200名を見送ってきた相談員が伝えたい、「看取り介護」で大切なこと
「看取り」という言葉を聞いて、身構えてしまうご家族は多いと思います。「もう何もできない」「死を待つだけ」というイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
私はこれまで20年間、特別養護老人ホームの相談員、そしてケアマネとして、200名近くの方の最期に立ち会ってきました。その経験の中で感じるのは、看取りは「死を待つ時間」ではなく、「最期までその方らしく過ごしてもらうための時間」だということです。
今回は、看取り介護とは何か、ご家族にとって何が大切なのか、私が経験してきた実際のケースも交えながらお伝えできればと思います。少し長くなってしまいますが、お付き合いください。
看取り介護とは何か
看取り介護とは、回復が見込めない状態にある方に対して、無理な治療や延命処置を行わず、苦痛を和らげながら、穏やかな最期を迎えていただくためのケアです。
医療行為の中心ではなく、「治す」よりも「寄り添う」ことが軸になります。痛みや不快感を和らげながら、ご本人ができるだけ穏やかに過ごせるように、生活全体を整えていく。それが看取り介護です。
どこで看取るかという選択
看取りの場所には、大きく分けて3つの選択肢があります。
ひとつは、ご自宅での看取りです。住み慣れた場所で家族に囲まれて最期を迎えられる、というのが何よりの良さです。一方で、ご家族の介護負担は大きくなりますし、訪問診療や訪問看護との連携が欠かせません。
二つ目は、施設での看取りです。特別養護老人ホームや有料老人ホームなど、施設のスタッフがケアを担います。ご家族の負担は軽くなりますが、「ずっと施設に入ってもらって申し訳ない」と感じるご家族もいらっしゃいます。
三つ目は、病院での看取りです。医療的な対応がしっかり受けられる安心感はありますが、面会の時間が限られていたり、慌ただしい中でお別れとなってしまうこともあります。
どの場所が正解、ということはありません。ご本人の希望、ご家族の状況、医療的な必要性などを考えながら、その方に合った場所を選んでいくことが大切です。
中トロのお誕生会を開いた話
施設での看取りで、ご家族が「本当によかった」と振り返ってくださったケースを一つご紹介します。
ご家族にとても愛されていたお母様。入所された時から食事があまり進まず、少しずつ衰えていかれていました。娘さん二人とそのご家族、お孫さんたちは順番に週に2、3回は面会に来られ、私に「何かできることはないでしょうか」と何度も相談されていました。きっとご家族も、先が長くないことを感じ取られていたのだと思います。
やがて食事の拒否が強くなり、ほとんど口にできない状態になり、いよいよ看取りのお話に進みました。
その時、何かできないかとずっと考えていた私は、ご家族を施設にお招きして「お誕生会」を開くことにしました。ちょうどお誕生日が近かったこともあり、看護師、栄養士、介護士と相談しながら準備を進めました。お母様が大好きだったという中トロのお刺身を召し上がっていただこう、という計画です。
ご家族はとても喜ばれ、当日はお孫さんを含めて7名が集まってくださいました。ご家族に持ってきていただいた中トロを、栄養士がたたきにし、介護士たちが飾り付けをしてくれました。看護師も万一の時に備えて、しっかりと準備をしていました。
お孫さんたちが介助で中トロを口に運ぶと、ほとんど食事を拒否していたお母様が、ぱくっと召し上がられました。「おいしい」と一言。ご家族は涙を流して喜ばれていました。結局、5口も召し上がってくださって、誕生会は終わりました。
その後、お母様はほとんど食事を口にすることなく、2週間ほどでご逝去されました。
お部屋にはお誕生会の写真が飾られ、ご家族は許される限り、最期までそばで過ごされました。娘さんとお孫さんに見守られながら、お母様は静かに旅立たれました。
落ち着かれた頃にご家族と看取りを振り返りました。「お誕生会のことも、最期まで個室でそばにいられたことも、本当によかったです」とおっしゃっていただいたのを今でも覚えています。
特養での看取りであっても、ご家族にとって「その方らしく自然な形で見送れた」と思える最期は、確かにあるのです。
奥様と桜を見たお父様の話
もうひとつ、今度は在宅での看取りのケースをお話しさせてください。
ご夫婦お二人で暮らしていらっしゃったお父様。「最期は住み慣れた家で過ごしたい」というご希望に沿って、ケアマネである私と、訪問看護師、訪問介護員(ヘルパー)が連携しながら在宅でのケアを進めていました。
医療面は訪問診療や訪問看護師、日々の介護はヘルパーと奥様、困りごとの調整は私というように、それぞれの専門職が役割を担いながらお二人の暮らしを支える形でした。
