見出し画像

[雑記帳] 26.03 揺さぶられて

もう十五年経つのか。あの日、それまでの価値観が揺さぶられて、この先どうしていけば良いのかわからなくなった。三月十一日。正確にはこの日ではなく、しばらくしてからではあったが。

あの日は私の職場もかつて経験のないほど揺れた。大きな業務用コピー機がフロアの端から端まで走ったのだから。ただ、その時点ではまさかあれほどの被害とは思わず、電車が止まっているけれど明日のドイツ語クラス(当時、土曜日はドイツ語を習いに行っていた)はあるんだろうか、あるとしたらどういう経路で移動しようか、とりあえず今日は職場に泊まることになるかもしれないからここで予習をしておく必要があるか、などと悠長なことを考えていたくらいである。

しかし、翌日のドイツ語クラスは当然であるが休講となり、だんだんと被害の大きさも報じられ、とんでもないことが起こった、と悟る。しかも原発が事故を起こしたと判明し、そのうち計画停電なども始まり、街は暗くなっていった。現代の理工系の研究の多くは、電気がなければ意味を成さない。私の研究分野もしかり。私は一体何を研究してきたのだろうか。この災害を前にして、誰をも救えないではないか。このまま、理工系の研究者として生きていって良いのか。価値観が揺さぶられた。淡々と仕事を続けてはいたが、この後しばらく人知れず思い悩むことになる。

どのくらいの時が経っただろうか、それでもやはり何かしらの意味はあるだろう、と思えるようになってきた。大災害のその時には何もできないかもしれないが、日常を支える足しにはなる。いつでもどこでも無敵なものなんてないのだ。

ところが、再び私の価値観は揺らぐ。コロナ禍だ。多くの活動が滞り、教育もこれまで通りに継続することは難しくなり、身体的に、あるいは精神的に打撃を受けた人も多い。そうした中で、またもや考え込んでしまった。技術開発に意味はあるのか。もちろん医学を始め、様々な技術が対新型コロナとの戦いに、あるいはコロナ禍の中で人と会わずに活動を続けるために、そしてコロナ禍からの立ち直りに使われた。ただ、人々の傷ついた心を癒したのは、当初は不要不急と言われた音楽など芸術ではなかったか。さらに、私の研究分野はコロナ禍においては直接的な貢献が見えないものであったため、余計に無力感が大きかった。私の仕事に意味はあるのか。

それでも日常は回る。無力感に打ちのめされても、授業はしなければならず、学生に卒業研究をさせて世に送り出さねばならず、そうしながら自分の関わるこの分野の社会への貢献方法を考えるようになっていった。多様性への貢献をより考えるようにもなり、少しずつ新しい活動を始めたりもした。

しかし今また、私の価値観は揺さぶられている。過去の二度とは違い、ごく個人的な出来事によってである。この介護もどきの日々だ。多様性の尊重と言いながら、この資本主義社会においてはそれは時として社会の効率を下げるように見えることがある。なぜ、もう何も社会的に生産的なことはできない母の介助を、自分の仕事時間を削って行わなければならないのか、何の意味があるのか、という疑問が頭をもたげる。公的な立場では、未来ある若者も、死に向かって歩む老人も、それぞれが尊重されるべきひとりの人間である、と考える。しかしいったんこの問題が自分の生活に入り込んだ時、多様性の尊重なんて机上の空論だったかと疑問をもってみたり、この程度のことで揺さぶられるなんて、私の考えなんてその程度の浅いものだったかと反省したり、とにかくぐらぐらになるのだ。

いつか、この揺れは収束するのだろうか。確固たる信念を持って歩けるようになるのだろうか。

いや、でも、お大師様も言っているそうではないか、悟りとは「どこまでも迷っていける」人間になることだと。この言葉を頼りに、迷い歩きをする日々がこれからも続くのかもしれない。迷っても、歩き続けることができるように、そう願う三月である。

(写真は十五年後の朝ご飯。こんな風にこんな場所で朝食を取る日が来るとは、予想していなかったなあ。)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集