[都市伝説的考察] 国号「日本」。1300年の改名の歴史。
私たちが当たり前のように呼んでいる「日本」。この漢字で「ニッポン」または「ニホン」と呼ぶのは何故でしょうか?中国語が大きく影響しているとの噂があります。
今回は、国号「日本」について深掘りしていきます。
1. 日本の国号
現在、私たちは「ニホン」とも「ニッポン」とも呼びますが、公式にどちらが正しいか法律で決まっているわけではありません。
国旗(日の丸)が正式に法制化されたのは1999年とごく最近ですが、国号としての「日本」のルーツは1300年以上前に遡ります。
海外、英語圏ではJapanですが、スペイン語ではハポン(Japón)、イタリア語ではジャッポーネ(Giappone)。これらすべての「J」や「G」の響きは、実は古代中国の「日本」の音読みにルーツがあります。
2. 国の呼び方
国の名前は通常、自称と他称の二面性を持ちます。国際的に「こう呼んでくれ」と指定しても、相手国の言語特性で変わるのが一般的です。
ドイツ:自称は「ドイチュラント」、英語は「ジャーマニー」、フランス語は「アルマーニュ」。
オランダ:自称は「ネーデルラント」、日本では一部の地方名に由来する「オランダ」が定着しています。
韓国:自称は「大韓民国(デハンミングッ)」。英語では、かつての王朝「高麗(コリョ)」に由来する「Korea」が定着しています。
その他、ギリシャの自称はエラス、ハンガリーの自称はマジャルなど、自称と他称が全く異なるケースも珍しくありません。
3. 「日本」
では、「日本」という国号は、いつ、どのように決まったのでしょうか。
聖徳太子は、隋の皇帝へ「日出づる処の天子」という言葉を添えて書状を送りました。「中国は沈む太陽=西」にあるが、「日本は昇る太陽=東」にある国だという主張です。これが「日本」のルーツだとされています。
天武天皇の意志を継ぎ、701年「大宝律令」により、「日本」が正式な国号として定められました。中国に対して蔑称を脱却し、対等な地位を得ようとしました。中国側の記録には「彼らは倭という名を嫌って日本に変えた」と記録されています。
その後、字は日本と書きながら、国内では長らく「ヤマト」と呼び続けていました。

4. 「大和」
「ヤマト」はもともと奈良盆地の一地方を指す地名であり、そこから興った政権の名称です。「日本」と呼ばれる前に使われていた名前ですが、正式に定められたという記録はありません。
「邪馬台国」と音は似ていますが、同一のものかどうかは現在も歴史学上の謎です。
当初の文字は「夜麻登」や「倭」が使われました。やがて文字だけを「和」「大倭」「大和」と進化させました。
5. 「倭国」
中国の『漢書』や『後漢書』には、「倭」という表現が登場します。これは「ヤマト」より古い時代から使われていましたが、対外国としては「倭」から「日本」へ変遷したこととなっています。
中国は、周辺民族を「東夷=東の野蛮人」などと呼んで差別していました。「従順」や「背が低い」という意味を含む「倭」が当てられました。
日本人が自分のことを「ワ(吾・我)」と呼ぶのを聞いた中国側が、あえてこの卑しい字を当てたという説が有力です。
当時の一般的な日本人たちにとって、自分たちの国がどう呼ばれているかは関係ありませんでした。もちろん、「倭」という言葉も知りませんでした。
6. 「JAPAN」
世界で通じる「JAPAN」の起源は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』にあります。
彼は日本に来たことはありませんでしたが、中国で聞いた日本の当時の読み「ジーペン(Zipen/Jippun)」を、自身の母国語風に「Zipangu(ジパング)」と記録しました。これが欧州で変化し、現在の「Japan」になりました。
また、13世紀頃、中国では日本を「ジーペン(Cippen)」と発音していました。それがマレー半島で「Japang」となり、ポルトガル商人を通じて欧州へ渡り「Japan」へと変化したという見方もあります。
つまり、世界のJapanは「中国が見た日本」の音なのです。
7. 神話と理想の別称たち
他に日本は、何と呼ばれていたのでしょう。
神話の時代、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)または葦原中国(あしはらのなかつくに)という名前がでてきます。葦原を豊かな稲穂の国へ変える。または、神々の住む天と、死者の住む黄泉の国と分けて、その「間」にある人間界を指します。
中国神話で東の果てにある巨大な神木のことを扶桑と呼びました。転じて日本を「扶桑」と呼んだと記録されています。
明治維新後、近代国家としての威信をかけ「大日本帝国」と呼んだ時代もありました。
8. 呼び方の変遷
「日本」と定められましたが、その呼び方は決められておらず、時代によって変化していきます。
最初は「ヒノモト」と呼びました。これは大和言葉のよる訓読みです。
中国文化が入り、音読みが広がると「ニチホン」と呼び始めます。ここが、今回の謎の答えです!詳細は「まとめ」項で説明します。
その後、奈良時代になると、より話し言葉で使いやすい「ニッポン」と変わっていきます。
そして、平安時代には優雅さを求める文化も合わさり「ニホン」と呼ぶようになります。意外にも「ニッポン」が先なんですね。
室町時代には「ニッポン」と「ニホン」が混在して使われていました。
江戸時代、キリシタン宣教師たちは「ニッポン」と記録しましたが、町民たちは「ニホン」と呼んでいたようです。
そして現在。法令での取り決めはなく、「ニッポン」と「ニホン」を上手くつかい分けていますよね。
9. まとめ
先述したように「ニチホン」と中国風に音読みし始めたのが、「ニッポン」と呼ぶキッカケでした。
7〜9世紀の唐の時代、当時の標準語では、「日本」を「ニィエット・プゥエン(Nyet-pwen)」 と読んだそうです。それを聞いた日本人は、「ヒノモト」から急激に「ニチホン」に変えてしまいます。
つまり「日本」という国号は、日本が名付けましたが、読み方は逆輸入したのです。
面白いことに、中国の標準語は、政権をとる民族により大きく変わっていきます。同じ「日本」でも「ジーペン」と読み始めるのです。
その頃に中国に接触した外国人たちは、「ジャパン」などと呼ぶようになるのです。
都市伝説ではなく、事実に辿り着いてしまいましたが、当時の人々が「日本」という国号にプライドを持ちながら、柔軟に外国の表現を取り入れた結果が分かりました。