ある日、奥様が私にこうおっしゃいました。「主人と毎年一緒に桜を見ていたんです。どうにか今年も見せてあげたいんだけど…」
ご自宅のすぐ横には公園があり、ちょうど桜が満開を迎えていました。私は訪問看護師とヘルパーに相談し、リクライニング車いすを使って公園までお連れすることにしました。
当日、ご本人を車いすに乗せて公園へ。お父様は、もうほとんど発語のない状態でしたが、満開の桜をじっと見上げて、微笑んでいるように見えました。奥様と並んで一緒に写真も撮りました。
それから1週間後、ご本人は住み慣れたご自宅で、奥様に見守られながら静かに旅立たれました。
落ち着かれた頃、奥様が涙ながらにこうおっしゃいました。
「毎年一緒に桜を見ていたから、最期に一緒に見られたことが、最高の思い出になりました。ありがとう。」
在宅での看取りには、ご家族の負担も覚悟も必要です。でも、訪問診療や訪問看護、訪問介護、ケアマネといった専門職が連携することで、ご本人の「最期まで家にいたい」という願いを支えることができます。そして、桜を一緒に見る時間のような、ご家族にとってかけがいのない時間を作ることもできるんです。
その方の歴史を、最期の時間に
施設でも在宅でも、看取りの形はそれぞれ違います。でも、2つのケースに共通していることがあります。
それは、ご本人がそれまで歩んでこられた人生や、ご家族と過ごしてきた時間が、最期のひとときに反映されているということです。
中トロが大好きだったお母様にとって、お誕生会の中トロはただの食事ではありませんでした。ご家族と過ごしてきた、たくさんの食卓の延長にある一口だったはずです。
毎年お二人で桜を見てきたご夫婦にとっての満開の桜も、ただの花見ではありません。長年連れ添ってこられた歴史そのものが、その光景の中にありました。
看取りの時間は、ただ最期を待つだけの時間ではありません。その方が大切にしてきたもの、ご家族と一緒に積み重ねてきた時間を、もう一度思い出し、形にすることができる時間でもあるんです。
「その人らしい最期」を、ご家族と専門職が一緒になって作っていく。それが看取り介護のひとつの大切な役割だと、私は思っています。
看取り期に起きる体の変化
看取りの時期に入ると、ご本人の体にいくつかの変化が現れます。これを知らないと、ご家族はその一つひとつに動揺してしまうことがあります。
たとえば、食事や水分が摂れなくなっていきます。眠っている時間が増えます。呼吸の仕方が変わったり、手足が冷たくなったりすることもあります。
これらは、自然な経過の一部です。「無理に食べさせなければ」「もっと水分を」と焦ってしまうご家族もいらっしゃいますが、体が自然に閉じていく過程の中で、ご本人にとっては苦しいことではないと言われています。
「これは自然な変化なんだ」と知っているだけで、ご家族の心の準備が変わってきます。
ご家族にできること
看取りの時期、ご家族から「自分は何をすればいいんでしょうか」「何かできることはないでしょうか」とよく聞かれます。
特別なことは必要ありません。そばにいる、声をかける、手を握る、好きだった音楽を流す、思い出話をする。それだけで十分です。
意識がはっきりしていないように見えても、聴覚は最期まで残ると言われています。ご家族の声は、きっとご本人に届いています。
看取りに正解はない
看取りに「これが正解」というものはありません。ご家族の数だけ、看取りの形があります。
施設での看取りでも、ご家族が「あの時間があってよかった」と思える最期になることはありますし、在宅で看取りたいという願いを、専門職と協力して叶えることもできます。
大切なのは、ご家族とご本人にとって「これでよかった」と思える時間を過ごせるかどうかです。
そして、看取りは亡くなった瞬間で終わりではありません。ご家族の心の中では、その後もずっと続いていきます。「もっとこうすればよかった」と後悔の気持ちが出てくることもあるでしょう。しかし、それも、その人を思うからこその感情です。
ご自身を責めず、ゆっくりと時間をかけて、ご本人との思い出を大切にしていただけたらと思います。
最後に
看取りは、ご本人にとって人生の最期の時間であると同時に、ご家族にとっても一生残る大切な時間です。
身構える必要はありません。完璧な看取りを目指す必要もありません。そばにいて、声をかけて、人生や歴史を振り返り、ご本人の最期の時間に寄り添う。それだけで、ご家族にしかできない大切な役割を果たしていることになるんです。
これから看取りの時期を迎えるご家族にとって、この記事が少しでも心の支えになれば嬉しいです。
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