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発達障害と診断がついた日──「知らなかった」という理由で、息子を苦しめていたこと

5歳。児童相談所での発達検査を経て、「不安があれば病院へ」と告げられた。

私は、前もって連絡を入れていた療育センターへ改めて電話をした。
検査結果の数字と内容を伝え、医師の診察を希望すると、ようやく予約の日が確定した。
あらかじめ連絡を入れていたおかげで、通常なら数ヶ月以上待つところを、2ヶ月ほどで診察に漕ぎつけることができた。

療育センターは自治体が運営する大きな施設で、設備も整っていた。
そこで医師の診察を3回、言語聴覚士(ST)のテスト、作業療法士(OT)のテストを受け……。
そして、その診断結果を告げられる日が、とうとうやってきた。

前夜は、さすがに緊張してよく眠れなかった。

何らかの診断は下りるだろう。けれど、そのあと私たちはどうなるのか。
「診断を受けることはマイナスに働く」という意見も、耳にすることがある。
けれど、受けなければその後の支援も療育も受けられないのではないか。

不安と迷いが交互に押し寄せ、暗闇の中で何度も寝返りを打った。
当日。緊張に包まれた診察室で、医師は静かに診断名を告げた。

「自閉スペクトラム症(ASD)と、注意欠陥多動性障害(ADHD)」

多動症については、覚悟していた。

赤ちゃんの頃からの激しい衝動性や、幼稚園で座っていられない様子を見ていれば、当然の結果だと思えたからだ。
けれど、「自閉症」という言葉には、正直に言って戸惑った。

え? 自閉症?
うちの子が?
こんなに目も合うし、コミュニケーションもしっかり取れるのに。

私の中にあった「自閉症=他者に心を閉ざしている」という古いイメージと、目の前の息子が、どうしても結びつかなかったのだ。

言語聴覚士さんの説明によると、息子は「相手の感情を読み取る」ことが極端に苦手らしい。
「激怒している」といった明快な感情は理解できても、「ちょっと困るな」「迷惑だな」といった、空気に漂うような曖昧な感情をキャッチできないのだという。

その説明を聞いた瞬間、パズルのピースがパチリとはまった。
集団の中で、なぜかひとりだけ空気が読めない行動を取っていたあの姿。
あれは性格やわがままではなく、「脳の特性」だったのだ。

私は、自閉症について何も知らなかった。
その「無知」のせいで、私は無意識に息子を追い詰め、叱らなくていい場面で声を荒らげていた。
息子を一番に理解し、守るべき立場にいるはずの私が、彼を苦しめていた。
その事実に、私は言葉にできないほどのショックを受けた。


「座らない」のではなく「座れない」

言語聴覚士さんの話を受けて息子を観察し直すと、多くのことに気づかされた。
息子は、ずっとべったり一緒に過ごしてきた私の感情だけは、微細な空気感まで敏感に察して動く。
だからこそ、私は彼の「感情読解の苦手さ」に気づけなかったのだ。

それが、接する回数の少ない他人や、情報量の多い大きな集団になると、途端にわからなくなる。
集団が苦手なのも、指示が通りにくいのも、彼にとっては「当たり前」の困難だったのだ。

さらに、作業療法士さんの説明には、目から鱗が落ちる思いだった。
「この子は体の筋肉の緊張(低緊張)が弱く、正しい姿勢を保ち続けることが物理的に難しいんです。
鉛筆やお箸が持ちにくいのも、そのせいです」

これは、全く予想だにしない指摘だった。
言われてみれば、幼稚園の先生から
「みんなが体育座りをしている時、息子さんだけ寝そべって聞いています」
と何度か報告を受けていた。

私も先生も、それを「不真面目だから」「めんどくさがっているから」だと思い込んでいたのだ。

医師は、私の話を静かに聞いた後、こう言った。

「お母さん。この子は、座らないのではなく、座れないんです」
「座れない子に無理やり姿勢を正させることは、本人にとって虐待に近いストレスになります。努力してもできないことを強要され続けたら、子供の心はどうなるでしょうか。

この子は、本当はとても真面目な気質です。決められたことは全部やりたいと思っている。でも、やっていないように見えるときは、どうか『できないんだな』と考えてあげてください」

「やらない」のではなく「できない」。
その言葉は、私の子育ての軸を根底から変えた。

診断を受けたら、悲しみで泣き崩れるものだと思っていた。
けれど、私の心を満たしたのは、悲しみよりも「恐怖」だった。

もし、私がこの子の特性を知らないまま、これからも「しつけ」という名目で彼を責め続けていたら。
私は、この子の心を簡単に壊してしまっていただろう。

今、知ることができてよかった。

この日は、私たち親子の人生を二分する、大きな分岐点となった。

過去の私へ。見落としていた息子のサイン

振り返れば、後悔の念ばかりが浮かんでくる。
息子はいつも、椅子にだらしなく座る子だった。
私は「行儀が悪い」と、何度も厳しく注意してきた。

あの子が、座りたくても座れない可能性なんて、1ミリも考えていなかった。
周りから「しつけができていない親だ」と思われたくない。
自分の世間体ばかりを気にして、息子の小さなSOSを見ようとしていなかった。

あの時、注意された息子は、どんな顔をしていただろう。
怒った顔も、泣いた顔も、はっきりとは思い出せない。
明るく振る舞う彼に、私は甘えていたのだ。

幼稚園で下駄箱に靴をしまえなかったのも、先生にやさぐれた態度を取ったのも、
すべては「できる前提」で求められ続けたことへの、彼なりの悲鳴だったのかもしれない。

「注意欠陥」は、気をつければ治るものではない。
本当に、物理的に、「できない」のだ。
「知らなかった」という理由は、あまりにも残酷だ。

親である私が、知識という武器を持たなかったせいで、息子は一人で戦場に立たされていた。

ごめんね。
もう、あなたを一人にはしない。

私はこの日、何があってもこの子の「特性」を理解し、盾になると心に決めた。

この記事の続き(おすすめ)
「知らなかった」という後悔を抱えながらも、私はそこから一歩踏み出し、息子の特性と向き合うための「戦略」を学び始めました。無意味だと思っていた療育が、本当の意味で私の「武器」になった日の記録です。
▶︎ 「これ、何の意味があるの?」——無意味だと思っていた療育が、線でつながった日


▶︎ 幼稚園や習い事先に“交渉に回った日”

あわせて読んでほしいエピソード

診断という名の「答え」をもらうまで、私は息子の激しさにただ翻弄されていました。あの日、公園で彼が見せた驚異の身体能力。それは、脳が必死に求めていた刺激の正体だったのです。


この連載のバックナンバーは、こちらのマガジンにまとめています。


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