Hameln 3
来るっ!
ドアを開ける前にテーブルの下に隠れなければ。俊敏に体を動かして移動しようとした時床に落ちていた紙切れを踏んづけた。
カサっ
夜中のキッチンに踏んづけた紙が音を立てた。それでも頭の中の警報音に従ってテーブルの下にもぐりこんだ。
今日も付き合いとかで飲んで来たのだとわかっていた。もう何日も顔をあわせていないから、見つかったが最後ぼこぼこの血だらけにされるまでやられるのが目に見えている。
機嫌がいいのか鼻歌を歌いながら冷蔵庫からペットボトルの水を出しラッパ飲みしている。ボタボタと滴をたらして。
半分くらい残っていたペットボトルの水はさらに半分くらい床にこぼれてぼくの隠れているテーブルのそばに落ちて来る。
こいつは気がついている。
ぼくがここにいることを。
わかっていて、「さあやるぞ、今夜こそおまえを捕まえて思う存分殴り倒してやる」そう宣言してるのだ。ペットボトルを口から離しわずかに残っていた水をぼくの目の前にわざわざ溢し、ペットボトルをどこかへ放った。
カタん、ことことん。
「なんだよ、嫌になるなあ。
俺んチにはきったねえ野良猫が入ってくんのかよ。」
テーブルの下を覗き込み、アイツが言った。
野良猫と呼ぶなら野良猫らしく闘うまでだ。
Tシャツの伸び切った襟を掴まれテーブルの下から引きずり出され何発か続けて腹を殴られた。倒されて、馬乗りになり床に頭を打ち付けられ気が遠退いた。
「つまんねえなあ。
もう、目え回しちまって。
母ちゃん、守るんだろ?俺はいいぜ。
おまえがここで伸び切ってるうちに、おまえの大事な母ちゃんをそこらへんの包丁で滅多刺ししちまうからな。」
流しの下の戸を開けてアイツが包丁を手に取った。
ホンキではない。
わかっている。
でも、もし。アイツの考えてることはわからない。わかりたくない。
半分遠退いた意識も鈍色に光る包丁ではっきり戻り後ろ姿のアイツの足首にしがみついた。
「お、
そう来なくっちゃ、おもしろくねえよな。」
持っていた包丁はアイツの手からまっすぐ下に落ちてきて、しがみついたぼくのほっぺたを掠って床に当たって倒れた。
「当たんなかったか。けっ!」
包丁を握った。
「やるか?!」
ニヤニヤと、口の端で笑いながらぼくの目線に合わせてしゃがみこみ包丁を震えながら握り締めていたぼくの右手首をものすごい力でつかみ捻り上げた。
あまりの痛さに顔を歪めぼくは包丁を落とし、アイツはその包丁をキッチンの流しにポイと入れた。
「こんなもの、無くたって
おまえみたいなひょろっこ、いくらでもどうにでも出来るんだよ!」
掴まれた右手はそのままに押し倒されて殴られ、蹴られ最後に腹の上にアイツの片足が乗った。
「踏み潰したいけどな、
俺にだって人生ってえ、もんがある。
おまえみたいなのをうっかり殺しちまったら両手括られて刑務所行きだ。
そんなもったいないことは出来ねえ。
せいぜい、ここまでで許してやるからありがたく思えよ。」
声も出ず
動くことも出来ず
ぼくはアイツの溢した水と自分から出た血の混ざったものが溢れた床に転ばされ捨てられた。
まだつづく、
まだつづくのだ。
いっそのことぼくが居なくなればこの家が丸く収まるのならば、ぼくは死んでもいい。ぼくは居なくなった方がいい。
寝室で耳をそばだて物音を聞いているはずの母さんと、お姉ちゃんはアイツの寝息が聞こえるまで出てこない。
今はいい。
ぼくが居るから。
ぼくがアイツの捌け口だから。
でも、ぼくが居なくなったら。
恐ろしさで身が竦む。
ぼくが守る。
母さんと、お姉ちゃんを。
ぼくのほんとうのお父さんに誓った。
「お母さん、
死んじゃうよ。冬馬が死んじゃう!」
母に押さえられてドアの外に出て行かれない。
「今はダメ。まだきっとベッドには入っていない。
今行けば、冬馬の苦しみは報われない。」
心の中で冬馬に詫びながら春乃の肩を押さえ込み夫の寝息が聞こえて来てもいい頃合いまで待つ。
今出て行けば夫は私を捕まえて今度は私をいたぶるだろう。そして最後は春乃だ。春乃に手出しはさせない。
春乃にだけは、手出しはさせない。
この二年近く、家の中で息を殺すように物音ひとつ立てずに生活してきた。
夫が気にくわないことをすれば、そうでなくとも理由はいくらでも降ってきて殴られた。初めて冬馬に殴られているところを見られた時、夫との間に立ち塞がり
「母さんを殴るな!」
と盾になった。まだ四歳だった冬馬。
ターゲットは私から冬馬に変わった。
私には出来ないことを冬馬にはやれるのがおもしろいらしい。
私を殴れば声もあげるし抵抗もする。
冬馬の小さな体でそれをやっても、夫にはなんら意味がなく逆に暴れる小動物のようで愉しむように手加減しながら殴る蹴るを繰り返す。本気でやれば2、3発で冬馬みたいに小さなこどもは死んでしまうにちがいない。
手加減をしてだんだん伸びきる冬馬をうれしそうに笑いながら殴るのだ。
そして、適当なところで止める。
冬馬は死ぬこと無く生かされ、また殴られる。その繰り返しだった。
しばらくぶりで暴れたから、気がすんだのかアイツの気配が消えた。
寝た振りだろうか。
あと30分は待たなければ。
Hameln 3
つづく
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