夜のブランコ 8
子ども達が帰ったあと、紘子は教室で自分の作業を進めていた。
小学校教諭になって最初の生徒が卒業した日、「六年間頑張ったなあ。」と思いながら生徒が黒板に書いて行ったお別れの言葉を思い出しながら、あの子達も今年中学三年生なのだと改めて思った。
子ども達は、いつまでも子どものままで居られない。よく遊んで、よく食べて、よく勉強して、よく寝ているとあっという間にオトナに近い年齢になってしまう。
年齢が進んだからと言って全員が同じ日にオトナになるわけではないけれど
いつか、
「紘子先生。私、先生に憧れて先生になろうと決めたんです。」
なあんて、言ってくれる教え子が遊びに来てくれはしないかと内心思っている。
そのまま教室で持ってきた菓子パンを食べてお昼ごはんとし、授業の準備や4月の終わりの遠足の下調べをして時間はすぐに四時過ぎになった。
下校の鐘がなる。
校内から子ども達は居なくなり、紘子も少し早いが帰りの準備をした。
一度職員室に顔を出し、「上がります。お先に失礼します。」と声をかけた。
帰るとなると、頭の中が少し入れ替わる。
今朝、志野に仕事帰り「そのん」に寄ってコーヒーを挽いてきて欲しいと言われたことを思い出し、ついでに一杯コーヒーを飲んでいこうと車を向けた。
「そのん」の駐車場に車を停めて入り口に行くと、例の三人組の一人がマスターと話込んでいた。
カラン、カランと小さな鐘の音を鳴らしながらドアを開ける。
マスターと大学生が紘子を見た。
「いらっしゃい。」
と、マスターの声がする。
紘子はコーヒーをホットで注文し、そのんオリジナルブレンドの豆を100g挽いてくださいと頼んでいつもの席に移動した。
注文するとすぐにマスターは一杯分に必要なお湯を沸かしはじめる。
お湯が沸くのを待つ間に豆を挽きネルにセットして、コーヒーを淹れてくれる。
店の中がコーヒーの香りで満たされる。
喫茶店の香りだ。
こぽこぽとか
かぽかぽとか
ちゃぷんとか
かわいらしい音がして、温められたカップにコーヒーが注がれる音がする。
「もうすぐかな?」
いつも、待ち遠しい。
厨房と客席を分けている小さなドアからマスターが出て来たら、もうまもなく紘子の下へコーヒーが運ばれて来る。
「どうぞ。ごゆっくり。お帰りまでに100g挽いておきます。」
必要以上のことは話さない。
大学生達とは話をしているのに。
ま、常連と言っても週に一、二度だから仕方ないか。
ほんわりと湯気の立つカップの中のコーヒーから華やかな香りがして紘子の今日一日の仕事が終わったと、教えてくれる。
「おつかれさま。」
紘子はコーヒーを飲んだ。
「ねえねえ。マスター、マスターはあのお姉さんのことどう思ってるん?」
「ど、ど、どうって。」
そのんにたむろする大学生は昔から青葉町に住む同級生だ。小学校は西小学校、中学は一校しかないので青葉中学校、高校は仲良く藤野川高校を選び今は別々の大学に通っている。
学校が早く終わるとよほど地元が好きなのか、そのんで待ち合わせしていつもくだらないことを話している。
一人は戸梶和也。
青葉町の人なら誰でも行く「スーパーマーケットすずや」の青果売場で高校の頃からアルバイトしている。犬が大の苦手なのに最近祖母の気まぐれで飼い始めた大型犬をどうにか手なずけようと必死だ。
今日はアルバイトが忙しいのかそのんにはいない。
もう一人は高橋光一。
本当は頭の出来がよいのにめんどくさがりで、勉強らしい勉強もせずに高校に上がり、やりたいことがないから大学に行くというサボりの天才だ。いつでも腹八分目で世捨て人みたいな生活をしている。何か探せばきっと成長出来る人間なのに。
最後に、今そのんのマスターと話込んでいる、潮田信。
人懐っこく、誰の懐にも入っていける人タラシだ。ベタベタした関係は好きではなく誰とでも仲が良いが、深入りはしない。和也と光一以外との長い友人の他は電話番号も住所も、使っている駅の名前すら誰にも話をしない秘密主義のモテ男くんだ。言い寄って来るオンナノコもいるのに話はするが、相手にはしない。
そんな信が気がついた、そのんのマスターのほのかな恋心。普段は口も効かないで黙ってコーヒーを淹れ、黙ってお客に出し、お金のやり取りをして最後にようやく、「ありがとうございました。」と言うだけのマスターが、
「どうぞ、ごゆっくり。」とか
「アイスにしますか?ホットにしますか?」とか
「また、どうぞ。」とか
「ご用意しておきます。」とか
聞いたことのない言葉を発する。
信は今日こそマスターの夢見心地な発言を聞き出そうとワクワクしながらそのんに来たのだった。
和也は今日はアルバイトだし、光一は彼女と映画を観に行くと言っていたので二人は来ない。
「よし!今日こそ!」と、
明日から授業の始まる大学生は張りきってやってきたのだ。
つづく
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