っていた。
ただ毎日をこなしていた。
ある日、夫と出会い、静かな生活があることを知った。
食事を見直した。
整体や鍼灸に通った。
noteを書き始めた。
イラストや音楽も作り始めた。
そうやって少しずつ、自分を取り戻してきた。
生活が少しずつ整い始めた。
やっと、回復してきた。

だから今なら分かる。
本当に苦しい人は、「苦しい」と言えないことがある。
言葉がないのではなく、言葉にする余裕がない。
助けを求めないのではなく、助けを求めるという発想そのものが浮かばない。
あるいは、言葉にしても届かない経験を重ねて、
伝えることを諦めてしまうこともある。
かつての私がそうだったから。
だから最近は、声の大きな場所よりも、声にならない場所のことを考えている。
見えているものだけが全てではない。
聞こえているものだけが全てではない。
言葉になる前の苦しみも、確かに存在している。
この記録は、何かを教えるためのものではない。
ただ、少しずつ回復してきた一人の人間が、その過程を残しているだけ─。
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回復の記録㉒ 見えない傷 | 私は、片手片足で生きていた
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